昨夜から雨となり、午前中まで降ったり止んだりの状態でしたが、午後からは明るくなったりの天気でした。 車からの外気温は8度でした。
(午前9時30分頃)
きょうは毎年移動する”成人の日”で、祝日です。 宮城県内ではほとんどの市町村できのう成人式を実施したようで、結果的にはよかったですね。 折角の晴れやかな衣装が雨に濡れてはがっかりですよね。
本人も家族もよかったことでしょう。 成人式を迎えられた若者のみなさま、まずはおめでとうございます。 そのうち成人となるのは18歳となることでしょうが、もうすでに社会に出て働いている人も、大学等へ通っている人も言動や行動には常に責任が付きまといます。その自覚を十分にもって大人への旅立ちをしてください。
約50年前にもなりますか、私も一応成人式を迎えたわけです。 他県にいましたが、式自体には当然?参加しませんでした。当時の大学をめぐる動きからはそういう官制の式典等は”打倒”すべき対象のものでした。 今更そんなことを言い始めてもしょうがないのでやめときましょう。
全学連の動きも活発で、いろんなセクトが入り乱れて主導権争いを行い、そのうち全共闘が結成されたりして、全国の大学は勉強どころではなくなりました。そういうことも約50年前には多かれ少なかれ全国にありました。
福島県の双葉町の成人式は3日にあったようです。 双葉町と言えば、隣の町内会に災害復興公営住宅が出来まして、現在47世帯が入居しています。 ボランティアの関係でAさんと親しくなり、いっしょに活動なんかしています。
実はきょう午前中というかお昼を挟んで、私ともう一人の二人がAさんの自宅へお呼ばれし正月を寿いできました。要は飲み食いをしたということです。私は午後からの用事があったので、12時30分頃辞去しましたが、二人は夕方位まで飲んでいるつもりのようでした。
(以下の6枚の写真は、きのう午前中に澱橋の下流で撮影したものです。)
Aさんは、双葉町で120頭の牛も飼っていたようですが、土木工事の会社の社長でもありました。でも全員双葉町を退去しなければならなくなり、仙台に来たわけです。 年は私と同じですね、好々爺という感じの人当たりのいい腰の低い素晴らしい人間ですね。
仙台に来てからも率先して避難者たちの先頭に立ち、話し合いの場をもうけ、行政とも協調して少しでも潤いのある生活を取り戻そうと努力してきました。 面と向かっては決して愚痴を言うことはなく、常に前向きに考えて行動する人です。
まったく知り合いはなかったのですが、土木会社を再建し、従業員も雇い徐々に徐々に確実に実績を積み重ねて会社の運営も軌道に乗ってきていますし、もうすでに仙台市内に土地を購入し、今年家を建てるそうです。
いつも感心するのですが、私が彼の立場だったらどうするだろうか、彼のように立ち回れるだろうかと考えるとどうしてもマイナス思考となってしまいます。 だって2011年3月11日の午後2時46分の地震と津波、そして東電の原発事故によって、突然長年生活してきた街を去らなければならなくなったのですよ。
そのことを考えると、私はもう立ち上がれなくなってしまうのではないかとどうしても思ってしまいます。 ただただすごいなあと感心するばかりです。
きのうは見られませんでしたが、カモたちは写真のように半分を沈めるだけではなく、全身を水没させることもあるのですね。 つまり素潜りです。潜っては少し離れたところから体を現わします。もう楽しそうに伸び伸びと水と川と戯れています。