鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

11・11・11

2011-11-11 20:50:50 | お知らせ

 きょうは「豚マンの日」でもあり、「麺の日」でもあるようです。

 寒くなってきました。今までが暖かかったということでしょうが、本当に寒くなってきました。 虫の音もすっかり途絶えて、寒々しい夜となっています。 おまけに午後から小雨が降ってきたり。 きのうの最低気温は4.5度、きょうは4.3度ということです。

 今週初めから我が家のコタツは完全な冬バージョン(敷き布団も掛け布団も分厚いもの)になりましたし、風呂上りには”ドンブク”を着ています。

 寒いと言えば、8ヶ月前のきょうも寒かった。

     

 下は、上の記録写真展に展示されていた写真の写真です。 3月11日の仙台市内繁華街の様子です。 (こうやってみると、写真の写真とは見えませんね。) 雪が降ってきました。

     

 そしてきょうは3月11日から丁度8ヶ月目に当たります。 愛想のないだんまりのドジョウは、今夜ついにTPP参加を正式に表明しました。 日本のいいところ、決してなくしてはならないところは維持していくとは言っても、相手はアメリカです、威圧的高圧的なアングロサクソンです、遮二無二なりふり構わず、アメリカ流のやり方を押し付けてくることでしょう。 目に見えています。 アメリカに物申すことなんか今までの経過からして無理な話しです。何といっても、日本の外務省はアメリカの外務省(分室)ですから、外務省は喜び勇んでアメリカのお先棒を担ぐことでしょう。情けないです、悔しいです。

 東北地方・太平洋沖地震が起きてから8ヶ月が経過しました。 世の中の被災地・被災者に対する関心は残念ながら薄れてきているといわざるを得ないでしょう。 仕方のないこととも思います。 同じ被災県・被災者とはいっても、直接津波に飲み込まれてしまったところと、そうではないところとではどうしても温度差が生じてしまいます。 ともすれば忘れがちになっています。 悲しいことではありますが、それも現実です。でも、そうではあっても、やはり3月11日に起きたことは忘れるべきではない、”みちのく”に住む人間として断じて忘れるべきではないと言わざるを得ません。 福島の原発はまだまだ余談を許しません。 地震・津波・原発、これらがきちんと解決されるまでは、ズーと関心を持ち続けて、いや政府や経済界の動きを「監視」し続けなければならないと思います。

 そのためにも、”みちのく”の人間なら下記の本を読み、語り続けて行こうではありませんか。

 『6枚の壁新聞』・石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録 (角川SSC新書 130 933円(税抜き))

    

 『河北新報のいちばん長い日』 (文藝春秋社 1333円(税抜き))

    

 地元のマスコミがしつこいと言われようと、執拗に「地震・津波・原発について、復旧から復興に至るまで追いかける、追い続けることが必要です。 アナログ人間としては、テレビよりは””新聞””に根気よく取り組んでいただきたいと切に願っています。

 

 石巻日日(ひび)新聞社は、1912年(大正元年)創刊の夕刊紙で、石巻地方を中心とした「地域紙」であり、社員は経営陣を含めても28名、発行部数は14,000部(大震災前)ということです。

 地震と津波の被害をもろに受けていますが、それをものともせず、何としても新聞を発行しよう、正確な情報を知らせよう、地域の人たちが必要としている情報をきちんと伝えようという精神は全社、全社員に染み渡っており、その意気込みには頭が下がります。

 本当に津波で命拾いをした複数の記者がおり、それでも、それぞれがそれぞれの居たところで取材を継続し、責任をもって何としても必要としている住民に情報を伝えようという不屈の精神には圧倒されます。

 その精神が手書きの壁新聞を7日間作らせたわけです。 この壁新聞はワシントンの報道博物館NEWSEUMで展示されていることはみなさんご存知でしょう。また、国際新聞編集者協会から特別褒章も受けていますし、国立国会図書館のデジタル資料としてインターネットでも公開されているそうです。

 

 河北新報は1897年創刊で、宮城県を中心として東北6県を発行域とし、114年間1日休まず発行し続けてきている、地域のブロック紙です。新聞を何としても発行するのだという気概が随所に見られ、それが原動力となってここまで奮闘努力してきました。 それが伝わってきます。

 全国紙ではないことの悔しさも感じられ、だからこそ地元に寄り添い続けるという精神に繋がっています。

 この本を読んで、改めて新聞というものは、取材、執筆から編集、印刷、そして輸送(これが見過ごされがちですが、とっても大事なことなのです。)、最後に配達という一連の切っても切れない流れの大切さが伝わってきます。

 さらに本社、総局(支局)、販売店という流れの大切さも理解できました。 本社、子会社、関連会社、地区の販売店と密接な関係、潤滑な流れがあって新聞が発行・配達されるのですね。

 社内の意思の疎通を図るということのため、4月11日から2週間にわたり、報道部の記者を中心にアンケートをとったのですが、ほぼ全員の118人から回答があったということです。 それは記者の正直な胸の内を知ることが出来たこと、早い段階から各人の行動記録をまとめておけば会社の記録ともなり、将来役に立つだろうこと等のメリットがあり、この本をつくるのにも大いに役立っているのです。 実名によるアンケートでした。 これは被災した各自治体も各職員にアンケートを実施して、各部署ごとに記録しておくべきでしょう。とくに第一線で苦労した職員の活動記録はまとめておくべきではないでしょうか。 被災した会社でも実施すべきです。

 

 いずれにしても、地域紙、地元紙の存在意義や、報道はどうあるべきか、報道と救済・救援とか考えさせられました。 記者たちには今後とも地域に寄り添った新聞を作り続けてほしいと思います。 こんなにも全力で、必死な思いで記事を書いていたこと、その気持ちを持ち続けてこれからも地道に、それでいて精力的に活動してほしいと思います。

 


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