鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

よくやった、時疾風!   寒い

2024-05-01 14:18:45 | 思いつくまま
 

              

いやはや、この寒さ、何とかしてくれ!寒がりの身には堪えます。天気予報では今日の最高気温は20℃くらいになるとかだったかな。であれば、早くそこまで上がってくれ!!午前9時では14.2℃で、正午は15.6℃です。きのうはそれぞれ19.5℃と22.1℃でした。5℃から7℃くらい低くなっています。でも、これで平年並みなのかな、または平年より高かったりして・・・。       

          

いやあ、でもうれしいこともありました。今月12日から始まる大相撲夏場所ですか、みちのくは宮城県出身力士”時疾風”関がようやく幕内に上がりました。先場所までは東十両のトップでした。いやトップなんて言わない、筆頭でした。そこで勝ち越しをしたわけで、次の場所ではめでたく幕内力士誕生かと地元ではそれなりに盛り上がっていました。



        

               

テレビでは、NHKの夕方のニュース番組で毎日の取り組みを紹介していました。テレビの映像を見た限りでは、相撲の世界でははっきり言って”ちいさい””小さい”と思っていました。でも、きょうのSNS等を見ると、それでも179センチ、132キロもあるんですね。立派な体格じゃないかと思ってしまいますが、”小さい”なんて思うということはいかに周りの力士たちが大きいか、大きすぎるか、太りすぎるかということですね。

              

 

昔の初代若乃花や栃錦、初代貴乃花なんかはいまの時疾風よりも細いのじゃないですか。でも、強かった!!!足腰が圧倒的に強かった、正に強靭な足腰ということ。よっぽど日々鍛えたのだろうなあ~と思います。まじかに幕内以上の相撲取りを見たのは私がまだ子どもの頃でした。場所は評定河原球場でした。その名の通り野球場です。

             

 

そこで、本物のでっかい相撲取りを見ました。初代朝潮と松登がそこに来た筆頭かな。ともに大関だったと思います。胸毛の濃い朝潮は映画にも出たことがあったですね、いま思い出しました。「日本誕生」だったかな、卑弥呼の時代の今でいう官僚の役だったのかな、それとも兵士役か。その時の回しもカラフルなものではなく、地方巡業?だからか消防自動車のホースのような感じの堅くて地味なものに感じたなあ。

       

若い者たちに稽古をつけていたところを見たのですが、その時松登がカツを入れるのに竹ぼうきを使い、それで遠慮なく叩いていたように記憶しています。いまなら文句なしでパワハラそのものですね。昔々は根性を叩き直すということになるのでしょうか。今は昔々のお話でした。

               

 

それで、宮城県出身の幕内力士を思い出そうと努めた結果、SNSでは”五城楼”関ですが、実に27年振りの幕内力士の誕生ということです。その前は誰だったか、記憶をたどると、意外と出てきました。何のことはない、それだけ少なかったということでしょうが、青葉城関、青葉山関、そして広瀬川関の名前が出てきました。江戸時代にさかのぼれば、何と言っても横綱””谷風””がいますね。雷電為衛門は違ったっけ?まあ、こんなものです、私の記憶は(笑)。

何にしても、時疾風関の健闘を心から祈ります。足腰を鍛えて、でかいだけの力士を投げ飛ばしてください。俵に足をかけてからが勝負です、踏ん張って粘って””うっちゃり””で土俵下に投げ飛ばしてください。それを見るのを楽しみにしています。

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