フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

人の心に入り込むこと

2020年03月18日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

16日、さいたま市で、妻を刺殺した夫が逮捕された。
夫は犯罪心理学者で、妻は法務省の職員だった。

興味深い事件だ。どういう経緯でこんな事件を起こしたのか、真相を知りたいと思う。

この事件を聞いて、すぐにニーチェの言葉を思い出した。

怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物にならないように気をつけなくてはならない。
君が長く深淵をのぞき込むなら、深淵もまた君をのぞき込んでいる。

怪物の考え方を知りたいとき、その怪物の考えをなぞっていかなくてはならない。
ただし、不用意にそのような方法で考えると、簡単にその怪物に感化されてしまう。
つまり、自分自身が怪物になってしまうのだ。
わかりやすくいえば、マル暴の刑事が、暴力団に似てくるようなことだ。
真面目な刑事が、暴力団の行動パターンばかり考えていると、だんだん暴力団に似てくる。

それを避けるには、一つの方法しかない。
俯瞰して自分を見ることだ。
さっきの例で言えば、暴力団に似てきたことを、自分で理解することである。


ところで、僕の人生を変えた本がいくつかある。
その一つがフロイトの「精神分析入門」だ。
僕はこの本を読んで、実際に人の心を読んでいった。
その結果、頭がおかしくなりかけ、精神病一歩手前の状態になった。
そして、フロイトの本を捨てた。
なぜこんなことになったのか?
自分なりの理由はこうだ。
ガキのやわな気持ちで、安易に他人の心の中をのぞいたからだ。
人の心の闇に耐えられなくなったのである。
人の心をのぞく時、自分自身の心の闇を映し出す。

それで、しばらくして、僕は座禅や瞑想に傾倒する。
これは、かなり良かったと思う。
自分の体の動き、心の動きを、じっと観察していく瞑想である。
これは、座ってするだけではなく、歩きながらでも、人と話しながらでもできる。
たとえば、嫌いな人に「このバカ、死んでしまえ」と言われたとする。
カーっと怒りがこみ上げる。
そのときに重要なのは、客観的に自分を分析することだ。
ああ、今怒っていますね、心臓の鼓動が速くなっていますね、体温がちょっと上昇していますね、と言って、自分を客観的に分析していくのだ。

これは、他人ではなく、自分の心を覗くやり方である。
自分と向き合い、自分を知るという方法である。
自分の弱さ、不安、汚さ、優しさ、強さ、それらをすべて観察する。
このやり方で、どんなに感情的になっても、客観的に自分を分析できるようになる。
また、感情の流れを知り尽くすことによって、何が起ころうと冷静で強い自分を形成できる。
その結果、他人の心も深く理解できるようになる。
なぜなら、人間の心は、深いところで、みな共通点があるからだ。


話を最初に戻そう。
犯罪心理学者は、犯罪者の考えを追跡し、同じように考える。
すると、だんだん自分が犯罪者の思考に似てくるようになる。
そのときに、俯瞰する自分がいないと、簡単に犯罪者と同じ考えをする人間になってしまう

この妻を刺殺した教授は、強い自分を鍛錬することなく、安易に犯罪者の心をのぞき込んでしまったのではないか。

それで犯罪者の考えることと同じような行動をとってしまった。

自分自身を知らない状態で、他人の心をのぞいてはいけない。
それは破滅への道である。

コメント
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