鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

少し過ごしやすくなって、

2017-01-17 13:53:13 | 思いつくまま

 きょう1月17日は阪神淡路大震災が起きた日です。もうあれから22年も経つのですか。本当に月日の経つのは早い、早すぎます。 あの日朝テレビをつけたら、びっくり仰天しました。神戸が燃えているではないですか。

 黒煙と炎に覆われた壊滅状態の神戸市。ショックでした。 全く知らない土地柄ではなく、自分も若かりし頃西宮の甲子園に住んでいて、土曜日の午後(まだ土曜日はすっかり休みとはなる前の話し)とかによく友達と神戸に出かけたものでした。

 夏ころになると風呂上りにも阪神電車に乗って三宮まで行きました。 三宮で降りて元町までぶらぶらしたものでした。三宮にはそごうデパートが、元町には三越デパートがありました。そんなことで神戸とは少しばかり縁があったもので、またその後友達がその周辺に住んでいたこともあって、友人知人たちが無事であったか大いに心配したものでした。

 阪神淡路大震災、中越地震、東日本大震災となるまでに15,6年しか経っていないということじゃないですか。 その間にも結構大きな地震は起きているわけで、ちょっと振り返ってみるだけでも大きな自然災害が起きているのです。

 まさに地震の上に立っている日本国と日本人、その割には何と忘れるのが早いというか、まだまだ我がこととして把握しているとは言い難いと、自分も含め改めて実感します。これでいいはずがないとも。

 

 今日は久しぶりに穏やかな天気というか、気温というか、ホッとできる感じです。 最低気温もマイナス(△)1.3度、最高気温は目下のところ5.7度にもなっています。 大体平年の気温に近いかな。

             (青空が綺麗です。午前9時20分頃)

  

                    

 

 いまは陽射しが眩しいくらいで、ガラス越しに外を眺めるといい天気で、ありがたささえ感じてしまいます。太陽はありがたい。

                 

 

  

      今日の鳥:

                    

 

 ちょっと古くなりますが、このところ珍しい?ものの発見が相次いでいます。 13日の新聞によると、三島由紀夫が死生観や文学論を語ったテープがTBSで見つかったそうです。 三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺する9か月前に録音されたもののようです。

   (カモたちは、本流に居たものです。)

 

 録音時間は1時間20分にも及んだそうですが、『放送禁止』扱いだったためその存在が忘れ去られていたようです。詳しくは新聞でわかりましたが、12日の夜だったかな、「ニュース23」だかで録音の一部が流されて、久しぶりに三島由紀夫の声を聞くことができました。

 

 何といっても自衛隊員を前に檄を飛ばした後、割腹し首を刎ねられたという1970年11月25日の出来事が強烈な印象として残っています。 録音テープの中では、「死が肉体の外から中に入ってきた気がするんです」 「初めから終わりまで、ずっと僕の文体は死と関係がある」等話しているとか。

 

 それと全共闘が大きな力をもっていた時の東大安田講堂での、東大全共闘と三島由紀夫の討論会というか激論があったこと、その時はよくもOKして出かけていったものだと感心したものでした。あとでその時の話の内容を読んだとき、びっくりしたことがありましたね。 確か三島由紀夫が全共闘が「天皇陛下という言葉を掲げたらな、駈けつけて共に戦うことができたのに」というようなことを言っていたように記憶しています。

 

 

 

 もう一つは14日の新聞に載っていた『龍馬「新国家」せかす手紙』 『暗殺5日前 福井藩重役宛て』 という見出しの龍馬の手紙が見つかったというものです。 

  

 福井藩士の三岡八郎を新政府に出仕させて欲しいと、福井藩重役の中根雪江に当てた長い手紙です。1867(慶応3年)年11月10日の日付で、その5日後に龍馬は暗殺されています。

 

 昔の手紙は和紙に墨で書かれているために何年ももつと言われていますが、何年くらい前でしょうか、20年くらい前かな、現代の紙に書かれた文書等は長いこともつことはない、できないと、一時大分騒がれたことがありましたね。

             

 現代の紙質とインクの技術によりつくられた本なんかは、古文書にはなれない、そのうちに紙はボロボロになり字も読めなくなると騒がれました。中性紙に書かれた文書なら長い年月ももつと言われたことがありますよね。 文化として、伝統として生き残れないと騒がれたのですが、その問題はもう完全にクリアしているのでしょうか。

  

 それとももうどうでもいいような本や雑誌が氾濫しているので、今さえ読めりゃそれでいいと社会全体で居直っていたりして・・・。 杞憂かな。であればいいのですが。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする