フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

戦うということ

2020年03月08日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

死にたくない、と思うことがある。夜、暗闇の中で考え事をしているときに。

逆に、死にたいと思ったことはない。

もし、苦境に立たされたら、命を断つより、戦う方を選ぶだろう。

そういう意味では、僕は生まれながらのファイターだ。最後の最後までしぶとく戦い抜くだろう。

ただ、擬似的に、殺されて死ぬときがある。

はぁって思うかもしれないが、それは、将棋で負けたときだ。

将棋は、シンプルに言えば、王様を殺し合うゲームだ。負ければ死ぬ。

最近のアプリは持ち時間が10分に設定されている。だから、相手の持ち時間とプラスして20分で終わる。

20分間の死闘である。

僕は普段は集中力のない人間だが、将棋を指しているときは信じられないくらい集中する。

負けたくない、つまり、死にたくないからだ。

基本的に攻め将棋である。子供の頃から変わらない。攻めて攻めて攻め倒す。相手に対する殺意が強すぎるのかもしれない。

逆に、僕とは違って、王様をきちんと守って、安全にしてから、それからゆっくり攻める人もいる。

将棋を指していると、相手の性格がよくわかる。

気の強い人、慎重な人、打たれ強い人、諦めない人、たまに根性のひねくれた人もいる。

僕は、序盤中盤は強いが、終盤の最後の詰みを逃してしまうことが多い。

勝つことを急ぎすぎて、興奮してしまうのだ。

それで、最後の最後でポカをしてしまう。

映画の悪役のようだ。もうすぐ勝てるというところで、油断して武器を奪われ、殺されてしまう。

実際の人生でも、本当に大切なものを、最後にポロッと逃してしまう。

オンライン将棋を指しはじめた頃は、負けると頭にきて、怒りの扱いに苦労した。

しかし、勝負事において、感情的になることは、マイナスに働く。

だから、怒りをコントロールすることを学んだ。それで、今は負けても、冷静でいられる。

どんな強い人も勝ち続けることはできない。負けたときにこそ、人間の本当の真価が問われるのだ。

負けたくなくても負けるように、死にたくなくても死ぬときが来る。

僕は、将棋を通して、死ぬことを学習しているのかもしれない。

コメント (2)
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