鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

賢治と石

2013-02-21 16:20:05 | 広瀬川

 きょうも寒く、風も強い! 朝方の冷え込みが続いたせいか、朝方腰の調子がいまいちだったので、左手薬指の治療のとき腰の療養も行ってきました。 

 診療所には地元の新聞が置いてあり、一面下の「河北春秋」を見たところ、宮沢賢治は子どもの頃から石集めが大好きだったということを知りました。 何でも家族から「石っこ賢さん」と呼ばれていたそうです。 当然石を拾うのは北上川です。 筆者は賢治の石集めから、この前ロシアに落下した隕石のことを語っているのですが、最後の方で「石っこ賢さんならば 『石は自分で河原で拾うもの』 というに違いない。」と。

 ということで広瀬川の石です。 中洲です。 新聞の記事の一日前のことです。 長靴を履いて中洲を歩いていたところ、綺麗なとっても美味しそうな石を見つけました。 なぜ石を見ながら歩いたか? 「お宝鑑定団」ですか、これを見たとき石の鑑定をやっていたので、そうか、散歩するならついでに河原の石をじっくり見ながら歩こうかと思った次第です。

 ① 

 ①はものの見事に、ちょうど五つに割れていました。 大きさは20センチくらいでしたか。

 さらに下流側に歩いていくと、もう一個見つけました ②。 こっちはさらに小さく、15センチ弱くらいです。 ②は①ほどきれいには割れてはいませんでしたが。

  ② 

 岩石の種類によるのでしょうね、こういう割れ方をするのは。 それにしても自然の面白さというか愉快さ、余裕のなせる業、ゆとりの表れでしょうか。

 

 そうそうきのうですか、メディアテークで開催中の「どこコレ写真」の展示を見てきましたが、その中に牛越橋の写真がありました。

 ③ 

 小山は三居沢のほうです。大人と子どもが仲良く歩いています。横になって。 車道を平気で歩いています。 開通式直後とかいうことではないようですが、いくら当時(といってもいつか分からないのですが。分かる人は写真の前後左右に、どこでいつごろかを書いた付箋をつけていいようになっています。)車が少ないとはいえ、今では考えられないことです。

  ④ 

 ④は今日撮ってきたものです。 欄干が石から鉄のパイプに変わっています。 欄干自体が変わったのはそんなに古いことではないと思います。

  ⑤ 

 ⑤も今日の撮影ですが、写真右側の橋のたもとの御影石?は当時のままです。近代的な橋になったのは、昭和29年です。

 その前は木造の橋でした。 台風とかで大雨になったり、増水したりすると川向こうの子どもたちは休校扱いになったものです。


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