仕事の帰り、途中の信号で同じ町内会のお年寄りと出会い、不思議なこと?を言われました。
すぐ近くの広瀬川で、それも本流ではない手前の細長い水溜りのようなところで人間の死体が浮かんでいたというのです。 6月の下旬頃ですか、2羽の鴨の写真をアップした流れのあるところです。
そのことを家族に話しをしても、分かってはいなかった。サイレンは聞こえたようだし、へリコプターが離着陸したようだとは言っていました。
地元の新聞の夕刊の記事の配信では、亡くなっていたのは女性だったそうで、詳しいことは何も書かれてはいませんでした。
かなり浅いところで、あの水量で自殺(としたら)するのはかなり難しいのではないかと思います。薬を飲んでの行為なら可能かもしれませんが。
何にしてもいい気持ちではありません。定点観測するためにいつも通っているところですから。
(本題)
梅田川、馴染みのあるようでまだあまりないともいえる流域15キロの小河川「梅田川」ですが、歴史はそれなりに古いようです。二級河川です。
旧仙台市街地の北端の町裏を縫うように北から東に流れています。下流域の方は河川の汚染が進み、市民から相手にされない河川となっていましたが、周辺の住民が河川環境の整備に力を入れ、その内魚も棲むようになりました。
また、そのためなのでしょうか、梅田川は河川環境保護運動の先駆けともいいます。
その梅田川の源流はどこか、二つあります。一つは「うどう沼」、もう一つは「弁財天」付近と言われています。 一枚目の写真は、その弁財天です。伊達家第4代当主伊達綱村が自分の墓所として創建したそうです。
しかし、その後墓所が”大年寺”に変わったため必要がなくなり、明治の廃藩置県まで伊達家の寄進により運営されたが、その後廃寺となり、現在に至っているようです。
上の写真は、弁財天のすぐ近くというか境内内というか、そこにある古井戸です。水はまだ出ているそうですが、今は危険なためコンクリートで固めて人が入れないようになっています。
3枚目の写真も、弁財天の境内内にある流れというか、泉というか、水が流れ出ています。 ここが弁財天付近の源流というのでしょうか。この流れの底は赤茶けています。鉄分が含まれているためだとかいいます。大昔この辺は火山流が流れてできたところだからとか。
源流が、中山地区から女子商校付近にあるなんて全く想像もしたことがありませんでした。そもそも梅田川の源流が旧仙台市内にあるような河川とは思ったことがありませんでした。 まったくお恥ずかしい次第です。 私の中で、梅田川は川の部類には入っていなかったということになります。 1個の独立した川として認めていなかったのですね。
これを機会に少しは梅田川に愛着をもって接してみようかなと思っています。