鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

何ですか、この天気!?

2020-11-16 14:35:16 | 思いつくまま

 (11/15) 

昨日午後3時過ぎに堤防と川のすぐそばを歩いてみました。その時の気温は15度前後でした。さわやかで、歩いていて気持ちよかったです。川の流れのそばには、くっきりと人が通れるくらいの自然の道が出来上がっています。

   

こういうのを見ると、まさに人が歩くからそこに道ができるのだということがわかります、実感として。河原の道は当然平らではなく、でこぼこがあります。それが足裏に変化を与えるのでしょう。普段歩けないところを歩く、足裏に刺激を与えるのがいいのかもしれません。

 

河原を歩くと本当に植物は逞しい、それこそ根っから逞しいということが分かります。何しろ堤防のコンクリートの割れ目から伸びていて、葉をつけ、花を咲かせたり、実を成らせたりしているのですから。

 

その中に、前にも紹介しましたが、こういうものがあります。食べられるのですが、いまどき誰も食べようとはしないようです。何しろ食べ物は世の中にいっぱいあるのですから。常に飽食の時代を生きているわけですから。

それでいて子どもの7人に一人は貧困だというのです。ちょっと理解が難しいですが、同じ貧困でも昔と今とでは現れ方が大きく違っているということなのでしょうね。子どもの貧困やひとり親世帯の貧困というものに対して常に敏感でありたいと思っていますが、・・・・。

  (芋煮会)

(以上の写真はきのうの午後の撮影です。)

きょうは早朝から暖かい。朝5時で9.1度もありました。その後も気温は上がり10時には15.2度、お昼は19.2度です。結局午後3時過ぎの時点で、最高気温は20.7度と20度を超えました。

この時期、20度を超えていいものでしょうか。暖かいのはありがたいのですが、逆に心配になりますね、この時期に20度超えとは。20.7度は午後0時53分と1時9分の2回記録しています。

   

宮城県知事が女川原発第2号機の再稼働に向けて、いわゆる「地元同意」なるものを終了し、あとは経産省(相)に伝えるだけとなりました。この件に関してどうにも腑に落ちないというか、すっきりするものがありません。

 

なんでも東北電力による女川原発の安全対策工事は2020年度まで続く、というじゃないですか。今は2020年度です。まだあと2年もあります。なんで今なのか。何がそんなに急がせたのか。

 

自民党の古参議員は、来年秋の知事選挙が視野に入っているのではないかと言っているそうです。5基目を目指して出馬するために、原発が選挙の争点になることを何としても避けたかったのだろうと。

 

今でも電力は何とかやりくりして間に合っています。何も無理やり原発に再登場願わなくてもなんとかやっていけないことはないはずです。それこそ再生可能エネルギー開発に総力を英知を結集して対応すれば、脱原発だって夢ではないと、夢想家と言われようが、私は思っています。

 

第一、最終処分ができない、使い切った後の処理ができない原発を、クリーンエネルギーだからとか、CO2削減のためには必要だからとか、原発も含めていろんな電源を過不足なくそろえておくのが望ましいとか、いろいろ言っていますが、要は原発を何としてもなくしたくないということでしょう。

 

原発を運転できる技術をこの日本からなくしてはならない、次世代に継承していかなければならない、この技術を保持し続ければ、いつの日か75年前の日本人の悲願”原爆”をつくることができる。

 

       (この写真、なんかおかしくないですか?)

物資不足で研究がとん挫した日本(軍)の原爆製造、これを何としても成就させるためにも原発の再稼働は必要である。そしていつの日か、日本が真の独立国となったところで原爆を搭載したICBMや原潜をつくり、・・・・・。

 

            (本当はこうなのです。)

いつの日か、いつの日にか必ずや大日本帝国に2発もの原爆を投下した仇を討ちたい、仕返しをしたい、しないでおられようかという沈殿した、暗黙の、深い深い、秘密の了解事項が、脈脈と自民党系の政治家には無意識のところで流れていのでしょうか。

 

なんて夢、悪夢みたいなことを考えないでもないですが、何にしても使用済み核燃料の処分はできないのです、不可能なのです。せいぜいが地中深く数百メートルの地底に閉じ込めておくだけで、あとは長い長い時間の経過を待つしかないわけです。

 

危険の後年度への付け回し、後年度と言っても気の遠くなるような後年度ですが、地中深く埋めたら、その場所をいつまでも分かるようにしておいて、あとは神頼み、地震や噴火がないことを祈るよりほかはありません。場所が特定されていたらテロの対象となるか?

 

要は自分たちの世代で処理処分できないようなことはすべきではないということです。簡単なことです。

 

宮城県知事はこうも述べています。『私は再稼働は必要だと考えている。原発がある以上、事故が起こる可能性はある。事故があったからダメとなると、すべての乗り物を否定することになる。技術革新をして人類は発展してきた。』

この考えでいいのでしょうか? なんかおかしいなと感じます。そもそも「原発」を「乗り物」と例えていいのでしょうか。対等な、ふさわしい例えなのでしょうか。例えがあまりにかけ離れています。かけ離れすぎています。これでは例え話が成り立ちません。こんな認識だったら、なんでもOK、なんでもGOですよ。

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