フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

まじめにエロについて語ります

2020年03月30日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

たまに哲学でもしましょうかね。哲学といってもエロについてです。
今日はかなり長めです。覚悟して読んでくださいね。

人間も動物も、子孫を残すために性行為を行う。これは本能です。
しかし、人間は快楽のために、性的な行為を行う。
今日語るのは、その「快楽のエロ」についてです。

具体的には、フランスの哲学者バタイユの「エロティシズム」の解読です。
難しい本ですが、「エロティシズム」のポイントは2つあります。
孤独と侵犯です。

まずは、孤独について。
人間は、一人の個人として、孤独に死にます。しかし、その孤独に耐えられない。だから、他の人とつながろうとする。
つながるとは、他人の中に自分を溶け込ませて、生を連続させようとすることです。
つまり、孤独を超えてつながろうとする欲望、それが、エロティシズムの本質だとバタイユは考えます。
愛する人と一体化すること。その象徴が性行為ですね。
そこから発展して、精神的に一体化することも、エロに含まれます。


「ノルウェイの森 村上春樹」のセックスシーンです。

 暖かい雨の夜で、我々は裸のままでも寒さを感じなかった。僕と直子は暗闇の中で無言のままお互いの体をさぐりあった。僕は彼女にくちづけし、乳房をやわらかく手で包んだ。(中略)
 僕はペニスをいちばん奥まで入れて、そのまま動かさずにじっとして、彼女を長いあいだ抱きしめていた。そして彼女が落ちつきを見せるとゆっくりと動かし、長い時間をかけて射精した。最後には直子は僕の体をしっかり抱きしめて声をあげた。僕がそれまでに聞いたオルガズムの声の中でいちばん哀し気な声だった。
 
親友のキズキの恋人、直子と僕が初めてセックスするシーンです。
キズキは17のときに自殺します。この自殺によって、僕は傷つき、直子も傷つきます。
この二人のセックスは、孤独を埋めようとするが、むしろ、孤独を深めていくような不思議なセックスです。ただ、孤独を超えて、二人でつながろうとしていることは分かります。

 

次に、侵犯についてです。
バタイユいわく、エロティックの本質は、禁止の侵犯にあるといいます。
男性は女性の身体の美しさに、本能的に反応します。
しかし、文明社会は、女性は男性に簡単に体を許してはいけないという教育を受けます。
それゆえ、女性の体は、自由に味わうことができない禁じられた果実になっています。
しかし、男性は女性の禁じられた身体を、犯すことで、「わがもの」にしようとする。
そして、その犯し方に特徴があります。女性を美しいものとして、それをけがすという方法で犯します。
つまり、女性の美をよごして、自分のものにします。
簡単に言えば、ケーキにつばをかけて人に食べられないようにするのと同じ感覚です。
だから、美しければ美しいほど、汚せば汚すほど、エロい気分になれます。


ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の一節。エロティシズムの本質を見事に表現しています。

カラマーゾフの兄弟の長男、ドミートリィが軍隊にいた頃、上官の中佐の娘、カテリーナに惹かれていました。
しかし、彼女は美しく高嶺の花でした。ところが、ドミートリィは、中佐が公金を横領したのがバレそうになっているのを知る。
そして、ドミートリィは、あることを提案します。4千ルーブルを差し上げるので、カテリーナを僕のところによこしてくださいと。
そして、カテリーナはドミートリィのところにやってくる。

俺は頭から足の先まで彼女を眺めまわした。お前、あの人を見たことがあるだろう?まさしく美人だろ。
ところが、あのときの彼女の美しさは、また違うんだ。
あの瞬間の美しさは、彼女が高雅なのに、俺のほうは卑劣漢であり、彼女が父のために我が身を犠牲にしようとする崇高さに包まれているのに、俺の方は南京虫にすぎない、というところからきていたんだよ。
美しい彼女の身体が、卑劣漢である俺しだいでどうにでもなるんだからな。
身体の線がはっきり分かったっけ。正直に言うと、危うく心が溶けて流れるところだったよ。

これを読んだら、ほとんどの男性はムラっとくるでしょう。僕ははじめて読んだ時、おもわず股間がムクムクしたのを覚えています。それほどエロいシーンです。
「禁止と侵犯」の典型例です。さすが、ドストエフスキーです。



真面目に分析しますが、ちょっと際どいものがあるので、これから下は、閲読注意です。
エロすぎるのが、嫌な人は読まないでください。

基本的に、アダルトビデオは、「女性の美」と「禁止と侵犯」の組み合わせで、構成されています。

まずは、女性の美は、容姿のタイプです。
巨乳、美乳、貧乳、ぽっちゃり、スレンダー、きれいな脚、お尻などです。

つぎに、禁止について。
たとえば人妻。人妻は人のものなので、セックスしてはいけない人です。だから禁止に当たります。
ほかに、学校の先生、スチュワーデス、女子高生なども、禁止されていませんが、セックスを想像するのは不謹慎なので、一応、禁止の例になるでしょう。近親相姦は強めの禁止です。

さらに、侵犯についてです。
女性の汚し方と言い換えてもいいかもしれない。
たとえば、精液を顔にかける、飲ませる、中に出す、などです。精液は、女性を汚す重要なアイテムになります。他にはアナルとか乱交、紐で縛って拘束することなどもそれに当たるかもしれません。

だいたい、男の性的な嗜好は、これらの組み合わせになります。
人それぞれ、女性の美、禁止の形態、女性の汚した方に、好みがあります。

バタイユは、男性なので、男性目線でエロを語ります。。
僕は男性なので、男のエロについてはよく分かる。
しかし、女性の目線では、ちょっと弱い気もします。
バタイユは女性のエロについて、自分の美を、男に差し出し、侵犯されることに、エロを感じると言います。
ほんとうにそうなのかは、よくわかりません。
僕が、本当に読みたいのは、女性目線のエロです。女性はどういう風なのにエロを感じるのか知りたい。
だれか女性の哲学者が書いてくれないかなと思っています。


まじめにエロを語ってしまった。たまにはいいですよね。

 

コメント
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