2009年08月13日
水戸から勝田までE501系普通列車でゆく。かつてはトイレがないので上野~土浦間限定運用だっただけに「いわき」の行き先が新鮮だ。現在ではトイレも取り付けられて長距離運用も大丈夫。勝田駅の側線にはお座敷列車の「ゆう」が止まっていて、その隣の線路には波動用のイルカの絵が描かれた485系もいる。「ゆう」は8月29日にポートトレイン横浜として神奈川県にやってくるのを撮影する予定であったが、今回撮影できこの夏の目標である「関東の全ジョイフルトレイン撮影」を達成できた。
勝田でひたちなか海浜鉄道のキハ3710に乗り阿字ヶ浦を目指す。途中那珂湊で下車して側線のキハ20を撮影できた。終点の阿字ヶ浦には夏だというのに海水浴客は見られず、上野駅から急行あじがうらが来ていた頃の面影は感じられない。使われない臨時改札のラッチが当時をしのばせる。ひなびた木造駅舎で、蒸気機関車の給水塔が残る。
ふたたび勝田に向かう。中根付近の田んぼの緑が目にまぶしい。勝田から水戸までE501系普通列車でゆく。じつにE501系によく当たる日である。水戸では鹿島臨海鉄道の大洗ゆきに乗る。本日の筆者はsuicaまたは現金払いだが、同行のお友達は青春18きっぷで乗っているために鹿島サッカースタジアム駅まできっぷが必要なのだが同駅は本日全列車通過ゆえ自動券売機では発売しておらず1駅手前の荒野台まできっぷを買って車掌に精算してもらっていた。分界点の駅が全列車通過なのできっぷの買い方を知らないと鹿島神宮まで買って損をする。大洗ゆきで大洗に先行し側線の列車や通路に展示されているヘッドマークを撮影して過ごす。次にやってきた鹿島神宮ゆきの単行列車は意外に混雑しているため新鉾田までは分散してすわってゆく。鹿島神宮駅に着くとホームに警察官が二人いて成田空港反対派のゲリラでも出たのか?!(鹿島臨海鉄道で昔燃料輸送をしていた)とギョッとしたが、よくわからないまま折り返しの水戸ゆきに警乗していった。
我々は鹿島神宮から113系成田ゆきに乗り換える。乗っている車両はモハ112! 車内で萌えまくっている。昭和の鉄道少年には113系のモハなのだ。ちなみにスカ色。モハ112に乗りやってきた香取駅は貨車駅舎が社殿風に建て替えられていたのが残念。ここで成田線銚子ゆきを待つ。時間が空いたので水戸で買ってきた駅弁「よしのぶ」を開く。銚子普通電車は211系3000番台で、車内でお友達と京浜東北線から捻出された209系房総仕様の投入が始まると房総地区の113系も危ないと話した。近く撮影に来なくては。
銚子から銚子電鉄の外川に向かう。同線の短いホームは観光客でいっぱいで2両編成の電車が入ってくる。駅舎の風車がなくなったのが惜しい。銚子電鉄デハ701+702の2連だ。綿ひもを編んだ網だな。木製鎧戸の日よけ。木の床にツリカケ駆動と昭和レトロな舞台がそろい過ぎている。仲ノ町にデキ3も見られた。外川駅に着く。ここは石田ひかりの写真集ロケ地なので再訪したかった駅だ。しかし観光客で混雑して感傷にひたる余裕もない。外川駅でぬれ煎餅も買う。引上線に遊覧車澪つくし号ことユ101が押し込まれ、側線にデハ301がいた。折り返し銚子に向かえば犬吠でバスツアーの団体が乗ってきて車内は大混雑。銚子までこの調子で運ばれる。ふたたび外川ゆきに乗り今度は犬吠で下車し駅前に置いてある廃車体を撮影する。銚子駅へボランティアガイドのおばさんの口上を聞きながらもどり、電車を撮影していると大阪のお友達に声をかけられた。メールで千葉方面に彼が展開しているのは聞いていたが、まさか出くわすとは思わなかった。特急しおさい14号の出発が迫っていたのであいさつ程度しか話せなかったが会えてよかった。
特急しおさい14号の自由席に乗り銚子を後にする。始発だから自由席でも余裕で座れたが途中駅から乗車だと自由席が7両あったけれど座れない人もいたようだ。東京駅で東海道本線下り普通に乗り換えて、私は川崎で降り静岡に帰るお友達と別れた。