歌声喫茶(うたごえきっさ)は昭和30年代に流行した飲食店の一形態。リーダーの音頭のもと、店内の客が一緒に歌を歌うことを主目的としている。伴奏はピアノやアコーディオンのほか、大きな店では生バンドも入っていた。歌われる歌はロシア民謡、唱歌、童謡、労働歌、反戦歌、歌謡曲など。店が独自に編纂した歌集を見ながら歌うこともできる。
昭和25年ごろ、新宿の料理店が店内でロシア民謡を流していたところ、自然発生的に客が一緒に歌い出して盛り上がり、それが歌声喫茶の走りになったといわれる。
昭和30年、新宿に「カチューシャ」、「灯(ともしび)」がオープン。これをきっかけに東京都内に歌声喫茶が続々と誕生する。労働運動、学生運動の高まりとともに人々の連帯感を生む歌声喫茶の人気は上昇し、店内は毎日のように人であふれ、最盛期には全国で100軒を超える店があったという。また店の看板的存在であるリーダーの中からは、上条恒彦のようにプロの歌手としてデビューした者もいた。
歌声喫茶はうたごえ運動という政治運動において大きな役割を果たしたが、それだけでなく、集団就職で地方から単身上京してきた青年たちの寂しさを紛らす心のよりどころでもあった。
昭和40年頃をピークに歌声喫茶のブームは急速に衰退、その後の10年ほどでほとんどの店が閉店した。現在も営業している店がいくつかあるが、客層は主に往時を懐かしむ中高年である。
今、再び「歌声喫茶」がブームになり始めている。たくさんの人と一緒に大きな声で歌を歌うのは健康にもいいと思う。カラオケボックスよりも。
ドイツ・ミュンヘンの有名なビアホール「ホッフブロイハウス」に20数年前行った時、ドイツ人のお客さんは老若男女、肩を組んで歌っていた。一リットル入るジョッキを傾けながら。その時、僕はとっても楽しい!!!!!と思った。新宿にも老舗の「歌声喫茶」がある。今度行ってみよう。http://www.tomoshibi.co.jp/utagoe/utagoe_top.html
昭和25年ごろ、新宿の料理店が店内でロシア民謡を流していたところ、自然発生的に客が一緒に歌い出して盛り上がり、それが歌声喫茶の走りになったといわれる。
昭和30年、新宿に「カチューシャ」、「灯(ともしび)」がオープン。これをきっかけに東京都内に歌声喫茶が続々と誕生する。労働運動、学生運動の高まりとともに人々の連帯感を生む歌声喫茶の人気は上昇し、店内は毎日のように人であふれ、最盛期には全国で100軒を超える店があったという。また店の看板的存在であるリーダーの中からは、上条恒彦のようにプロの歌手としてデビューした者もいた。
歌声喫茶はうたごえ運動という政治運動において大きな役割を果たしたが、それだけでなく、集団就職で地方から単身上京してきた青年たちの寂しさを紛らす心のよりどころでもあった。
昭和40年頃をピークに歌声喫茶のブームは急速に衰退、その後の10年ほどでほとんどの店が閉店した。現在も営業している店がいくつかあるが、客層は主に往時を懐かしむ中高年である。
今、再び「歌声喫茶」がブームになり始めている。たくさんの人と一緒に大きな声で歌を歌うのは健康にもいいと思う。カラオケボックスよりも。
ドイツ・ミュンヘンの有名なビアホール「ホッフブロイハウス」に20数年前行った時、ドイツ人のお客さんは老若男女、肩を組んで歌っていた。一リットル入るジョッキを傾けながら。その時、僕はとっても楽しい!!!!!と思った。新宿にも老舗の「歌声喫茶」がある。今度行ってみよう。http://www.tomoshibi.co.jp/utagoe/utagoe_top.html
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