フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

サルトルの言葉

2020年03月31日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

今日はフランスの哲学者サルトルの言葉です。

サルトルは、「地獄とは、他人である」と言った。

最初、これを読んだ時、ハハハ、と笑ってしまった。

僕の中では、他人はそれほど怖いものではなくて、優しいという性善説のイメージがあったからかもしれない。

でも、よく考えると、深い言葉だ。

日本のような同質社会では、「話せば分かる」という前提がある。

しかし、考え方の全く違う人達、たとえば、違う文化圏の人たちと接すると、話しても全く分かりあえないということもありうる。

また、よく知っている人でも、よくよく本音で話し合うと、自分とは全く違う考え方の場合もある。

たしかに、人と分かりあえないことが、前提になると、「地獄とは、他人である」という言葉が意味を持ってくる。

じゃあ、価値観を全く逆にしてみようか。

つまり、「他人とは、まったく分かりあえない」ということを前提に、生きてみる。

すると、どうなるか?

今まで、長く付き合ってきた人でも、全然分かっていないことになる。

そう思った瞬間、真剣にその人のことを考えるようになる。

本当はいったい何考えてんだ?となる。

それで、それまで適当に話していたのに、今度はちゃんと会話するだろう。

僕も知り合いに、このブログを読まれて、全然違う人みたいと言われたことがある。

たぶん、僕の印象と、僕の文章のギャップが大きかったのだろう。普段はアホみたいにしてるから。

どんなに親しい相手でも、その人を知っていると思っているのは、幻想だ。

その人のすべてを知ることはできない。

だから、たまに価値観を逆転させるのも悪くないのかもしれない。

コメント (4)
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