ニルヴァーナへの道

究極の悟りを求めて

今月の注目論文

2008-04-20 22:43:42 | 歴史
 


論座5月号フォーリンアフェアーズの記事の翻訳で、アメリカカトリック大学歴史学教授ジェリー・Z・ミューラーの
「なぜ民族は国家を欲しがるか」という論文は、チベット問題が世界の関心を呼んでいる現在、なかなか興味深いです。


「国と民族を同一視する民族主義運動」をエスノナショナリズムと呼んでいますが、
このエスノナショナリズムは、今後の世界において、衰える気配はない、とミューラー教授は述べています。

リベラルで教養あるアメリカ人やヨーロッパ人は、過去の世界大戦が起きた大きな原因に偏狭なエスノナショナリズムがあったのだから、平和的でリベラルな民主的な世界を築いていくためには、エスノナショナリズムという考え方を弱めていく方向でいくべきだ、と考える傾向があるが、現実の世界を眺めてみると、この考え方はいかに表層的であるということが分かる。エスノナショナリズムは、近代史において奥深くて永続的な役割を果たしており、民族的に均質でない国では、同一の民族集団による分離主義運動は今後も続と考えられる。

現代は、都市化が進み、識字率が高まり、政治的に民族集団を動員することが容易な環境下にある。こうした環境下で、新たな移民の流れが加わり、民族集団間に出生率や経済格差が生じれば、その地域の構造は、エスノナショナリズムによって揺るがされことになり、このエスノナショナリズムは、21世紀の世界秩序を規定し続けることになるだろう。

何故、エスノナショナリズムは衰えていかないのだろうか。
共通の言語、信条、先祖などを共有するという意識、この同属意識、家族意識こそ、エスノナショナリズムの内的訴求力の源であり、これが、「われわれ」という概念を規定する主観的な信条だからだ。

西欧においては、近代において、家族、一族、ギルド、教会などの、個人を社会集団として結束させてきた古くからの絆が緩み、自助、自立意識を育んだ。だが、心理、感情面において人びとの心の中に空白が生じ、それを埋めたのが、新たなアイデンティティー意識、それも民族を基盤とするアイデンティティーだった。

そして、国家と民族意識の調和を求めるエスノナショナリズムは、20世紀において、自発的な移民、強制的な国外追放、そして大量虐殺にいたるまでの、様々な悲劇を伴った。

1944年12月、チャーチルは英議会で次のように述べている。
「ドイツ民族の(非ドイツ系諸国からの)追放という手段こそ、現在考え得る手段のなかで、もっとも満足でき、永続的な効果を期待できる方策だ。民族を混在して生活させるのは、終りなき問題をつくりだすだけだ。・・・・明確な住み分けが必要だ。民族引き離し策、民族移動が大きな問題をつくりだすとは思っていない。」

世界史の流れにおいて、民族の混在をなくそうとする大規模な再編プロセスの結果、民族ナショナリストたちが掲げた理想はおおむね実現された。実際、多くの地域において、各民族は自分たちの国を持ち、それぞれの国は単一の民族を主体に構成されるようになった。

ユーゴスラビアの解体は、第二次世界大戦以降の流れの最後の動きだった。だが、この動きが、民族の分離運動であり、近代ヨーロッパにおけるエスノナショナリズムの勝利であるとはほとんど認識されていない。

エスノナショナリズムが持つ力が表面化したのは何もヨーロッパだけではない。
インド亜大陸のインドとパキスタン、そしてバングラデシュ、中東のアラブ諸国とイスラエルしかり。

エスノナショナリズムは、民族の内的な凝集力と安定を高める。
フランスの教科書が「われわれの先祖、ガリア人・・・・・」というフレーズで始まり、チャーチルが戦時下の市民に「この島の人種よ」と呼びかけたときに、そこで意図されていたのは、相互の信頼と献身を求めて、エスノナショナリズムに訴えることだった。リベラルな民主主義と民族的均質性は両立できるだけでなく、相互補完的な関係にある。

第二次世界大戦後のヨーロッパが調和を保てたのも、エスノナショナリズムが失敗したからではなく、成功したからだ。これによって、国内、国家間紛争の最大の火種が取り除かれた。民族や国の境界線はいまやおおむね重なり合っており、必然的に、国境線やマイノリティー集団に派生する対立が少なくなり、歴史的にみても、ヨーロッパの国境区分はいまやもっとも安定した状態にある。

現在、ヨーロッパの民族バランスにもっとも大きな影響を与えている要因は、アジア、アフリカ、中東からの移民の増大であり、これによって、民族の多様化が進んでいる。ベルギー、フランス、ドイツ、オランダ、スウェーデン、イギリスその他の国では、概して、イスラム系移民の経済、教育面での同化は進んでおらず、彼らは文化的に孤立している。

エスノナショナリズムは今後も長期的な問題をつくりだすことになるだろう。
経済のグローバル化の波に巻き込まれていく国が増えていくにつれて、こうした変化から最大の恩恵を手に出来るのは、新たな機会を、うまく利用できる多数派の民族集団であることが多い。これによって、民族間の亀裂はますます大きくなる。

チェイム・カーフマンなどの研究者が指摘するように、民族間の対立が臨界点を超えてしまえば、同じ政体内で民族的なライバル集団が共存していくのは基本的に難しくなる。

こうした不幸な現実が、民族紛争への人道的介入を支持する人人にジレンマをつくりだすことになる。互いに相手を憎み、恐れるようになった集団を和解させ、平和を維持するには、コストのかさむ長期的軍事介入が必要になるからだ。また、集団間の対立が民族浄化作戦へとエスカレートした場合のような深刻な紛争の場合、もっとも人間的で永続的な解決策は国を分割することだ。

ナショナリズムを研究している現在の多くの社会科学者は、民族意識が人為的に政治指導者やイデオローグに煽られ、利用されていると考えているが、エスノナショナリズムは、近代国家の形成プロセスが表へと引きずり出す人間の感情と精神にかかわる本質であり、連帯と敵意の源である。形は変わるとしても、今後長い世代にわたってエスノナショナリズムがなくなることはあり得ないし、これに直接向き合わない限り、秩序の安定を導きだすことはできない。

以上、私がなるほどと思ったところを、直接引用させてもらったり、要約させてもらったりしました。これだけ読むと、論文全体の要旨もつかめることができると思います。
チベット問題を考える上でも、大いに参考になると思います。
現在のチベットにおける民族間の紛争は、この論文にも述べられているように、臨界点を超えてしまっているのではないかと思います。
漢民族とチベット民族の共存は難しいのではないか。
そもそもの間違いは、漢民族がチベットに入ってきたからであり、ここは絶対に忘れてはならない事実です。
それではチベット問題の真の解決とは何だろうか。
この論文に書かれているように、チベット人が自分たちの国を持つこと、これですね。たしかに、究極の目標にいたるまでには、ダライラマのいう「真の自治」が保障される状況も必要だろう。
では、これは、ダライラマが提唱している対話によって達成できるのだろうか。
酒井信彦先生の予測ではなかなかむずかしいのではないかということです。
最近の、酒井先生がダライラマの中道路線を批判している講演を聞いてください。

12/14酒井信彦連続講演・第一回【世界から見た中華人民共和国の民族問題】


酒井先生は、ダライラマの独立放棄路線は間違っていると批判しています。
これは最後に切るカードであり、これでは有利な交渉など出来ない。
チベット問題を解決したがっている欧米にダライラマは取り込まれたのではないか。
ノーベル平和賞などもらってうれしがっている場合などではないのだ。
現在の状況においてチベット問題の解決とはチベット問題の消滅にほかならない。
チベット問題の消滅とは、チベットが中華民族主義のイデオロギーによって、民族同化、つまり、民族浄化されること。
アメリカが中国と軍事対決も辞さないという姿勢がない限り、対話したからといって、チベット亡命政府は中国に屈服せざるを得ない。
チベットはあくまでも、独立を主張すべきである。
独立放棄というスタンスは、チベット人のエスノナショナリズムを無視した考え方であり、世界の歴史の流れに反する考え方だ。

13/14酒井信彦連続講演・第一回【世界から見た中華人民共和国の民族問題】


非暴力主義とチベットの独立を求めることは矛盾しない。
ここが、ダライラマを聖人に祭り上げることによって、意図的に隠されている。
何故、ガンジーの非暴力主義が成果を上げたのか。
ガンジーがインドの独立を求めたからである。
インドのエスノナショナリズムをガンジーは無視しなかった。
だから、独立できたのだ。
ダライラマも、ここをじっくりと見直すべきではないのか。
そうしないと、この先、チベット問題の先行きははなはだ暗い。
チベット問題の解決、つまり、チベット問題の消滅が実現されれば、世界は暗黒な世界になる。
強大な不正義が認められたことになるからだ。
そして、中国に侵略されている他の民族にも甚大な影響を与えることになる。
さらに、日本も中国の侵略のターゲットにされていく。
平和ボケした日本人が気付かないだけの話だ。

14/14酒井信彦連続講演・第一回【世界から見た中華人民共和国の民族問題】


平和ボケした日本人の立ち振る舞いは、ますます、シナ侵略主義の意欲を掻き立てる。
アメリカは日本を守るか?
そんなことはないだろう。
憲法九条の改正もできない、時分の身を守ろうともしない民族を他の民族が守ってくれるはずがないではないか。

この酒井先生の講演は非常に刺激的で、非常に勉強になりました。
ダライラマ法王の中道路線の批判、なかなか鋭いと思います。
チベット青年会議のラディカルな主張もあながち間違っているとはいえないのではないか。
しかし、チベットの先行きはななはだ暗い、ということだけは確かだと思います。
この先、どうやってチベット問題を解決していくのか、なかなか難問です。
中国共産党の中華民族主義を止めさせなければならないのですから。
話し合いで解決できない場合は、実力行使しかないが、現在の国連ではそもそも無理だし(ここらへんに小沢の国連至上主義がいかに間違っているか示されているのだが)、アメリカも軍事力を使って中国と対立する気はないだろうし、現在、そんな軍事力もないだろう。

シャンバラサン誌で、ダライラマへロバートサーマン教授がインタビューしているが、このインタビューで、世界全体の言論の力が重要な鍵だと語っている。

ロバート・サーマン教授:非常に明快ですね。それでは猊下はわれわれ西欧の人間に対 して、チベットの大義を効果的に支援するために、どのような行動を望まれますか?

ダライ・ラマ法王:わたしたちの過去の経験によりますと、世論というものが、わたしたちの 希望の究極の源泉だと考えています。公の意見、世論ですね、がわれわれに有利な方向 に展開していけば、自動的に、その意見はメディアに反映されます。そしてこれは議会や 国会の中に、もっと支援が与えられたり、関心が払われなければならないという刺激を与え ます。これは確実に政府に新たな情熱を呼び起こします。

私はこのことを多くの国々で--特にヨーロッパで最も多くですが--発見しています。ヨーロ ッパの世論がチベットに大変好意的であり、強力ですので、メディアも大変好意的であり、 支援の姿勢を示してくれています。ですから究極的には、世論が政府にたいして、実現可能 な方法で支援を行いたいという情熱を与えることになるのです。この瞬間にも、わたしたち は、中国政府が前提条件なしで、実りのある交渉をわれわれと開始するようにと、様々な 政府に働きかけています。これが現時点における、私の中心の目標です。

1959年の後の、1960年代の初期には、アメリカ政府はチベットの大義(解放)を支援して くれていました。しかし、一般の人々の草の根の支援がなければ、政府は簡単に政策を 変えてしまいます。現在わたしたちが得ている大衆の支援はかなりなものがあります。そして この支援は実際に一般の人々から来ています。これは一夜で変わることは出来ません。 政府の政策はいつも変化の可能性があるのですが、大衆の支援はそこに残ります。

ですから長い目で見るならば、私は世論というものが非常に重要だと感じています。 世界の様々な地域やアメリカのチベット支援グループの活動が活発になるならば、その 行動はひいてはチベットを救うことにつながります。