写真:
kanegooon!作による徹頭徹尾の文字。
書道マスター(6段だか師範代だか)の腕前とストリートのセンスが混じるとこういう新種のグラフィティになるのざ。(撮影by シゲ THE Cro-magnon)

2005年。
全てのグッドな出逢いにありがとう。

全てのバッドなバイブスにありがとう。

たったいま、大徹頭徹尾から帰宅しました。

ワープ史上初の300人。

ぎゅーぎゅーで、皆さんいい顔されてて、大変嬉しいやら申し訳ないやら。


しまいにゃ、声カスカスでしたが、魂だけありったけ振り絞りました。

一筋縄じゃいかねーのが、本物のロックだってことを、
フロアも旺盛な年末グルーブ爆発で迎え入れてくれて、
ありがとう。

賛否両論にありがとう。

ひたすら、ありがとう。


今年は、人生で最も自分を褒めてやりたい気分で大晦日を迎えられます。



全国各地、いや世界の果てまでのマSSSSSSSSSッスィブ。
多大なるエネルギーをありがとう。

来年もよろしく!!


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今夜渋谷プラグにて、僕が連載しているサッカーのフリーマガジンCOPAが主催するパーティにてkamos-hita-soのライブをやります。
お近くに居られる方は是非どうぞ!


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ハタチ前後というのは、人生においてもっとも凶暴でありもっとも情熱的でありもっとも妄想的でありもっとも純粋でありもっとも非力ながらしかしもっとも可能性を宿らせた年齢である。

僕の7年ほど前を思い起こすと、犬式(当時はDogggystyle)は既に存在していて、それはスリーピースのパンクバンドで今のメンバーはまだ誰もいなかった。ドラマーなんてドロツドロツとバスドラの連打が圧倒的に早いスカコアぽい奴だったりした。そいつの希望でハイスタのマキシマムオーバードライブなんかをカバーしたりもしていたっけ。

無謀なまでの自信があって、それに突き動かされて今の人生に至った。

あの頃の自分は今にもまして大馬鹿のおおうつけで、いつだって「かぶいて」やろうとしていた。グレるってのとはまたちょっと違う、「歌舞く」感じだ。グレて逸れて行くんじゃなくて、最後の一本の歯が抜け落ちるまででもこのクソ大人どもに噛み付いたまんまぶら下がってやろうとしていた。必ず思い知らせてやると、思っていた。

社会はなんがしか間違いに満ちていると感じていたが、具体的にそれが何なのかはよく掴めなかった。プロレタリアートに憧れて肉体労働にロマンスを見出して、高給取りの親が払う大学の授業料を多少無駄にした。僕は日給を受け取ったらそれでおしまいだったが、親方は一生その埃まみれの泥臭い仕事を生業とするわけだが、こういう人たちが社会の血液なのだと感じた。会社のオフィスで高いところからたまに恐る恐る現実をつまんでみては分かった気になり、自分たちは安全で賃金の高いスノコの上から降りようとしない人々よりも、大学に行く機会に出遭わなかっただけで極めて優秀で手先の器用な職人タイプの誠実な人々はなんでお金を得られないのかが不思議だった。

収入は、世の中に対する貢献度や本質的な役割の価値によらず、どれだけ金に執着したかという事が左右するのだと、なんとなく把握したのはその後数年してからだ。一般的に言って、狡猾はサヴァイブの必須条件だ。



この頃に聴いた音楽は、一生頭を離れないだろう。


この年頃の人々に俺の話を聴いてもらいたいと最近思う事が多い。
あくまで僕の経験則から言っているだけで、当然人の心の年齢はそれぞれに誤差があるのは百も承知である。

ただ、ハタチ前後というのはいつの時代でも変革の実行者となる可能性をもつ年代であり、社会に毒しきっていない「反発力」をもつ年代であると考える。咀嚼力のかけらを身につけ始めて、自己や周りの環境への「疑い」も抱き始めている。
そして体力があって、途方もない期待感が人生を覆っている。
まだまだ未知の楽しみがたくさんあることだけ分かっていて、音楽や芸術や知識の大海に漕ぎ出していく。

この漕ぎ出しの頃の鋭すぎる感性を捉えた音楽は、一生耳を離れない。



今日は埼玉・北浦和のKYARAという小さな箱でライブをしてきた。
イベントを主催したウジカワ君は20歳で、とても誠実で情熱に満ちた青年だった。「対バン」した他のバンドもみんな若くて、うちらメンバーみんな「眩しい」ってな感じでみとれてしまったくらいだ。
でもってそういう事を感じ出すのが27歳くらいなんだなとも、感じた。

彼らの中から将来プロになるものが現れるかどうかとか、そういう話はどうでもよくて、今日最高に熱い演奏を(ほとんどがステージの真上にある楽屋で聴いたのだが)して輝いているような現在のその状態が、極めて素晴らしい人生の収穫であるとつくづく思った。

街の小箱には、そういったものが詰まっていて、犬式が高円寺のGEARなんかでライブしてた頃もそれはそれは最高の演奏会だったことを思い出した。


歳を重ねるのは素晴らしい。いろんなことがどんどん見えてくる。
しかしながら、若いってのも素晴らしい。
今日は力をたくさんもらいました。
ありがとう。浦和の若い衆。


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明日は北浦和のKYARAという小さな箱でガンツガンツ演奏します。
とても熱い情熱をもって犬式を誘ってくれたイベントなので、心意気に応えられるような我々で在りたいと思う次第であります。

東京地方も今夜雪が降るかもということで、
昨年木更津でビデオクリップを撮影した日にも雪が降っていたのを思い出します。
寒かったけれど、結果的には素晴らしい演出となって映像を彩ってくれた。

今年という一年は、バンドの名前がこれまでより広範に影響しました。
それが良くも悪くも僕の精神状態を左右する経験した事のない数のリアクションとなって還ってきました。
秋にnbsaが終わってから一時、飛び込んでくる情報量とそれに関わる感情に対応しきれなくなって、パンクしました。
リリックを書く以外の心情吐露を意図的に除外しました。


ただ、昨夜も書いたのですが、
心を勘ぐりあう社会には、
心を表わしあう社会から学べることがたくさん在ると思うので、
表現を生業としている以上、
僕には僕の相も変わらず譲りたくないスタンスがあって、
やはりそうした事にも改めて気付かされた秋でした。

日本社会はカングリー(勘繰り)精神が旺盛すぎて、
かといってよりオープンな社会に「おもいやり」や「気遣い」がないわけでもなく、僕の知る限り此の島では誰しもが一抹の寂しさと不安を抱えて生きているように思います。


自分を表わす事への橋渡しをしてくれる音楽ちう存在に感謝しつつ、
クチャクチャになった脳みそを忘れて踊り明かして、
簡単な答えをひとつふたつ見つけて、
なんかしか笑って帰れるようなライブをしたいと思います。


"「四季」presents「彩の国ROCK FESTIVAL 2005"
@埼玉・北浦和KYARA
http://www.livehouse-kyara.com
open/17:00 start/17:30
ADV.:1500 / DOOR:1800



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初めて渋谷や吉祥寺など東京以外の街でイベントを張るということで、当日本当にお客の皆さんが入場してきてくれるまでは不安でしようがなかった。

でもって、「日本の本当の音楽シーン」が何処に存在するか、ということを証明するという大義を持合せるこのイベントの選ぶディープでリアルな面子に、皆さんがどういう反応を表わすのかも、正直不安だった。

しかし犬式の表現に喰らいついてくれるような人々は、いとも簡単にこのドープな百鬼夜行のもつポップさを感じ取ってくれたようだ。

それぞれきままに気持ちよさそうに揺れるフロアを見て、本当に幸せだった。


商魂ではなく、人間らしさが表現のバイタリティであるような音楽。
300年ほど前の産業社会の誕生以来綿綿と続く悪徳、つまり現代社会に巣食う「契約と金」で人間性を牛耳る「富と権力」に屈しない、いや屈指得ない「民衆」の音楽。
レベルミュージック。


自由とは踊りのリズムであり、踊りとは自由である。
拍とは全てが「1」であり、偶数の拍子ばかりが気持ちいいとは限らない。
心とは表わすものであり、勘ぐりあうものではない。
表現とは心であり、それは元来「濃い」ものである。

本来、人間とは濃いものである。


「分かりやすさ」というハンバーガーばかりが馬鹿売れする時代に、敢えて「うちでしか食えないよ」という手打ちの蕎麦を売って暮らす。

武士はくわねど高楊枝。

侍とか安易に口にする前に、本当に清らかな強さを目指そうと思う。


時代は明らかに間違っている。

金は答ではない。
でもないと生きられない。


難しい時代に生まれたのだろうか。
いや生きるということは常時、大変である。
時代なんて関係ない。
いつだってそうである。


時代の仕組みが人を左右する?
ふざけちゃいけない。
時代の仕組みが音楽を決める?
まったくわかっとらん。考える順番が真逆だよ。

人は自発的に決める権利を持っている。
音を選ぶのは、人である。


レベルミュージック。
それは自我の発露を賛美する音楽。
一人の人間の心の不幸をも許さない音楽。
突っ張っているが、最大の抱擁を与えてくれる本当の愛。


西徹頭徹尾出演諸氏。
来客諸氏。
箱(シャングリラ)のシングルマンはじめとするスタッフ一同。
大阪という街のファンクネス。
もろもろ。
みんなありがとう。

さて、次は大徹頭徹尾だ。
行くぞ、セント吉祥寺。
決めろよ、犬式。


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昨日は仲野茂氏の家に家族で遊びに行った。
茂ちゃんはアナーキーというバンドで80年頃にデビューして、日本のバンドのルーツになった人だ。
が、俺はジョーストラマーの時と同じく、そんなことを一切知らずにこの人とも出遭っている。

兎に角、俺がもう少し若くてまだごく一部の人たちにしか認められていなかった頃から「洋平は天才だ」と言い張ってくれているおじきなわけである。

マブダチの割りに互いの素性をゆっくり語ったこともなかったので、茂ちゃんの作ってくれたきりたんぽ鍋を食べながら、あるいは屋上で焚き火しながら、いろんな話をしたわけである。変わらない45歳と変わらない27歳。我々の共通項は世界で一番年齢が関係ない人種ということなのかもしれない。

茂ちゃん、愛情のこもったゲル鍋、かよも風雅も美味しかったって話題だよ。
今度は小金井のうちに飯食いに来てください。
かよも料理うまいんだ。



でもって、明日の昼から大阪に向かいまする。

西徹頭徹尾。
あさって日曜日。
16時から。

ひゅー    っ   どーーーーーーーーん    !パラパラパラパラ。。
盛大に踊り明かそうじゃアリマセンカ!!!

素晴らしい夜に、素晴らしい人々が、少し一張羅着て、踊り明かしに来る夜。
ザッツ ライフタイム カルチャーの在り処。

おいでませー。西徹頭徹尾。


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起床。

風雅とかよと近くの公園へ。

かよとサッカー。

朝から運動はいいものです。


青森のかよの実家へ帰る予定でしたが、
忙しくなってしまったので来年に延期。


その都合でこの二日間は逆にゆっくりできました。

今宵は渋谷ROOMでnbsa IN THE ROOM。
黒犬 a.k.a.Blackdogggが出ます。

同じ頃、吉祥寺cheekyでは僕がひっそり虎バターナイト。
22時から、KENKEN from TRIAL PRODUCTION、そしてバナナレコードの店員
ZONE-B、と三人で廻します。

ウイークデイから週末へと、
虎からバターへととろけるその時間を、
今宵あなたと共に tiger butter night。。。
(わかばやしげんぞう風)


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昼過ぎからハブアイスクリーム氏のソロ作品への参加曲の収録。
たくさん面白い人に出遭った。
呼んでくれたハブ氏に感謝。
日本のヒップホップの、シーンのハッキリとした奥行きを感じた。
新旧入り乱れて、面白い。
人間が。

REC押し込み予定よりやや遅れて夕方からアジアンヒールジャム。
今回は犬式ではなくDJとして。

兎に角こういう場を提供し続けてくれる池上君はじめとする学生たちに感謝。
いつも力を与えてくれるコパサルーボ、クロマニオン、キーコ、キューイル、トシゾー(ブリスト)、トライアルプロダクション、サガラ、おおちゃん、かねごん、どらごん、キヨシ、パンチはじめエイジアのみんな、そしてそして。うーーん、とてもじゃないが全員思い出せない。俺はもともと短期的記憶力に欠陥がある。

まるでアルバムのスペシャルサンクスみたいになってキリが無いので、この辺でやめにしておこう。人選に漏れた方からの苦情は受け付けない。ピシャン。

ハブ氏の曲を此処一週間じーーっと考え続けていたから、終わってどっと疲れが出た。脚に。後半40分くらいの疲れ感。終電目指してレコード引きずりながら渋谷駅へ向かう途中、張り詰めていたものが瓦解して少しくたくたな自分に気づいた。

そういや朝から12時間以上、なんにも食べてなかった。




終電に揺られて帰ってくると、風雅がかよのおっぱいをチウチウ吸ったまま二人とも寝ていた。少し眉間に力の入ったかよの寝顔を見ながら「女は凄いのー」とつくづく思った。強い女は美しいです。母性ある限り、女は男よりも一歩神に近い存在です。

気づいたら服着たまま寝ていた。
4時間ほど昏睡。
今さっき目が覚めた。

明日は久しぶりに休める。
という前夜の一番自由な空気を堪能している。
もう一回寝よー。


写真:ハブ氏(右)とロックステディクルーのダンサーの方(名前忘れてしまった!ごめんなさい。超ナイスバイブスな人で、この日はラップを吹き込みに来てました。「初めてだよー」と緊張しつつ揚がっておりました。左)


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ラッパーは8ヴァース(8小節)のリリックを1時間や2時間でしあげてしまう。

よく目の前でウンスウンス言いながら書き上げて、ウシっと言ってからブースに入ってサクッとテイク決めてしまう現場をみては、「ラッパーのそういうとこ、かっこいい★」と思う。

むろん、フリースタイルに至っては「その場」で即興である。
むろん、蓄積したフロウとボキャブラリーのデータがものを言うわけだが。

ヒップホップは、「即」を求められるという点においては、まさに言葉を楽器にできていなければならない音楽である。
もちろん、条件がひとつだけある。
韻を踏んでいること。

これを楽しめるかどうかが(ダンスホールのDJもそうだが)味噌になる。


明日はHABISCREAM氏のソロ作品に吹き込んでくる。

今週のグロウンはガグルのHUNGER君とやった。

最近、新旧ジャパニーズラッパーとの出会いに恵まれている。

詩というかリリックというか、言葉と生き様の合点の行き方というか、吐く言葉と己の実態に責任を持ってる者同士というか。なんか俺的に面白い人が多い。


ところで、「日本のヒップホップはダサい」というようなことを言う人が未だに居るらしいが(大体そういう人は未だにJ-ラップとか言う)、それは完全なるリサーチ不足だと断言できます。否定、批判をする対象たればこそ、冷静な分析と知識の取得と咀嚼が必要なのに、それのできない人が近頃増えています。この世を捉えるときに森羅万象の全てが唯そこに在る、という事はまず認めなければならないわけですが、その最低限のリスペクトが無いためでしょう。

テレビで聴きかじった程度の人ほど、性急な結論を出してしまいがちですが、そうした態度は人生の実りを半減させてしまうものでありましょう。

ラッセルの教育論みたくな論調になってきて自分でムカつくので、このへんで終わります。


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