明日は北浦和のKYARAという小さな箱でガンツガンツ演奏します。
とても熱い情熱をもって犬式を誘ってくれたイベントなので、心意気に応えられるような我々で在りたいと思う次第であります。

東京地方も今夜雪が降るかもということで、
昨年木更津でビデオクリップを撮影した日にも雪が降っていたのを思い出します。
寒かったけれど、結果的には素晴らしい演出となって映像を彩ってくれた。

今年という一年は、バンドの名前がこれまでより広範に影響しました。
それが良くも悪くも僕の精神状態を左右する経験した事のない数のリアクションとなって還ってきました。
秋にnbsaが終わってから一時、飛び込んでくる情報量とそれに関わる感情に対応しきれなくなって、パンクしました。
リリックを書く以外の心情吐露を意図的に除外しました。


ただ、昨夜も書いたのですが、
心を勘ぐりあう社会には、
心を表わしあう社会から学べることがたくさん在ると思うので、
表現を生業としている以上、
僕には僕の相も変わらず譲りたくないスタンスがあって、
やはりそうした事にも改めて気付かされた秋でした。

日本社会はカングリー(勘繰り)精神が旺盛すぎて、
かといってよりオープンな社会に「おもいやり」や「気遣い」がないわけでもなく、僕の知る限り此の島では誰しもが一抹の寂しさと不安を抱えて生きているように思います。


自分を表わす事への橋渡しをしてくれる音楽ちう存在に感謝しつつ、
クチャクチャになった脳みそを忘れて踊り明かして、
簡単な答えをひとつふたつ見つけて、
なんかしか笑って帰れるようなライブをしたいと思います。


"「四季」presents「彩の国ROCK FESTIVAL 2005"
@埼玉・北浦和KYARA
http://www.livehouse-kyara.com
open/17:00 start/17:30
ADV.:1500 / DOOR:1800



三宅ブログ | コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


初めて渋谷や吉祥寺など東京以外の街でイベントを張るということで、当日本当にお客の皆さんが入場してきてくれるまでは不安でしようがなかった。

でもって、「日本の本当の音楽シーン」が何処に存在するか、ということを証明するという大義を持合せるこのイベントの選ぶディープでリアルな面子に、皆さんがどういう反応を表わすのかも、正直不安だった。

しかし犬式の表現に喰らいついてくれるような人々は、いとも簡単にこのドープな百鬼夜行のもつポップさを感じ取ってくれたようだ。

それぞれきままに気持ちよさそうに揺れるフロアを見て、本当に幸せだった。


商魂ではなく、人間らしさが表現のバイタリティであるような音楽。
300年ほど前の産業社会の誕生以来綿綿と続く悪徳、つまり現代社会に巣食う「契約と金」で人間性を牛耳る「富と権力」に屈しない、いや屈指得ない「民衆」の音楽。
レベルミュージック。


自由とは踊りのリズムであり、踊りとは自由である。
拍とは全てが「1」であり、偶数の拍子ばかりが気持ちいいとは限らない。
心とは表わすものであり、勘ぐりあうものではない。
表現とは心であり、それは元来「濃い」ものである。

本来、人間とは濃いものである。


「分かりやすさ」というハンバーガーばかりが馬鹿売れする時代に、敢えて「うちでしか食えないよ」という手打ちの蕎麦を売って暮らす。

武士はくわねど高楊枝。

侍とか安易に口にする前に、本当に清らかな強さを目指そうと思う。


時代は明らかに間違っている。

金は答ではない。
でもないと生きられない。


難しい時代に生まれたのだろうか。
いや生きるということは常時、大変である。
時代なんて関係ない。
いつだってそうである。


時代の仕組みが人を左右する?
ふざけちゃいけない。
時代の仕組みが音楽を決める?
まったくわかっとらん。考える順番が真逆だよ。

人は自発的に決める権利を持っている。
音を選ぶのは、人である。


レベルミュージック。
それは自我の発露を賛美する音楽。
一人の人間の心の不幸をも許さない音楽。
突っ張っているが、最大の抱擁を与えてくれる本当の愛。


西徹頭徹尾出演諸氏。
来客諸氏。
箱(シャングリラ)のシングルマンはじめとするスタッフ一同。
大阪という街のファンクネス。
もろもろ。
みんなありがとう。

さて、次は大徹頭徹尾だ。
行くぞ、セント吉祥寺。
決めろよ、犬式。


三宅ブログ | コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )