groove blog classic

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大川さんの命日

2006-12-21 21:57:51 | horseracing
そういえば、今日は大川慶次郎さんの命日だった。1990年のオグリキャップ以来競馬を見続けてきたのだが、自らの競馬観の影響を受けた1人が大川さんだろう。

大川さんは「スーパー競馬」には毎週のように出演していたし、競馬面を見るために日刊スポーツを買い始めた頃に大川さんがケイシュウニュースから移籍してきたんだったと思う。だから、馬柱に載ってた予想の最上段には必ず目を通したものだった。

以前大川さんがG1でどのような予想をしてきたか、予想が掲載されていた日刊スポーツや朝日新聞の縮刷版で調べたことがあるのだが、1995~1998年の有馬記念では1996年に◎-○で馬連900円が的中というくらいでそれほど得意とはしていなかったようだ。(ただし1999年の有馬記念ではグラスワンダーに◎を打つつもりだったのは有名な話。)

1995 …→△→× (◎ヒシアマゾン、○ジェニュイン、×サクラチトセオー)
1996 ◎→○→… (◎サクラローレル、○マーベラスサンデー、×ファビラスラフイン)
1997 …→◎→○ (◎マーベラスサンデー、○エアグルーヴ、×メジロドーベル)
1998 …→○→… (◎セイウンスカイ、○メジロブライト、×メジロドーベル)

もし2006年で大川さんが健在だったらどのように印を打っていたか?もちろんそれは知る由も無いのだが、この4年間で共通するのは◎は結果的に1番人気だったこと。そして牝馬も軽視はしてないこと。当時は馬単・3連複・3連単も無かったから予想スタンスも微妙に違うからそのままは当てはめづらい。ただ、大川さんは以前から連単復活を望んでいただけに、ディープインパクトを素直に評価しつつも3連単を取る予想を組み立てていたに違いない。

大川さんが亡くなったのは1999年の有馬記念の5日前で当時70歳と放送席から去るにはまだ早すぎだった。できれば、国際化が加速度的に進んだ日本競馬やディープインパクトと過去の名馬との比較など、今日の競馬について論じてもらいたかったものだ。

また、大川さんが亡くなって7年経過したわけだが、ベテランの競馬評論家は多いがその中でも「重鎮」の域となると(少なくとも関東では)なかなか見当たらない。とはいえ重鎮が簡単に一朝一夕に出てくるわけないし、現在でも優れた評論家は見受けられるので、その方々に期待することにしよう。


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