鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

冷えたからでしょうか?

2015-12-28 16:36:54 | 思いつくまま

 空気が冷たい。肌を刺す。顔面の冷たいこと。 

 

                      (氷の芸術)

                    

 最低気温がマイナス1度ですか、午前11時でも最高気温は4度台のようでした。

  

      上は午前10時11分、下は11時15分頃の撮影です。

  

 きょう28日は御用納めの日。 正規非正規を問わず今年一年働いてきたみなさま、お疲れさまでした。 中には年末も年始も仕事という方もいらっしゃることでしょう。 ご苦労様です。ありがとうございます。

                 

    

        

 ということもあってきょう午前中かかりつけの医院へ行ってきました。 かなり混むだろうなと予想して行ったのですが、肩透かしを食らいました。 もう大抵の患者連中は先週のうちに薬等をもらっているようです。 いつもよりも空いていました。自分では加齢に伴う症状と思っていますが、実は血圧が少々高くなっていまして、なかなか落ち着いてくれません。まあ一病息災と言いますので、その線で付き合って行こうかと思っています。

  

 (分流に居たカモですが、きょうは逃げられてしまいました。飛んで行ってしまいました。)

 

 昨夜テレビで見てしまいました、2回目(1回目は途中からでしたが)になりますか、映画 『幕が上がる』 です。高校生の演劇部の生徒たちの葛藤や友情等を描いていましたが、この映画にも、『母と暮らせば』で主人公の婚約者役を演じた 黒木 華 が出ていました。 

 黒木 華、ハナ とばかり思っていたら ハル と呼ぶのが正しいようですね。さすが高校時代から演劇にのめり込み、大学でも演劇を勉強した人ですから演技には何とも言えない安心感と深みが漂ってきます。

 『幕が上がる』では美術の先生役だったものの、かって演劇で女王と言われたということが知れ渡って、演劇部にも関わるようになるのですが、生徒たちに愛情をもって接しつつも、厳しさも併せ持って指導は厳しい。自分自身の悩みと演劇の指導とをどう調整していくか、そこのところの表情等がうまく画面に出ていたように感じました。

 『母と暮らせば』でも抑えに抑えた演技が逆にとっても胸打つものがありました。 この女優さんは伸びますね、まだ25歳くらいと若く、将来が楽しみです。

               

 

 きのうかと思ったら一昨日でした。朝日新聞の娯楽・批評欄に 柴田翔 『されど われらが日々ー』 が”時代のしるし 戦後70年”の一環として取り上げられていました。 何かとっても懐かしいです、著者も本の題名も。

 年代的には10歳以上も離れていますし、芥川賞を受賞した本の出版も1964年ですから、私が高校生の頃のことです。記事にもありますように、舞台は1955年の日共の六全協前後ということで、直接にはなにも分かりませんが、学生時代に読みました。

  (前にも紹介しましたが、何の実でしょうか?)

 読んでの感想はもう全く覚えてはいませんが、ただ意外と淡々とした記述の仕方で、そこに思春期の青年に訴えかけてくる熱い思想性のものは感じなかった気がします。 わたしの学生時代はいわゆる全共闘時代で、三派全学連や民青、それらのセクトとの闘争という時代、勉強に専念できる状態ではなかったのですが、ある意味真剣に生きる意味を考えた時代でもありました。ただ学生の存在意義というか存在価値というものは、今よりははるかに確固としたものとしてあったように思います。思い上がりでしょうか。 幻想かもしれませんが。

 この本を書いた動機というのが、「戦争中は軍国主義的集団主義が社会の隅々までありました。戦後の学生にも、相変わらず個人主義は悪いという空気があった。自分と同じ経験をしてきたはずの連中が、なぜ集団主義に巻き込まれていくのか。それが知りたかった。」と。

 (中をこじ開けてみるのは申し訳ないようで)  

 この前昭和40年代の資料が入った段ボールが出てきて、そのなかに仙台市電の懐かしい写真なんかも出てきてこのブログでも紹介しました。 その中からは学生時代の手紙類なんかも出てきまして、開けてみたところ40年以上前のことが一気に蘇って来たものがあります。

  

 これを見て何を感じますか? 思い出しますか? 分かりますか?

    

 こう2枚をセットにすると分かる人もいるかもしれません。 現在の住所ではありません、昭和43年頃の住所かな。 その頃ここに何があったか? そして右側のゴム印 ”桜”の中の”東”は何を意味するのか?

 そうです、かってここに東京拘置所がありました。 そこに留置されていた友達からの手紙です。 検閲済みという桜のゴム印だと思います。 便箋一枚一枚の右下に押されています。 今も使っているのかどうか全く分かりません。そんなものも出てきました。 むかしむかしの話しです。

 

 

コメント (2)
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