早いものであの忌まわしい巨大地震・大津波・原発事故から1ヶ月と2週間が経ちます。私の周囲では3月11日のことがどこか遠いところの出来事かのような時間が流れています、余震がなければですが。
きょう休みを利用して宮城野区の避難所の同僚や元部下の様子を身に行って来ました。陣中見舞いも兼ねたつもりです。約1時間館内を見て回り、館長等の話しを聞いてきました。こういう館長、こういう避難所もあったのかととっても嬉しくなりました。
立地条件もあって小学校や中学校ではなく、この市民センター・児童館に地域の人たちが避難してきたそうです。道路よりは幾分高いところに建っていますが、津波はすぐそばまで来たそうです。
この施設は平成7年の建設らしいのですが、その割には新しい感じがしますし、廊下やロビーが広く、また和室も複数あり、調理室、調理台も多く、ホールもあります。老人福祉センターとも併設になっていますし、施設としては部屋も多く、通路も広い。
そして何よりも、常日頃からこの施設が地域との連携・融合に腐心してきて、普段から地域コミュニティ、地域防災のために地域の住民だけではなく周囲の企業とも話し合ってきていて、顔見知りとなっていたこと、いざという時にはみんなで協力し合う下地が出来上がっていたことが素晴らしいことです。まさに、地域に開かれた、地域に根ざした、地域に愛される施設として活動してきたということです。
3月11日の地震のあと、地域の人々が続々と施設に避難してきたそうで、その数1,000人とか。施設の部屋全てを開放し、受け入れました。職員は事務室の床に寝たそうです。
それから館長をはじめとして職員の獅子奮迅の活動が始まりました。地域のいろんな企業に掛け合い、必要な物資の提供をお願いし続け、館長のヤル気、真剣さ、本気さに企業も応え、生協と付近のパンやさんが一番早かったそうですが、避難するために必要とする物資が集まりはじめました。
歯車がいい方向に回り始めると、ますますその支援の輪は大きくなり他の企業や個人も巻き込んでいくのですね。その手ごたえがあったからでしょうか、館長は、命をかけてもみなさんたちを守るからと、避難してきた人たちを前にして言ったそうです。そんなことなかなか言えるものではありません。それだけでもすごいなあと感心する以上に尊敬さえします。いくら消防出身とはいえ、すごいことです。
周りに大きい企業や理解してくれる企業が一杯あったことも幸いしたのでしょうが、館長個人の奮闘努力により、飲食物から毛布まで瞬く間に集まったそうです。館長の男意気に感じた企業や個人が協力してくれました。
災害に備えるとき、最低3日間の食料等を確保しておけとはよく言われてきたことです。3日経てば行政等も動き始めるから何とかなるということで、3日間持ち堪えるようにということでしょう。
そして自助・共助・公助ということもよく言われていることです。自分の身はまず自分で守り、次にお互いに助け合おうということ。それがお互い様という精神でしょう。共助として各部屋ごとに自立して生活してもらおうと責任者を決め、トイレや掃除、食事等の当番を決めて運営していくことがすんなりと決まったといいます。これも素晴らしいことです。
そんなことで3日間ではなく、5日間も館長をはじめとして各部屋等の責任者たちで、つまり地域の人たちだけで1,000人もの人たちの生活を守りぬいたのです。そのことを伝え聞いたNHKのディレクターから取材の申込があったそうですが、東京に行っての取材ということでお断りしたそうです。現場を離れるわけにはいきませんので。
こういうことが実際にあったということをとても誇りに思います。そしてそこまでやりぬいた指導者となったみなさんの努力、敬服するばかりです。食料や毛布等の必要な物資は行政の力を借りることなく、頼ることなく自分たちで調達してしまった。それができた。この施設に救援物資が集まるようになると、逆にここから区役所等の施設に物資を回したといいます。物流の拠点みたいになり、必要としている避難所等に配送していったというから驚きです。やる気になればここまでできるのですね。敬服、感服です。
パキスタン人で小さい子どもを連れてきた人がいたそうです。他の避難所では断られたそうですが、ここでは困っている人はお互い様ということで、受け入れて対応しました。イスラム教の国ですから、肉の食事には気を使わなければなりません。そういうこともあって他の避難所では避難を断ったのでしょうか。アメリカ人も避難したそうです。
避難させてもらったパキスタンの人が大使館の人に話しをしたのでしょう。その後パキスタンの大使や公使の人もお礼に訪れたそうです。庶民レベルでの立派な国際貢献です。
独自の活動が自然に広まったのでしょうか、口コミで広がったのでしょうか、複数の有名な政治家もこの施設を訪問しています。
仙台市の施設ではありますが、行政の支援を待つだけという姿勢ではなく、寺ブナたちで何ができるか、何をしなければならないか、それを考えて即実行、有言実行、即断即決、駈けずり回った結果、行政の支援なしでも立派にやっていけるということが証明されました。やればできるということを証明してくれました。
今まで経験したことのない事態に直面するとおろおろしてしまうのが普通でしょう。私なんかはもうパニックになってしまいそうです。でも、そういう時だからこそ、自分の責任において何が必要か、何ができるか、何をしなければならないか、考え、悩み、苦しみながらも大局的には地域住民のため、困っている人たちのためということで、決断し実行していく。出来ることではありません。それをやったから偉い。逆境で最大限の力を発揮していくなんて、今後のお手本です。
こういう地域のために縦横無尽に、無私の精神で動き回った人がいたということはきちんと記憶しておくべきことです。記憶だけではなく、きちんと記録として文書でも後世に伝えていくべきものとして残していくべきものと考えます。
きょうキャンディーズのスーちゃんの告別式が行われました。3月29日にメッセージを残していたのですね。
『必ず天国で、被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思っています。』
スーちゃんも偉いなあ、本当に。
私もじっとしていられない思い出ボランティアに行こうと出かけましたが、どうも年寄りは足手まといになる雰囲気で結局自分の事を守るのが一番と自分を納得させました。
それにしてもnewone様の紹介してくださった館長さんはじめ若い方たちのさりげない働きに感動です。
指示待ち人間ではなく、自分で考え決定し、責任を持って断固として自分の考える道を行く、そういう人がいることを誇らしく思います。