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お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

免許を取って初めて運転した日

2005年02月24日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
昭和54年に初めて自動車運転免許証を取って、実際の道路を走ろうという事になり、まず母を誘ったのですが、「怖いから嫌」と断られ、父が助手席に乗ってくれました。当時、大阪の南茨木という所に住んでいて、卒業した小学校のある兵庫県西宮市まで、往復したのですが、父は横でグーグー寝ていました。
また、誰かの誕生日だったか、クリスマスだったかで、ケーキを買いに行った帰り、父が運転していて、僕が助手席に乗り、ケーキが後部座席で落ちそうになったので、父が振り向きながら、ケーキを座席に上げようとしました。ところが道路がカーブしていて、僕達の車は見事に土手から滑り落ち、「茨木高校」の壁の近くでやっと止まり、JAFを呼んだ記憶があります。
父は大物た゜ったのでしょうか?

「結婚式の奉納芸」

2005年02月23日 | お酒・焼酎・ウィスキー・ワイン
僕の同期の結婚式には、「奉納芸」がある。営業のK君が、ハンカチで物を隠して、それを一瞬で消すという芸だ。男性16人全員結婚したので、自分の時も含め、K君はこの「奉納芸」を16回やった。種明かしするととても簡単な事。ハンカチで隠している間にコップのビールなどを瞬間で飲み干すのだ。最初は可愛い芸だった。そのうち、ジョッキのビールになり、やがてウィスキーの氷入れになみなみと注がれたウィスキーや日本酒になり、バラの花やケーキも消していた。K君は酒に物凄く強いのだ。しかし、自分の結婚披露宴では出席者全員に飲まされた後、こり「奉納芸」をやったので、最後の「新郎の挨拶」は「何を言っているのか分からない状態」。あまり、酔い方がひどいので、ホテルの部屋に連れて行くと、鯨の潮吹きの様にベッドの上で吐きました。ほほをたたいても反応が無いので、救急車を呼び、近くの病院で点滴を受け、事なきを得ましたが、新婦の心労は大変だったでしょう。いくら、物凄く酒に強くても、限度をわきまえないと大変な事になると痛感・反省しきりでした。彼も、同期の誰かが離婚して、再婚する事が無ければ、「奉納芸」は封印された事になります。元気になって良かった・・・とつくづく思いました。

結婚式の挨拶

2005年02月23日 | エッセイ・日記・意見
結婚式で、たまに「挨拶」を頼まれる事がある。僕の性格上、「笑わしたい欲望」が頭をもたげてくる。しかし、半分の客は今日が初対面の方ばかりだ。挨拶が披露宴の最後の方になると、「緊張を忘れる為、飲みまくり」、ベロベロの状態で挨拶する事になる。笑いが取れない。失言してしまう。最悪のパターンだ。僕は「いらち」なので、「ゆっくり」喋れない。どんどん喋りが速くなって行き、やがて自分でも何を喋っているか分からなくなる。挨拶は最初の方にしてもらうか、辞退したい・・・でも、折角頼まれたのに、という思いが失敗を繰り返す。

系列の送別会

2005年02月23日 | テレビ
系列の宣伝担当者の送別会が昼食形式であった。ワイン一杯だけの乾杯でも、昼間堂々と酒を飲めるのは贅沢だ。とてもこのブログにかけないような話題を調子に乗って話した。本当に書けません。めちゃめちゃ書きたいけれど・・・最後に締めの挨拶を頼まれた。なんとか、一本締めでまあまあ自分としては上手く喋った様に思う。送別された二名の女性はそれぞれの本社のある地方へ帰る。うちの会社は大阪の局だが、東京支社と本社の意識の違いを感じる。彼女達も東京で仕事をして、地元に帰るとその意識の差に悩むと思うが、東京で知り得た事を糧として、頑張って欲しい。宣伝に関していうとやはり「女性パワー」は強い。そのパワーで、本社でぐんぐん、いろんな人を引っ張って、強い系列になる事を切に望みます。「今日の事もブログに書くんでしょう!」というリクエストに答えましたからネ。僕が送別会で喋った事は他言しないでね。

ブログ

2005年02月23日 | インターネット
ブログから生まれた本が増え始めた。まずは、「電車男」である。僕は今、「実録鬼嫁日記」というブログを本にしたものを読んでいる。結婚する前は、日本のどこかで(なんか山口百恵の歌のようだが)、僕の妻になる人がきっと生きているんだろうなあと漠然と思っていた。結婚しないかもしれないし、外国人と国際結婚という道筋もあるのだが。それとブログは似ていると強引に言わせて貰う。大げさに言えば、地球上の「日本語分かる人」すべてに、自分の恥も内面も、晒しているのだから。アクセス数は分かっても、コメントが無いと誰か分からない。今まで一度も会ったことも無い人が見ていることだってあるし、お年寄りや子供、男性、女性・・・いろんな人が読んでくれているのだろう。僕の表現媒体としては、とても合っていると思う。思いついた時に、可笑しなことをたくさんの人に語れるからである。これからも「コメント」「トラックバック」たくさん下さいネ。

「地球」を外から初めて見たのは犬である。

2005年02月23日 | 子供・動物・生き物・ペット
哺乳類で始めて「地球」を外から見たのは、「犬」である。ソ連の「スプトニーク号」に、人間が乗るより先に乗せられたのだが、無事生還したのか、宇宙にそのまま放置され、宇宙ロケットの中で、「即身仏」になったのか・・・急に気になった。多分、後者の方ではないだろうか。今でも、その宇宙ロケットは永遠に地球の周りを回り続けているのか。切ない話である。

「アップダウンクイズ」

2005年02月23日 | テレビ番組
「アップダウンクイズ」(MBS)で、10問正解すると、その正解者の席の前に、飛行機から降りるタラップが用意され、ミニスカートのスチュワーデスがレイをかけに上っていった光景を忘れられない。僕の先輩に、テレビの下にもぐって、ミニスカートの中を見ようとした人がいた。司会の小池アナが「夢のハワイ旅行」と言っていた時代だ。問題を読んでいたのは、佐々木美絵。「ヤングOH!OH!」の司会の斉藤努アナウンサーの妻になった。斉藤さんも今はMBSの偉いさんである。

「鬱病同盟」

2005年02月23日 | 病院・薬・病気
「鬱病同盟」というのを作ったらどうだろうと、今朝思った。新聞によると、子供の中の五分の一は「鬱の予備軍」で、大人も「鬱病」とまでは言えなくても、「鬱っぽい」人はとてもたくさんいると思う。「森田療法」の「生活発見の会」では無いけれど、かつて「鬱」だった人、今「鬱病」に罹っている人の体験談を他人に話す事によって、「心は少しでも癒される」と思う。
僕は、前にも書いた事があるが、「鬱病」は「心の風邪」と思っており、「このゆがんだ日本の社会で、正常な精神でいられる方がおかしい」と考えているので、皆さん、「鬱病」を自由に喋れる会を作りましょう。

「昭和」という時代

2005年02月22日 | 映画・DVD・ビデオ
2003年制作の「チンソクの夏」には、1977年の下関のシーンが頻繁に出て来る。それが「昭和の町並み」なのだ。もちろん、「飲み屋の看板」とかは、美術さんが作ったものなのだろうが、町そのものの雰囲気はロケではそれほど変えられない。地方へ行くと「昭和」がまだ残っているんだと思った。
昼間、おもちゃ屋の前を歩いていて、「アメリカン・クラッカー」を売っているのを見つけた。僕が小学校の頃、流行ったおもちゃだ。何故、鮮明に憶えているかというと、買った日に小学校に嬉しがって持っていって、先生に没収されたからだ。これも「昭和」に繋がっている。
この文章は、「小ネタ集」になってしまった。
最後は、大阪と神戸を結ぶ「阪神電車」。あの「甲子園球場」に行く時、乗る電車だ。久しぶりに乗ってみたら、列車の種別が多すぎて、戸惑ってしまった。普通は、「特急」「急行」「普通」が基本だが、その三倍近く種類があったと思う。ちなみに京王線は「特急」「準特急」「急行」「通勤快速」「快速」「各停」の6種類。この倍くらいあったかもしれない。利用者にとって、便利なのかなぁ。

VTRが走り回る!

2005年02月22日 | テレビ
14時から、ドラマの会見をキー局の中で開くとする。それをVTRで録画し、編集して、15時半頃には、「ワイドショー」で放送されている。凄いなあと思う。僕は生放送含め、いろんな番組を作ってきたが、毎日、こうした作業をしている「ワイドショー」のスタッフはストレスが溜まらないのだろうか。携帯電話と一緒で、「VTRが僕を追いかけてきて、『早く放送しろよ!』」と言っている様な感じがした。現代人は何かに追われて生きている。こんな事でいいのだろうか。

「お坊さん」になりたくて・・・

2005年02月22日 | エッセイ・日記・意見
理髪店に行って、イスに座ったら、突然、「お坊さん」の心境になりたくなった。だから、僕は現在スキンヘッドである。朝、ヒゲを剃る時、シェーバーで、頭も剃ってしまう。「お坊さん」の様な「無」の心境にはなれなかった。周りにびっくりされた。街では怖がられた。そして、頭が寒かった。

テレビによる「死の共有」

2005年02月22日 | テレビ
テレビが出来て鹿児島の女子高生が車に突っ込まれて亡くなった事故を即日で知ることになる。イラクの米兵の殺害もしかりである。人の死は脳裏に焼き付く。テレビのニュースは、どうしても死傷者の多い事件や事故、凄惨な殺害を取り扱う可能性が強い。
戦前のラジオだけの時代だったら、映像で連日見る事は無かった。その時代の方が心穏やかに生きられたのかもしれない。
もっと昔の江戸時代には、自分の周りの死しか知る事ができなかった。しかも身近な死の事が多かったと思う。
現代、これだけ、「テレビというマス・メディア」で国民が「いろんな方の死を共有」できるのは、本当に現代人の「精神」にとって、問題ない事なのだろうか。僕が「鬱病」っぽくなったのも、一つは「父の死」。そして、あの9.11を生放送で見た事が自分では大きな要素だと思う。

中国人と携帯電話

2005年02月22日 | 携帯電話・電話
中国人は、カメラ付き携帯は要らないらしい。だから、ノキアとかモトローラー製が圧倒的シェアを取っているのだろう。僕もカメラは要らないと思う。デジカメがこれだけ小さくなってきたので、僕のカバンの中にはいつも小さなデジカメと携帯が入っている。携帯で撮った写真は何故か、鮮明ではない。いつもの様に、取扱説明書を読まない僕が悪いのか?それと会社の電話をすべて携帯に転送し始めてから、バッテリーの減り方が急激に早くなった。部旅行で福岡へ行った時は、コンビニで充電器を買ってしまった。「仕事」が「携帯」という武器を使って追いかけてくるという感じ。困ったものだ。

「ルーツ」というアメリカのドラマがあった。

2005年02月22日 | テレビ番組
昨日見ていた映画「チルソクの夏」で、韓国人の青年が、「韓国は儒教の国。だから、母親の言う事は守らないといけない。悲しませてはいけない。」というセリフがありました。儒教は親や親族を大切にする宗教なんです。宗教のある国はどこかしっかりしているような気がします。とっても羨ましいです。
僕は関西出身なので、「在日韓国・朝鮮人」、そして、「」の人々と隣り合って暮らしていました。「チルソクの夏」に出てくるようなシーンは、たくさんありました。子供の僕は何故?と思うような理不尽な事を大人に言われました。「あの道から向こうには行ってはいけない」とか・・・
かなり前ですが、テレビ朝日がアメリカのスペシャルテレビドラマ「ルーツ」を連日放送しました。奴隷としてアフリカで捕まえられるところから始まり、現代までの黒人の差別の歴史を描いた見事な作品でした。当時、「クンタ・キンテごっこ」が流行ったのを憶えています。音楽はクインシー・ジョーンズでした。この「ルーツ」を日本で制作するとしたら、「在日韓国・朝鮮人」の話になるのでしょうか。アメリカはいろんな民族の集まった国家で、黒人の割合も多いので、ああいうドラマができたのでしょうが、日本ではどうでしょう。単一民族と言われるくらい日本人が多くて、「差別されている人々」の少ない日本の現状がドラマや映画で変わっていく事はかなり難しい事ですが、それに挑戦する時期になってきていると思います。
映画では取り上げられ始めていて、この「韓流」ブームなどで、日本と韓国・・・そして、の人々が差別無く生きていける日本になって欲しいと心から思います。
第二次大戦中、盛岡に強制連行された「韓国・朝鮮の人達」が盛岡に伝えたのが、現地では「わんこそば」より有名な「盛岡冷麺」。お酒を飲んだ後とかに食べると良いです。胃腸薬に使われる「重曹」が入っているからです。

「弾丸列車計画」

2005年02月22日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
戦前、「弾丸列車計画」があった。東京から九州、そして、韓国までトンネルで渡り、ソ連を通り、ヨーロッパのパリまで、という計画だったと思う。現在の東海道新幹線のトンネルや敷地は一部その時に作られたものだ。もし、この計画が実現していたら、韓国と日本の距離は近くなり、もっとソ連含め、冷戦も激しくなかったのではないかと想像している。この「弾丸列車計画」は「鉄道ファン」にはよく知られた事実である。