にし やんの今

にしやんの近況を月1回程度書いています。

ブラウン管 18年間 ご苦労さん

2006-11-23 11:59:07 | 耐久消費財
 数日前から電源が入りにくかったテレビが、とうとう点かなくなった。
もうだめか。なんどもスイッチを入れてみたが、「チッ」と小さな音がするだけ。音声は出ない、映像も出ない。
1日待って再トライ。でも点かなかった。本体側面には、「昭和63年製」のシールが貼ってあった。満18年か。昭和の電気製品がまたひとつ、わが家から消えていった。(写真クリックで、別ウィンドウで拡大)

ダウンした古いテレビ
TH-29AV1 29インチ ブラウン管式テレビ。
18年間、わが家の居間でよく働いてくれてありがとう。

交替した新しいテレビ
TH-42PX60 42インチ プラズマテレビ
わが家の居間は狭いので、42インチはちょっと大きすぎたかなぁ。
いつもの量販店へ注文したら、その日のうちに持ってきてくれた。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
« 珍しや ラグビーボールに 似... | トップ | 本年は 私がつくった 雑煮から »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
昭和19年生まれは工夫をする最後の世代 (ジョン・ドー)
2010-06-14 10:11:36
はじめまして!
同じ年齢の神戸出身で今は北海道暮らしです。
色々趣味、興味の分野があり結構な事です。
私は古い古いカメラに愛情を注いでおります。
カメラと呼ぶより写真機と呼ぶ方が好きですねえ。
お若い頃淡路に居られたのですか?
同じ頃、私は三ノ宮、元町、新開地あたりの映画館に
たむろしていました。しようのない小僧だった。
淡路の思い出 (John Doe)
2010-06-14 19:08:54
初めての淡路島は三熊城だった。観光用の馬が通ってました。懐かしい思い出。(かなりの痩せ馬だったんけど)
二回目の淡路は一人で出かけました。確か17-18歳。島からの帰りに名産の玉ねぎをしこたまいただいた。船で明石まで渡って国鉄に乗ったら「タマネギねえ?売りに行くのん?エライねえ」と隣の席の人に勘違いされました。国鉄だけど、私たちはなぜか先輩の真似そして「省線」と言ってました。
当時淡路には濃縮ミルク缶詰の会社があったように記憶してます。エバミルクとか言ったような記憶。
私は三十代から五十代は仕事で海外生活。そして帰国したが、すっかり変わった故郷になじめず国内を転々。実に転々としました。
日本は余りにも変化が早すぎます。古いものを粗末にして、簡単に捨てる。いかんですね。

あ、思い出しました。淡路に寺岡と言う名前の造船所があったですよ。今でもあるのだろうか???

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。