昨夜は
ハイファナスタジオでの犬式レコーディングを終えて
夜の吉祥寺で 僕の最初の現実の師匠 S.P.C.NITEのマービン(A)と
4/2のMUTEBEAT再結成のONE NIGHT LIVEで地下街の巷を騒がしている こだま和文(DUB STATION)と三人で呑んだ。



こだまさんは柔和でキラーなあの笑顔で
「大きなものになりなさいよ」
「無敵の犬で在ってほしい」
と言うた。


その言葉は今朝もまだ僕の頭に木霊している。


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高校美術の教科書検定で、画家横尾忠則さん作の作品中に「私の娘展示即売会場」などの文言が入っていることに「健全な情操の育成について必要な配慮を欠いている」との意見が付き、別の作品に差し替えられた。~横尾さんは「重箱の隅をつついて問題にしている。『私の娘』とは、私の作品のこと。イマジネーションが貧困。もっとも文部科学省とはそういうものだが」と話している。~掲載された文言の文字は1ミリ程度の大きさ~◆高3なら判断できる
 近藤孝弘・名古屋大准教授(教育学)の話 美的な表現を文字通りに解釈することが、美術教育の考え方として適切かどうかは疑問だ。一般には不道徳とされる内容であっても、高校3年生ともなれば自分で判断ができるはずで、そこまできまじめに検定をやらなくてもよいのではないか。美術の教科書から1つの作品を消し去るよりも、それが現実に行われている社会における美術の在り方を生徒に考えさせる方が有益だろう。(中日新聞)



さあこんな阿呆な国とはおさらばしよう。

阿呆な政治家や官僚を一人一人在るべき者に替えて行くのは国民の仕事だ。

俺たちがやらねで誰がやる。

1億分の1人としての己の立ち位置から日本は変えられる。

65億分の1人としての己の立ち位置から世界は変えられる。

淡々と黙々と騒々しく生々しく、ただ自分で在り続けること。

決して黙らないこと。

決して無力感に敗北しないこと。

少しでも真のクリエーションに携わる生活をしようと努力を積み重ねること。

大きな悪を見据えて「悪の大役もご苦労さん」。

大きな善を見極めて「ウレシー」。

そうした人々が子を生み子を育て、その子が孫を生み孫を育てる。

3世代で、全ては変えられる。



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中国から一度あげた五輪をとりあげて
めっちゃ最高に怒らせてどうにか戦争させようとしている

そのことによって
また儲かるビジネスジャンキーがいる

毎回世論はことが起きるまで暢気だが
さすがにもう気づきつつあるのは
またイラクんときやアフガニスタンんときや北朝鮮んときやコソボんときや
日本んときと同じことが
巧妙ですらない
白昼堂々のジャイアンルールによって
いつものごとく繰り返されている

という風にみえます。

フリーメイソンやイルミナティというワードがちらつきますが
これらをオカルト的陰謀論と一笑に付すのは
かしこぶった馬鹿としかいいようがない気がしてきました

世界はいま
1対99くらいで
99は此の世をもっと美しいものにしようと思っているが
残りの1が実権を握っていて
とにかく支離滅裂でもいいから大衆を動かしたり操作するための術数に長けていて
いかに論旨がめちゃくちゃでも嘘に満ちて暴力的であってもいいから
99に対する「1」の反論を成り立たせてしまえば
そこに「議論」という名のメディア操作がうまれることを知っている

世論やネット世論は意見の絶対数がいかようにも演出できるから
1:99の議論はまるで1:1の「価値観の相違」と映って
当たり前の意見を抱えた人間たちを天道から逸らして行く
そういう迷いを与えるには充分なわけである

民主主義という名の支配システム
なんとなく文句のいえないところに人々を追い込んでから
「さあ、意見をきこうか」とくる

バビロンの恩恵にあやかって
大切な家族や自分を養って食い扶持にする方法を「選択」した人々は
自己弁護や自分かわいさも手伝って
或いは潜在意識の罪悪感から必死に逃げるように
バビロンを擁護し不条理を盾にする
きらいがある

だれもが「私は絶対に正しい」とは思わないのが正しいのだが
そこにつけ込んで正しさをねじまげようとしている人々がいる

否定された人々はみな自信無さげにうつむいて満員電車に揺られている

それが
明確な誰かなのか
当人たちにすらもはや気づかないシステムの産物なのかは
はっきりしないが
明確な誰かたちが
システムを利用しているように見受けられる

いやシステムを作っているようにみえる

何世代にもわたって権力と富を享受してきた人々の思考回路は
一般民衆の想像をかけ離れて傲慢である可能性は高い
パワーエリートには要注意だ
それは阿呆なテレビで「セレブ」呼ばわりされていい気になっているような鼠たちのことではない

国会と権力とはした金の奴隷であるスケールの小さな国会議員などでも、ほとんどない


餃子もそうだし
チベットもそうだが
これは往年のABC包囲網に近いものにみえる

中国国民の国民性をうんぬんする資格は
本来どこのご立派な先進諸国にもないはずである

企業体や国家組織の腐敗は
中国だけのものではない

わがままで理不尽な性格の人が多くて
っていうならブラジルやスペインの人とつきあうのも同じくらい大変だし
そもそもそれを難儀に思うのが日本人である
というだけの話かもしれない


新聞やニュースというメディアの字面の向こうにある「報道の意図」をよめば
おおまかな此の世の流れ・仕組みがわかれば
チベットのこともじっくり長い目で冷静に注視しなければ

感情に訴える策略にはまって大衆ヒステリーを巻き起こし
それこそ誰かの思うつぼなのかもしれない


此の世の構図について勉強し
自分で金を払って本を買い
時間(歴史)と空間(地理や幾何学)についての考察を深め
己という個人の立ち位置を理解し
己という個人のなすべきことをやっていけばいい


そうなるとやっぱり
くだらない民放のドラマやヴァラエティに
脳みそや鼻くそほじりながら時間を奪われている
多くの日本の若者などは
はっと
目覚めて欲しい


昔イラクまで自分でいって殺された青年がいたが
かれを馬鹿だと断罪した多くの動かぬ人々による怠慢な人生への態度こそが
(もし存在するなら)強大なフリーメイソン的支配勢力にとっては
おもうつぼなのだろう

生きたまま死ぬよりは
冒険者としてリスクを背負い
その精神を永遠に生かすほうが
幸せだと思う
いや
幸か不幸かなどという天秤でもなく
それが使命なのだとしたら
その道を歩まねば
真の喜びも心には生じないだろう



ところで最後に
プロレスにもK-1にもサッカーにも興行主が必ずいて
ふたつの組を闘わせて利を得る商売は太古から何処の世界にも居るものだが
例えば、政治家とは限らない国家と国家の超上層が
ビンラディンと米政府に噂されるような関係性でもって
自らが支配するところの国家と国家を戦争させて
国家などというまやかしの枠組みの向こうで
仲良く儲けていたりするという可能性は
人間のいかにもやりそうなことではある
とも思う

彼らは非難の矛先を振り分けるのが上手で
近頃は「戦争」と「平和」という言葉すらをも「死語」化させることによって
その議論をウンザリとした空気のものに仕立て上げ
「小さな政府」による「小さな紛争」の種をばらまいている
だがどれも一度火がつけば
連鎖的に爆発する仕掛け花火のようなものなのだ

戦争の仕掛人を見つけ出し
花見にでも呼び出して説教をして
哭いて謝ってもらおうじゃないか

意外と間抜けなくらい
彼らは隠れていない気がする


追記3/26:さりとて私は中国共産党による旧時代的な独裁政治を肯定するものではなく、中国という歴史とそこかしこの街角の人々とその文化それそのものに敬意を表するものであります。そしてまた、国際的な非難にさらされる「中国政府」の諸問題は、何処の国でもそうであるように、外部からではなく、内部から国民たちの自意識によって解決されるべきであります。それを「促す」べく努力をするのが国際社会の役目であり、またそれが容易にできる強大な力を持った人々がそのために尽力せずに、ただいたずらに中国政府を苛立たせ追い込む方向に流れがあるのは、つまりそうした力を持つ人々が中国国民の精神的自立とは逆の目的に尽力している動かぬ証拠だと思います。


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デジタルという概念は
僕の世代だとものごころついたころには既にあり
その根源的な成り立ちを知らぬまま
どうしてもアナログなもののほうが好きでした。
逆に僕らよりひとつふたつ上の世代(30ー35歳くらい)
のほうがしっくりとデジタルな概念に馴染んで行った気がします。

あくまで一般論ですが。

しかし最近、
例えば写真や書類のデータの「整理」と「分類」さえしっかりやれば
これらは非常に仕事のスピードをあげてくれることがわかりました。

紙資源の削減のためにも
書類を減らしてデータで扱って行く術を身につけることは
全人類で取り組んでいくべき仕事ですね。

それでも
パソコンで書くリリックと
筆で紙に書くリリックは
明らかに違うので
両方をうまく使い分けていきたいもので
そのくらいの柔軟性は
僕らの脳みそは発揮できると

とりあえずそう思うことが

脳内にあたらしい回路を作って行く最初の一歩だね。

心持ち。
ってやつは、全ての根源で
凄いことをやってのける
ってのは、意外とそういう簡単なところから始まっていたりする。

生活においてもそうですが
「整理」と「分類」
総じて「振り返り」の時間は
先へ進むためにもむしろ大切なんだと実感しています。

進もう進もうとばかりすると
かえって足元が乱れていくので
振り返って「型をつける」習慣はとても大事なんだな。

淡々と黙々と
騒々しく生々しく
繰り返し続けて行く
好も不調もありますから。

これが近頃の信条です。


写真)nbsa+×÷KIDZ
先日は国立地球屋へOKI GOMA NUMAZAWAセッションとクロマニオンをみに
keyco母子とうちの娘・風雅を連れていってまいりました。
満員の地球屋で子供らの体力は30分ともちませんで
大人は到底ライブを楽しめませんでしたが
それでも匠の音楽に気勢をあげる娘たちの姿に
間違いの無い何かを感じられるのでした。
ぎゅーぎゅーの中で肩車30分で、
すげー筋肉痛。

子供いると思い通りにいかないことが多いけれど
そもそも大人の「思い通り」の見立てが甘いだけなんだと
近頃やっとわかってきた次第であります。

いい休日でした。


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普段考えていることを言葉にすると哲学になる

いつも感じていることをつとめて言葉にするのは自分によく語りかけている人であり人によく語りかけている人だろう

学歴も教養も関係なく
哲学している人はあらゆる階層に居て
自信に満ちながら思ったり悩んだりして

居る


それらをなるべく明瞭に
もしくは不明瞭ゆえに直感的に
しかし人に伝える意思の強さを持った形で
あらわすと哲学になり
そして同じことが芸術にもなる

だから本当の芸術は哲学になる

言葉を尽くすと難しいと煙たがれる時代になったが
言葉に対しては貪欲であるべきだし
一言が千文字を凌駕することだって

在る


だから言葉はガンガン仕入れると面白い

人間とは元来みな詩人であって
すべての吐き出される言葉は詩であってリリックであってライミング
しかもそれら全てがほとんど無料ときたら
これをディグらないのは勿体ないだろう

そして言葉を知り
己を追い込める人は
精神を鍛える術を学び
大きな山をクライミング
登り越えたところに在る
素晴らしい世界の存在に気づくことができる

そうして茨ながらも自由で覚醒した信念の道を歩み始めることができる


言葉は諸刃の剣だから
たくさんの問題を起こしてくれるので

たくさんの解決を教えてくれる


言葉は己の矛盾に気づかせてくれ
この世の定義の不明瞭さを教えてくれる


このカオスを行き越えたところにある
突き越えた言葉の世界に
新しい意識の大陸がある


意識の新大陸 フレッシュ。



ティモシー・リアリー博士のドキュメンタリーDVDを観て思ったこと


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3月13日(木)
『虎バターナイト 25』@ 東京・吉祥寺 BAR CHEEKY

OPEN 22:00

entrance fee
music charge ¥1,000
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<LIVE >(25時~)

三宅洋平(犬式 a.k.a Dogggystyle)
大竹重寿(Cro-magnon)
live mix : 新谷"J"仁和(Cro-magnon)


<DJ >

MKY(inushiki / tetto-tetsbi)
大竹重寿(Cro-magnon)
新谷"J"仁和 (Cro-magnon)
KAZ (BLUE HEAVEN)



シゲおじさんの登場だよー
大徹の名ルポのご褒美にKAZ君も廻すよー
Jも最近DJがいいね
ライブも楽しくなりそうだ!
(MKY)

Cheeky
tel.0422228005
武蔵野市吉祥寺本町1-30-10ウィスタリアB1F
http://www.bar-cheeky.com


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昨夜は皆さんありがとうございました。


毎回そうなのですが
これまでの徹頭徹尾のどれとも違う
昨夜だけのユニークな顔ぶれが
アーティスト・スタッフ・お客さんの織りなす大きな人間モザイクを形成していました。

イベント運営上の現実的なテーマとしては
チケットの販売枚数を200枚(とちょっと)に限定したことで
イベント空間に存在するお客さんと出演者・関係者の総数を300人以内で維持し
これまでで一番快適な空間を用意できたのではと思っています。

また、箱、イベント双方のスタッフの著しい成長がみられて
これは個人的にはもっとも嬉しい収穫でした。



カオスの中から立ち上がり
また何かを形づくり
そしてまたカオスに飛び込み脱皮していく。

そうすることで
全ての思い込みを打破しながら
偏見や先入観に捕われない
新鮮な自分で居続ける。

GET OUT FROM THE BOX
し続ける。

意識の新大陸フレッシュ
FLESHにしてFRESH。

意識の大陸みつけたら 名前はつけずに暗黒のまま
右に寄れて左それて 名もなき道ばたの花
この旅路は 誰のもの
その話は 誰のもの...


山形から
大阪から
名古屋から
福岡から
神戸から
島根から
広島から
北海道から
群馬から
長野から
湘南から
武蔵野から
練馬から
国立から
渋谷から
町田から
お膝元吉祥寺から

ぱっと思いつく限りでも
遠方から地元まで
本当に日本中から人々が
火とビート掲げて
このパーティのために集まって来てくれた
そのエナジーに
その活力に
心からのリスペクトと感謝と
そして希望を感じました。

ひとつの文化として
淡々とあり続けること
黙々と騒々しくやり続けること。

あのフロアが在り
そして自分のスタンスで踊り続けること。
それがレベルダンス。
示す真っ当なスタンス。
七転び八起きのセブンスチャンス。
はたまたラストチャンス。
常にラストチャンス。

右肩上がりの成長を望むのが人生なのではなくて
そういう「在り方」でいいのかなと、
それが一番逞しい文化なんだなと
このイベントも我々の音楽同様
「孫の代までよろしく」なのであります。

再会!!
再来!!
夏徹頭徹尾6/28@吉祥寺!!

皆さんにとって実り多き 春 となりますように。
でわまた 夏 に。

(大会委員長 MKY)


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俺にとってはなんらアレなんだけれど
初めて見る人にとっては衝撃なんだろうなー


吉祥寺tent store@neuro cafeにて撮影したのは先週の金曜日。

徹頭徹尾でお逢いしませほう。



衝撃映像



春徹頭徹尾 チケット在ります


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