お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「マルセ太郎ビデオ上映会」

2008年02月17日 | エッセイ・日記・意見
16日(土)、3週間ぶりに散髪に行く。スキンヘッド。いつも、途中で日ごろの疲れで意識を失ってしまう。今日も然り。それから「鍼」へ。診察券を出して、順番待つ間に、調布駅前のラーメン屋で、「ラーメン・カレーライスセット」を食べる。もちろん、食後すぐに「黒烏龍茶」を飲む事は忘れない。ラーメンには山盛りの「ニンニク」を入れないと気がすまない。特に、昨日は風邪気味で「鼻水」が出てしょうがなかったので、たっぷり入れる。この際、体が痒くなるのは仕方が無い。「鍼治療」を受ける。今日は「不整脈」は出ていないとの事。今週も不規則だったが、金曜日、早めに寝て睡眠を十分取ったからかもしれない。
帰宅後、昼寝。とにかく「土日」に心身を休ませておかないと、次の週が大変だ。疲れは持ち越さない。
夕食は「ピュンロー」という舞台美術家の妹尾河童さんの著書に出て来る鍋。新婚時代から僕と妻はこの鍋が好きだ。ゴマ油の香りが堪らない。鍋を少し食べて、休憩。おじやを食べる。
土曜ドラマ「フルスイング」第5回を観る。泣く。来週が最終回。本当に近頃無い、心に響くドラマだ。
そのあと、NHKの「ニッポンの現場~遺影を撮る」を観る。デイケアセンターで、入園者の「遺影」を撮り続けるカメラマンを追う番組。おじいちゃん、おばあちゃんと1時間位、それぞれの人生について話しを聞き、いちばんリラックスした時、シャッターが押される。最初、「遺影撮影」を拒否していたおばあちゃんもカメラマンに柔らかく説得され、撮影する事を決める。「人の顔」には、その人の生きて来た歴史が刻みつけられている。とても興味深い番組だった。
引き続き、金曜日フジテレビでやっていた「一年前、踏切に入り込んで自殺しようとしていた女性を助けた宮本警部を描いたスペシャルドラマ」を観る。主演は三宅裕司。途中で、「ロスタイムライフ」の放送時間になり、子供達が観たいというので、入浴し、24時過ぎ就寝。

今日は起きて3日ぶりに「ヨーガ」と「ジョーバ」を45分間し、午後、中野の「プランB」という小劇場に「マルセ太郎ビデオ上映会」に。1998年に収録された『殺陣師段平』を観る。この演目は観ていなかったのだ。小劇場は入りきれない位、人で満員。亡くなって、今年1月でまる7年。マルセさんの芸は、たくさんの人の心で生き続けている。『殺陣師段平』の上映後、休憩を挟み、「マルセさんのビデオ」を観ながら、娘さんや関係者のトークと食事会があるとの事だったが、びっしり詰め込まれた空間の中で2時間、ビデオを観ていたので疲れ、失礼する事にする。『殺陣師段平』は「黒澤明脚本」で映画化されているので、その映画の話をされるのかと思っていたが違った。マルセさんの芸は面白いし、哲学があるし、笑えて泣ける。今回も知り合いを何人か誘ったが、スケジュールが合わず、僕一人で観る事になったのが残念。是非、観た事の無い人は「最高のエンタティンメント」を観る事を強く薦める。
15年位前、マルセさんの番組を作る為、初めて神戸公演後のマルセさんと鮨屋でお会いし、「テレビは嫌だ!」と言われた事。九州の日田と小倉公演を取材した事、スタジオ収録で楽しげにいろんな面白い話をしてくれたマルセさん。自宅を2回も訪ね、6時間もお話をお聞きした事・・・すべてが「シーン」としてよみがえって来る。至福の一刻だった。
黒澤明 脚本作品 : 殺陣師段平

ジェネオン エンタテインメント

このアイテムの詳細を見る

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
長谷川幸延の原作を2度目の映画化。大正元年、新国劇を創立した沢田は剣劇に活路を見出そうとし、殺陣師の段平にリアルな殺陣の創作を依頼する。学のない段平はリアリズムがなかなか理解できず…。中村鴈治郎扮する段平の一本気な生き様が胸を打つ傑作。


内容(「Oricon」データベースより)
脚本・黒澤明、監督・瑞穂春海で贈る、近代的なリアリズムの殺陣に挑戦する男の姿を描いた作品。出演は市川雷蔵、中村鴈治郎、高田美和ほか。




マルセ太郎(まるせ たろう、1933年12月6日 - 2001年1月22日)は、大阪府出身のパントマイム芸人、俳優、ボードビリアン、劇作家。


人物

出身
1933年12月6日、在日朝鮮人2世として大阪市生野区猪飼野(現在の生野区中川)に生まれる。本名:金原正周(きんばら・まさのり)/金均洚(キム・キュンホン、김균홍)。大阪府立高津高等学校卒業後、1954年に上京した。もともと新劇俳優志望だったが、俳優座養成所の試験に落ちる。失意とヒロポン中毒の中、映画「天井桟敷の人々」を見てパントマイムを知り、マルセル・マルソーの舞台演技に影響を受けた。マルセル・マルソーにちなんだ芸名でパントマイム芸人としての活動を始めた。


芸名
1956年、日劇ミュージックホールでデビュー。デビュー当初は「マルセル・タロー」を名乗った。フランス人の芸人と会話した際、「マルセル・マルソー」と発音しても相手に通じず、仕方なくマルソーの有名な蝶々のマイムをしてみせたところ「オー、マルセマッソー!」と感嘆したのを聞き、「マルセ太郎」と改名した。 「スタミナトリオ」の名でコント活動を行った時期もある。


芸風


寄席やストリップ劇場、キャバレーの舞台などで漫談と形態模写を演じた。芸人らしからぬ眼光鋭く気難しげな顔つきと芸談好きなまじめな性格が災いしたか、長らく人気が出ず、テレビ出演もわずかだった。しかし芸人仲間や色川武大、矢野誠一、吉川潮ら見巧者からは高い評価を受けており、とりわけ動物の形態模写芸には定評があった。なかでも猿の形態模写はあまりに描写が正確で、逆に際物扱いされるほどだった。


批評
矢野誠一はマルセのサル芸をこう評している。
「内面的な描写からサルにせまり、本物のサルよりもはるかにサルらしく哀しげだ」
漫画家村上たかしは、擬人化された猿が逆にマルセの物まねをする作品を描いており、マルセの真に迫った描写に触れている。
コント「トリオ・ザ・パンチ」で人気を博した内藤陳は、なかなか売れないマルセにこう語った。
「太郎さん、あんたの芸は『お笑いの芥川賞』だな。でもな、『直木賞』じゃなきゃなかなか売れないんだよ」
(このマルセ評を、マルセ本人は気に入っていたようである。)

ある申年の正月、いくつかのテレビ演芸番組でサル芸を演じたマルセは「俺は12年に一度しか売れないのかなぁ」とぼやいた。それを聞いた立川談志は「じゃあ干支の動物全部やりゃあいいじゃねえか」と答えたという。
マルセを高く評価していた談志は、ある時、小さな酒場で行われたマルセの独演会にふらりと現れ、観客の前に立つと前説としてこう述べた。
「テレビでたけしを見る、タモリを観る...これは文明だ。今夜、この店でマルセ太郎を観る...これは、文化だ。」

芸人の傍ら、千歳烏山で夫人とともにスナック「人力車」を開業していた時期もある。店名は所属事務所「プロダクション人力舎」にちなむ。浅草の後輩にあたるビートたけしも何度か訪れたという。


独自路線
1980年代には漫才ブームをよそに、独自路線での芸を展開し、一本の映画を一人で演じ語り下ろす映画再現芸「スクリーンのない映画館」を確立した。特に『泥の河』は名演として知られている。

レパートリーはほかに『花いちもんめ』『ゴッドファーザー』『道(フェデリコ・フェリーニ監督)』『天井桟敷の人々』『息子』『椿三十郎』『ライムライト』『砂の器』や、映画以外に題材を得た『田中角栄物語』『中村秀十郎物語』『桃川燕遊物語』『ハイエナはなぜ嫌われるのか』などがある。


スクリーンのない映画館
この「スクリーンのない映画館」は、苦し紛れのアドリブと偶然から誕生した。マルセが定期的に独演会を行っていた小劇場でのことである。とある夜の公演で、ネタ切れを誤摩化すため、つい先日見た映画について語り始めた。マルセは年に100本近く映画を見る、大の映画ファンである。とある新作映画(マルセと同世代の子供の頃を描いた邦画)がいかにリアリティに欠けるものかを笑いを交えて扱き下ろし、それに比べて「泥の河」(小栗康平監督)がいかにリアルであるかを、映画のシーンの再現を含めて語ったのである。


永六輔
客席の後方に、独特の笑い声を上げる男性がいた。色川武大からマルセの話を聞いた永六輔である。永からは後日マルセのもとに「感激、ただ感激 六輔」とだけ書かれた絵はがきが届き、両者の交遊が始まる。永からのアドバイスをもとに「泥の河」を練り直して映画再現芸「スクリーンのない映画館」として舞台にかけることになる。「スクリーンのない映画館」の評判は口コミで広がり、渋谷ジァン・ジァンでの公演は毎回完売となった。

「スクリーンのない映画館」が評判になってからは地方公演が増え、マルセは全国を飛び回ることになる。各地に熱狂的ファンが生まれ「マルセ中毒患者会」が結成された。

特異なキャラクターが買われての映画出演も多く、ことに『無能の人』(竹中直人監督)での怪演は異彩を放った。

肝臓がんが明らかになっても、治療を行いながら精力的に活動を続けた。「がん」を患っていることは隠さず、「がんと共生し、しぶとく」とたびたび語っている。


「喜劇」人
1993年頃から『花咲く家の物語』『黄昏に踊る』『春雷』『イカイノ物語』など数本の喜劇の脚本を書き、各地で上演されて「マルセ喜劇」として好評を博した。生老病死に関する一見深刻なテーマを、深く、しかもあくまでも喜劇として描くタッチは、マルセ一流の人間観察と人間愛に裏付けられたものであった。なかでも、金沢に実在した知的障害者らのグループホームを愛に溢れる喜劇として描いた『花咲く家の物語』、在日朝鮮人家族の笑いと葛藤を描いた自伝的作品『イカイノ物語』は、劇作家としてのマルセの畢生の傑作である。


没後
2001年1月22日、長い間患っていた肝臓がんにより死去した。老境に差し掛かり、凄みのある芸がどう変化するのか楽しみにしていたファンも多く、早い死を惜しむ声もいまだ根強い。死後もマルセの遺志を継ぐ役者・スタッフらによって「マルセ喜劇」の再演は続けられ、笑いと感動を与え続けている。

息子の金竜介は弁護士。娘の梨花(りか)は「吟遊話人」として活動している。


書籍
「芸人魂」マルセ太郎・著(講談社、1991年)
「奇病の人」マルセ太郎・著(講談社、1998年)
「マルセ太郎 記憶は弱者にあり - 喜劇・人権・日本を語る」 森 正・著(明石書店、1999年)
「写真集 芸人・マルセ太郎」角田武/撮影+編集 武居智子/編集+文(明石書店、2001年)
「まるまる一冊マルセ太郎」マルセ 太郎, 矢野 誠一, 山田 洋次, 永 六輔・著(早川書房、2001年)



「マルセ太郎のロードショウ/スクリーンのない映画館」のビデオが発売されている。
(制作・発売:キメラ 各巻¥4200(税込み))
VOL1『泥の河』 カラー 78分VHSステレオHi-Fi CHIV-11001
VOL2『息子』 カラー100分VHSステレオHi-Fi CHIV-11002
VOL3『生きる』 カラー108分VHSステレオHi-Fi CHIV-11003


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 病室のシャボン玉ホリデー―ハ... | トップ | 19時から作るごはん »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿