思考の踏み込み

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処理と創造7

2014-01-30 08:17:20 | 
さて創造のことである。

日本人は常に創造力について批判されがちであった。かつては猿真似文化とさえいわれた。

本来、人種間で能力の差はないと思うが、文化的影響によってその差は出てくる。

その意味で日本人の創造力に対する指摘はけして外れていない。

なぜか?

日本という国は地理的条件によって新しいモノは常に海外から持ってくるだけで十分であった。

しかも、良悪の選択も自由に行えた。
やがてそれは新しいものを生み出すより、既にあるものを研ぎ澄まし、高めていく方向へと向けられていく。

日本の文化のあらゆるものが高い水準にあるのはこのためである。

以前、海外の新しいスポーツを紹介している番組を見たが、なんだか粗雑で不恰好なおもちゃでもみるような想いがした。

( 変なスポーツ)

しかし、創造とはほぼ全てがこの粗雑なおもちゃから始まるのではないか?

常に新しくて綺麗なおもちゃばかり選んではとってきて充足してきた日本人の感覚では、わざわざ粗雑なもので遊ぶ気が中々おこらない。

しかもたかが粗雑なものでも産むときには血みどろな産みの苦しみが伴う。

これまで日本人はそれをあえて行う必要がなかったし、その気も起こらなかった。

そう考えてくると日本人に創造力がないという批判は当たっていなくもない。
正確には創造 "力" がないのではなくてその必要に迫られにくかった、ということだが。


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