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お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

スリーピング・ドール

2008年10月26日 | 本・雑誌・漫画
スリーピング・ドール
ジェフリー ディーヴァー
文藝春秋

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内容紹介
どんな嘘をも見抜く尋問官キャサリン・ダンス。尋問術を駆使し、脱獄した殺人鬼を追う! ドンデン返し満載の新シリーズ、開幕!


ジェフリー ディーヴァー、外れの無い作家。面白い。

聖家族

2008年10月26日 | 本・雑誌・漫画
聖家族
古川 日出男
集英社

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出版社 / 著者からの内容紹介
異能の一族・狗塚家の血と記憶を辿ってゆくと、浮かび上がるのは、まだ語られたことのない「もうひとつの歴史」。700年のスケールで"妄想の東北"を描く、異形の超大作2000枚!


700年、「妄想の東北」を描く発想が物凄い。

アイスクリン強し by 畠中 恵

2008年10月26日 | 本・雑誌・漫画
アイスクリン強し
畠中 恵
講談社

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内容紹介
スイーツ文明開化は酸いも甘いも運んでくる 西洋菓子屋を起こした皆川真次郎が、愉快な仲間・元幕臣「若様組」の警官達と、日々起こる数々の騒動に大奮闘。スイーツに拠せて描く文明開化・明治の青春。



実は、僕、明治時代を舞台にした小説が好きなんです。

akiko-Complete Box-(初回限定盤DVD付) by 矢野顕子

2008年10月26日 | 歌・CD
akiko-Complete Box-(初回限定盤DVD付)

ヤマハミュージックコミュニケーションズ

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矢野顕子を30年間待ち続けた男…“T・ボーン・バーネット”

『JAPANESE GIRL IS BACK!』・・・通算27作目、4年ぶりとなるオリジナルALBUMは、
グラミー賞受賞のプロデューサー“T・ボーン・バーネット”を迎えた傑作。

『JAPANESE GIRL IS BACK!』・・・矢野顕子27枚目の作品は、グラミー賞受賞音楽プロデューサー“T・ボーン・バーネット”をプロデュースに迎えた4年振りにして渾身のオリジナル ALBUM。
鮮烈なデビューを印象付けた自身の1st ALBUM『JAPANESE GIRL』でのロサンゼルス・セッションから30年。
再び彼の地にて制作された今作は、矢野が、プリミティブな衝動をもって表現に向かったアーティストとしての原点に立ち返りながら、
鬼才マーク・リーボウら熟成された技術を持つ辣腕ミュージシャンと最高の音楽を紡ぎだす一期一会の瞬間を逃すことなく捉えた真実の記録です。
全曲ロサンゼルス、ニューヨーク録音による10曲収録。

通常盤(YCCW-10089)に加え、10曲中6曲を英語詞とした英語盤、さらにALBUM収録時の模様や、リード曲「変わるし」のPVを収録予定のDVDを加えた初回受注限定生産3枚組。


遠くまで届く美しい声が最高!坂本龍一と離婚したんだっけ?

クラッシュ by ポール・ハギス

2008年10月26日 | 映画・DVD・ビデオ
クラッシュ

東宝

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Amazon.co.jp
タイトルの「クラッシュ」とは、「ぶつかり合う」こと。肉体的、物理的なクラッシュから、心と心の触れ合いまでが含まれる。『ミリオンダラー・ベイビー』の脚本家であるポール・ハギスが監督・脚本の本作は、ロサンゼルスでの2日間の人間ドラマを、心に突き刺さるほどの「クラッシュ」とともに描いていく。登場人物は、地方検事とその妻、黒人刑事と同僚でスペイン系の恋人、TVディレクター夫妻、雑貨店を営む家族、鍵の修理屋など、さまざまな階層・人種。職業だ。
無関係のようにみえた人々が、人種間の偏見、そこから生まれる憎悪が引き起こす事件によって結びつけられる。急展開ながら、登場人物の交通整理のうまさに引き込まれるのだ。警官からセクハラまがいの仕打ちを受けた女性が、その後、彼と思わぬかたちで再会するシーンなど、何カ所か、本当に背筋の奥までゾクッとさせるショッキングな描写もある。俳優たちも、ほかの出演作とは明らかに違う迫真の演技を披露し、最後まで観る者の目を釘付け。全編に漂うのは、いまだに差別に満ちたアメリカの現実だが、ラストシーンでわずかに残される希望が、静かな余韻を残す。(斉藤博昭)



ポール・ハギス(Paul Haggis,1953年3月10日 - )はカナダ・オンタリオ州出身の映画監督・脚本家・プロデューサー。主にハリウッドで活躍している。

『炎のテキサス・レンジャー』や『騎馬警官』、『L.A.ロー』などのテレビシリーズの監督・脚本・プロデュースを手がけ、エミー賞を受賞するなど高い評価を得る。映画脚本としては初めての『ミリオンダラー・ベイビー』でアカデミー賞にノミネートされ、作品賞を受賞。翌年には自身が監督、脚本、製作した『クラッシュ』で作品賞と脚本賞を受賞した。脚本を手掛けた作品が2年連続でアカデミー作品賞を受賞するのは史上初の快挙だった。他にも007シリーズなど話題作の脚本も手掛けている。


主な作品
ミリオンダラー・ベイビー Million Dollar Baby (2004) 製作・脚本
クラッシュ Crash (2004) 監督・製作・原案・脚本
007 カジノ・ロワイヤル Casino Royale (2006) 脚本
父親たちの星条旗 The Flags of Our Fathers (2006) 脚本
硫黄島からの手紙 Letters from Iwo Jima (2006) 製作総指揮
告発のとき In the Valley of Elah (2007) 監督・脚本


ポール・ハギスの「脚本」は本当に素晴らしい。

宇津木魂 女子ソフトはなぜ金メダルが獲れたのか

2008年10月26日 | 健康・スポーツ
宇津木魂 女子ソフトはなぜ金メダルが獲れたのか (文春新書 666)
宇津木 妙子
文藝春秋

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宇津木さんは、北京五輪のソフトボール決勝戦の解説をしていた。優勝した瞬間、あまりの感動に「解説者」という事を忘れたのか、放送ブースを飛び出し、選手達と喜びを分かち合いに行った。それを選手達もすごく喜んでいた。感動した。

1億人の家庭の医学 最新版

2008年10月26日 | 本・雑誌・漫画
1億人の家庭の医学 最新版 (主婦の友新実用BOOKS Clinic)

主婦の友社

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一家に一冊あればいい。

世界は危険で面白い&英雄なき島―硫黄島戦生き残り元海軍中尉の証言

2008年10月26日 | 本・雑誌・漫画
世界は危険で面白い
渡部 陽一
産経新聞出版

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英雄なき島―硫黄島戦生き残り元海軍中尉の証言
久山 忍
産経新聞出版

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今、「戦争の体験記を読む事」は大事な事だと思う。

山口百恵 

2008年10月26日 | 歌・CD
山口 百恵(やまぐち ももえ、本名:三浦 百惠(みうら ももえ。旧姓:山口 やまぐち)、1959年1月17日〜)は、日本の元歌手・女優。東京都渋谷区恵比寿出身だが、幼少時を神奈川県横浜市瀬谷区、横須賀市で過ごした。横須賀市立不入斗中学校卒業。日出女子学園高等学校(現日出高等学校)卒業。 配偶者は、俳優の三浦友和(1980年11月19日結婚)、現在は東京都国立市在住、二男あり。

活動時の所属事務所はホリプロダクション(現ホリプロ)、レコード会社はCBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)に所属。

以下、氏名の表記は特記を除き「百恵」で統一する。


 来歴

デビューまで
1972年12月、オーディション番組『スター誕生!』で、牧葉ユミの「回転木馬」を歌い、準優勝、20社から指名を受ける。


芸能界デビュー
1973年4月、映画『としごろ』に出演し、5月21日に同名の曲で歌手としてもデビュー。森昌子・桜田淳子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれた。当時のキャッチコピーは「人にめざめる14才」。

デビュー曲の「としごろ」は、スタッフの期待以下のセールスに止まったため、第二弾の「青い果実」ではイメージチェンジを図り、大胆な歌詞を歌わせる路線を取った。これは「青い性路線」(「性典ソング」)と呼ばれるようになり、それは1974年の「ひと夏の経験」の大ヒットで大きく花咲くこととなった。年端のいかない少女が性行為を連想させるような際どい内容を歌うという、この「青い性」路線で百恵は絶大な人気を獲得することになる。歌詞の内容は際どかったが、辺見マリや夏木マリ、あるいは1970年代に復活した山本リンダなどのセクシー路線の歌手と違い、百恵は年齢が低くビジュアル面では純朴な少女というイメージだった。歌とビジュアルのギャップ、それに伴うある種の背徳感が、百恵の人気を独特なものにしていったと言われる。これは百恵の芸能人としての資質によるだけではなく、所属事務所やレコード会社による周到なイメージ戦略の賜物でもあった。

『ひと夏の経験』の大ヒットした1974年には青春映画の名作『伊豆の踊子』に主演し、演技でも評価を得る。この映画で共演した恋人役の三浦友和とはテレビドラマやCMでも共演し、共に絶大な人気を博し、二人は「ゴールデンコンビ」と呼ばれた。百恵の主演映画13作のうち12作は三浦友和との共演である。

映画デビューした1974年10月からはTBSのテレビドラマ赤いシリーズ(いわゆる大映ドラマ)でも好演、高い人気を集め、6年にも及ぶ人気ドラマとなる。

1976年 にはブロマイドの年間売上成績で第1位に輝いた。この年リリースされた「横須賀ストーリー」から阿木燿子・宇崎竜童夫妻の作品を歌い、新境地を開く。結果として引退まで歌うことになる宇崎夫妻の作品の数々は、大ヒットの連続で、百恵の世界を決定的に形作った。しかし、この二人を作家として指名したのは、周囲のスタッフではなく、百恵本人だったという。

1978年の第29回NHK紅白歌合戦では紅組のトリを務めた。ポップス系のトリは、同年白組のトリを務めた沢田研二と共に初めてのことであった。最初に百恵のトリが決まり、百恵の婿選びという事で沢田が決まったが、大トリは先輩の沢田となった。また、10代の歌手が紅白のトリとなったのも百恵が空前絶後である。その記録は未だに破られていない。

所属事務所「ホリプロ」が東京都目黒区に建てた自社ビルは、百恵の成功によるところが大きいことから「百恵ビル」と呼ばれることもある。

1979年には、評論家の平岡正明が『山口百恵は菩薩である』を著すなど、多くの文化人に現代を象徴するスターとして語られた。歌も映画もヒットすることにより、美空ひばりに匹敵するような「女王」という称号も奉られることになる。写真家篠山紀信は百恵のデビュー当時からモデルとして撮り続けて来たが、度々、印象的な写真を発表し、注目を集めた。

当時の人気作詞家だった阿久悠は、百恵を「時代と寝た女」と評した。また阿久は『スター誕生!』の審査委員長であったが、同番組出身である百恵には作品を一切提供していなかった。その理由のひとつとして、「当時は桜田淳子に(詞を)書いていたから、同系統の歌手には書かないことにしていた」と、阿久自身が述べている[6]。


結婚発表と引退宣言
1979年10月20日、大阪厚生年金会館のリサイタルでその役柄のイメージのまま、「私が好きなのは友和さんです」と、三浦との恋人宣言を突如発表する。原因はその前日の10月19日の夜、某週刊誌にフォーカスされたのがきっかけである。そして翌1980年3月7日には三浦との婚約と同時に、「わがままな…生き方をわたしは選びました。(中略)お仕事は全面的に、引退させていただきます」と芸能界引退を公表し、ファンに大きなショックを与える。その一方で、迫り来る引退を視野に入れた形でのレコードのリリースや公演の予定を発表。1978年のキャンディーズで定着した引退記念興行が大々的に展開されることになった。

1980年10月5日、日本武道館で開催されたファイナルコンサートでは、ファンに対して「私の我が儘、許してくれてありがとう。幸せになります」とメッセージを言い残し、そして最後の歌唱曲となった「さよならの向う側」で堪えきれずに、涙の絶唱となった。その後、百恵がマイクを置いて、舞台裏へ去っていったシーンは、ファンの間では伝説となっている(なおこのマイクは現在小樽にある石原裕次郎記念館に展示されている。

ファイナルコンサートの翌日である、10月6日に放送された『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)の引退特集番組では、百恵と同じホリプロ所属の先輩だった和田アキ子、かつて花の中三〜高三トリオとして活躍した桜田淳子と森昌子、女性歌手仲間として仲が良かった岩崎宏美・太田裕美・ジュディ・オング・高田みづえ・アン・ルイス、男性歌手では新御三家の郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎など[8]が、百恵の最後の雄姿を見守った。この夜ヒットの放送は、歌謡番組史上の傑作として現在も語り草となっている。尚、この当時の同番組の司会者であり、引退直前まで親しい間柄でもあった芳村真理はこの回の放送につき、番組勇退後の著書の中で「いつもはスタッフ達の怒声も飛び交い、にぎやかなスタジオであるはずが、この時はとても静かで、感動的だった」「番組の放送が終った後も、みな去るのが辛く、VTRも回しっぱなしでお別れ会が続いた」と放送時のスタジオの様子を振り返っている。

現役最後のテレビ生出演は、10月13日放送の『山口百恵スペシャル ザ・ラスト・ソング』(日本テレビ)である。この時には、もう一切の涙を見せずに晴れやかな笑顔でサラリと手を振って、秋桜の花道の向こうに消えていった。正式な完全引退は10月15日のホリプロ20周年記念式典である。その時に歌った曲は「いい日旅立ち」である。引退時は21歳(22歳の誕生日の約3か月前)で、芸能人としての活動は僅か7年半程だった。


結婚
結婚式は11月19日に東京都港区の霊南坂教会、披露宴は東京プリンスホテル・鳳凰の間で招待客1800人が出席して行われた(仲人は大映ドラマで百恵の父親役を数多く演じた宇津井健夫妻、友和側の主賓は東宝社長・松岡功、百恵側の主賓はCBSソニー会長・大賀典雄)。百恵の父親代わりはホリプロ社長・堀威夫。披露宴の司会はメインが岡田真澄、サブが徳光和夫であった。

同年刊行されたエッセイ『蒼い時』は、複雑な生い立ち、芸能人としての生活の裏面に加え、恋愛や性体験についても赤裸々につづられており、12月までに200万部を超える大ベストセラーになった。同書の仕掛け人といえる残間里江子にも注目が集まった。


引退後
引退後も常にマスコミやファンからの注目を集めているが、一貫して芸能界とは距離を置いている。ただし作詞家として活動したことがあり、1982年にアン・ルイスに提供した「ラ・セゾン」がヒットしている。

私生活では2人の息子をもうけた。私生活に執拗に迫るマスコミと小競り合いを起こしたこともある。また三浦・山口夫妻宅に強盗が押し入る事件も発生したが、幸い大事もなく解決している。友和によれば百恵は、プライバシーが脅かされる生活に「私は、これ以上芸能界にいたことを後悔したくない」と漏らしたという。長男の通園に備えて、自動車教習所に通い始めたころには、教習所の周りを百恵を狙ったカメラマンが囲み、苦悩したという。友和が人権擁護局に助けを求めた翌日には、カメラマンは一人も来なくなったという。

現在はキルト作家として活躍。作品が東京国際キルトフェスティバル等の展示会に出品されることも多い。元トップアイドルという肩書きによってではなく、その作品の完成度から、支持を集めている。

節目ごとに多くのベストアルバムが発売されている。デビュー30周年にあたる2003年には未発表曲1曲を含む24枚組CD-BOX『MOMOE PREMIUM』が発売され、このヒットによりブームが再燃した。レコード会社の商業戦略という側面も否めないが、ブームとは関係なく、時代と国民に愛された永遠のアイドルスターであり、戦後日本の歌謡界においては美空ひばりに次ぐ伝説的存在となっている。

ポスト百恵として歌謡界のトップスターとなったのは、百恵の引退と入れ替わるようにデビューした松田聖子であった。

1980年のシングル「謝肉祭」は、歌詞の中で連呼する「ジプシー」という言葉が差別的表現であるとして1990年代後半以降レコード会社が発売を自粛した。このためベスト盤CDやファイナルコンサートのDVD『伝説から神話へ -BUDOKAN…AT LAST-』も不完全な形で発売されるようになった。しかし2005年5月25日発売の『コンプリート百恵回帰』(全曲新アレンジで構成)に収録されたのをきっかけに、2006年1月18日発売のライブCD-BOX『MOMOE LIVE PREMIUM』に納められたファイナルコンサートのCD及びDVDには「謝肉祭」を含むノーカット版が収録された。そして当時のシングル・バージョンも2007年7月20日発売のホームセンター向け企画CD『山口百恵ベスト・コレクション VOL.2』に収録され、9月30日に『MOMOE PREMIUM』の改訂盤として通信販売限定で発売された『Complete MOMOE PREMIUM』及び『MOMOE PREMIUM update』にも収録され完全復活を果たした。

引退25年・ホリプロ創立45年にあたる2005年、山口百恵の楽曲を使用したトリビュート・ミュージカル『プレイバックPart2〜屋上の天使』が上演された。ホリプロ創業者の堀威夫によれば、ABBAの楽曲を使用したミュージカル『マンマミーヤ』がヒットしたことに刺激され、何れは人々の記憶から薄れていく可能性がある山口百恵の存在を守っていくのが使命であると考えているとのことである。

「記憶から薄れていくことに抗う」という意味の主張を自著『百恵讃〜学生たちと先生の山口百恵』を通して展開している、同志社女子大学助教授、影山貴彦との符合性もある。


エピソード
「ひと夏の経験」を歌っていた時期のインタビューでは大抵「女の子の一番大切なものって何だと思いますか」と質問されたが、百恵は全て「まごころ」で通した。

蒼い時 (集英社文庫 126-A)
山口 百恵
集英社

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出版社/著者からの内容紹介
たとえスターでも、若い女性ならそっと胸の奥底にしまっておきたい思いがある。出生や生い立ち、恋や父母のこと…。結婚を前に山口百恵が綴った赤裸々な自叙伝。大ベストセラー。

日本武道館さよならコンサート・ライブ 山口百恵 -伝説から神話へ-

ソニー・ミュージックハウス

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内容(「GAGAデータベース」より)
一時代を築いたアイドル・山口百恵の、現在も語り継がれる引退コンサートの模様を収録したDVDを、デビュー30周年を記念して低価格で再リリース。「プレイバックPart2」「横須賀サンセット・サンライズ」「さよならの向こう側」など全29曲を収録している。


山口百恵 


山口百恵~最後の生放送出演で「秋桜」を歌う


山口百恵~友和からの電話に美しい大粒の涙


山口百恵~「秋桜」後半の歌唱が素晴らしい!


山口百恵~最後の言葉と「さよならの向う側」


山口百恵~「愛の讃歌」珍しく自曲以外を歌う


いい日旅立ち


平成生まれの人に「山口百恵」の事を知っている人は少ないだろう。時代は流れるものだ。

日記の魔力―この習慣が人生を劇的に変える・・・表三郎著

2008年10月26日 | 本・雑誌・漫画
日記の魔力―この習慣が人生を劇的に変える
表 三郎
サンマーク出版

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出版社 / 著者からの内容紹介
日記をつけはじめてみたものの、なぜか続かずに挫折する。そんな経験をお持ちの方にオススメなのが本書。日記の書き方、続け方、そして、その効果的な活用法のすべてを一冊の本にまとめたものです。
著者は日記歴30年の自称「日記の名人」であり、また駿台予備学校のカリスマ名物講師として有名な表三郎先生。「日記は人生のサポーター」が口ぐせで、人に会うと、つい日記を書くことを勧めてしまう「日記の伝道師」でもあります。
この本を読み終えたその日から、日記をつけたくなる……。そんな魔力を秘めた本です。

内容(「BOOK」データベースより)
日記の書き方、続け方、そして、その効果的な活用法のすべて。日記歴30年のカリスマ名物講師が説く、人生を成功に導く日記術。



30年以上前、駿台予備校京都校に「夏季講座」で夏休み、二年間通った。そこで忘れられない先生が表三郎さん。教え方の面白さ、上手さに驚愕したものだ。