一昨日4日に、隣人の市村隼人・絵夢夫妻と我が家とで近所の小金井神社に初詣に行った。で、昨年の正月にかよの大きなお腹に気を使いながら詣でた深大寺のほうまで市村氏の車で足を伸ばした。
小金井神社はいかにも地元の、ひっそりとしかししっかりと人々の心に根を下ろした小さくて古い神社である。
かたや調布の一角に突如現る江戸情緒の寺町・深大寺は、700年近く人々の間でキャッチーな参拝場所であっただけに、土産屋や茶屋が充実していて、深大寺蕎麦を食わす店も多い。寺が蕎麦の作り方などを指導したことで、この界隈は本当に寺のお陰で今も地味にではあるが、質素に栄えているとでもいう感じである。お江戸の人々の詣でる場所としては随分昔から定番であったと聞く。
正月4日目、まだまだごった返す寺院の中庭にて、昨年じっくりとご利益をもたらしてくれたといえる深大寺の商売繁盛札と厄除け守、本当にたくさんの皆さんに送っていただいた安産守りや地方のお札などを感謝とともに焼いてもらった。
それから同じ商売繁盛の札を今年も。
さらに家内安全の札と、破魔矢も購入。
厄除 元三大師降魔像
というのが、非常にデザインも凄く良くて、
とはいえご神仏を写真でブログるのも嫌なので実物は是非訪れてみてください。
別段、御仏を云々するほどじゃなく、
もっとジェダイの操るフォース的なものへの信仰のほうが深い僕ですが、
人間必死になると神頼みもするものであって、
神頼みそのものよりもその必死さが人生にとって望ましいものである
というかその必死に願う姿勢は必死の表れればこそであって、
やはりそこまで所願することは成就する確率が高いというか。
そんなようなわけで、ここ数年は初詣だけは、しっかりとやっております。
おみくじなんかもしっかりひいて、
書いてあることで身になりそうな部分はしっかり覚えて。
小金井神社で僕は「中吉」、深大寺では一家三人みな「吉」。
総合すると吉と中吉のあいだなので、
今年もしっかり地力で生きなさいってところでしょうか。
「今年も特にラッキーは期待しないでエエヨ★」
と運命が早くも教えてくれちゃいました。
根はいい加減が大好きです。
が、身はいい加減ばかりは許されない境遇が多い人生です。
望みが多いから、そうなってしまうのかもしれないが。
最近は「願う」という行為にもひとウンチクあって、
願い事は何にしようか、と迷った挙句に出てくる願いなぞは意味がなく、
何も考えずに社の前に行ってチャリンと缶コーヒー一杯ぶんくらいの
賽銭を投げ込んだら、ぱっと手を合わせて、
で即座に願うことをふたつくらいぼやっとイメージする。
そうすると、自分が今本当に願っていることがハッキリして、
「ああ、今年は欲張らず、これらだけはしっかりやらう」
という感じで、だいたいそのくらいが一番バランスが良いと、
昨年あたりは実感したものである。
的確に当てる、感じの「適当」な具合で。
(ミスターSUPERLOOSE、DJ光(BLAST HEAD)氏の人生哲学を引用しました。さすがは島人。)
今年は比較的たくさんあれこれと、友人のぶんまでお札を買ったりして、でもってその中にひっそりと自分だけのために「所願成就」の札を買い混ぜておきました。その「所願」の具体的な中身は教えられませんが、はっきりとした自分の今年の目標というやつを込めました。
子供生まれたりして、背負うものが大きくなると、
年に今くらいは敬謙な気持ちになろうという気に自然になるもので、
これは活け活けな20代前後には少なくとも僕には無かった心境でござます。
具体的な神は思い浮かべない性質ですが、
人間独り独りが持ってる霊性に目を向ける、個人的な方法は、
現代人全てが会得しておいたら非常にいいと思います。
音楽、とか真剣にやってると、バチンとあっちの世界にぶっ飛ぶことがままあるので、僕らなんぞは分かりやすいのですが、かつての職人的精神世界とか、人生における精神生活を重視するスタイルが、勤め人スタイルにももっと持ちまれたら面白いと思いつつ、それをやってのけられるのが音楽であったりもするので、まあ僕は僕のやることをやっていきますか。
正月って、一年で最も好きな季節でござます。
写真は初詣の深大寺にて、一家三人。
チビ怪獣「風たん」はお腹ん中時代以来二度目、出てきてから初の初詣。
ちちとははは、やってくるであろう嵐の一年に、決意の表れた表情でつ。