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初めて渋谷や吉祥寺など東京以外の街でイベントを張るということで、当日本当にお客の皆さんが入場してきてくれるまでは不安でしようがなかった。
でもって、「日本の本当の音楽シーン」が何処に存在するか、ということを証明するという大義を持合せるこのイベントの選ぶディープでリアルな面子に、皆さんがどういう反応を表わすのかも、正直不安だった。
しかし犬式の表現に喰らいついてくれるような人々は、いとも簡単にこのドープな百鬼夜行のもつポップさを感じ取ってくれたようだ。
それぞれきままに気持ちよさそうに揺れるフロアを見て、本当に幸せだった。
商魂ではなく、人間らしさが表現のバイタリティであるような音楽。
300年ほど前の産業社会の誕生以来綿綿と続く悪徳、つまり現代社会に巣食う「契約と金」で人間性を牛耳る「富と権力」に屈しない、いや屈指得ない「民衆」の音楽。
レベルミュージック。
自由とは踊りのリズムであり、踊りとは自由である。
拍とは全てが「1」であり、偶数の拍子ばかりが気持ちいいとは限らない。
心とは表わすものであり、勘ぐりあうものではない。
表現とは心であり、それは元来「濃い」ものである。
本来、人間とは濃いものである。
「分かりやすさ」というハンバーガーばかりが馬鹿売れする時代に、敢えて「うちでしか食えないよ」という手打ちの蕎麦を売って暮らす。
武士はくわねど高楊枝。
侍とか安易に口にする前に、本当に清らかな強さを目指そうと思う。
時代は明らかに間違っている。
金は答ではない。
でもないと生きられない。
難しい時代に生まれたのだろうか。
いや生きるということは常時、大変である。
時代なんて関係ない。
いつだってそうである。
時代の仕組みが人を左右する?
ふざけちゃいけない。
時代の仕組みが音楽を決める?
まったくわかっとらん。考える順番が真逆だよ。
人は自発的に決める権利を持っている。
音を選ぶのは、人である。
レベルミュージック。
それは自我の発露を賛美する音楽。
一人の人間の心の不幸をも許さない音楽。
突っ張っているが、最大の抱擁を与えてくれる本当の愛。
西徹頭徹尾出演諸氏。
来客諸氏。
箱(シャングリラ)のシングルマンはじめとするスタッフ一同。
大阪という街のファンクネス。
もろもろ。
みんなありがとう。
さて、次は大徹頭徹尾だ。
行くぞ、セント吉祥寺。
決めろよ、犬式。
三宅ブログ | | Trackback ( 0 )
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前のシャングリラではヴィレッジ・・の途中で帰ってしまったので(それでもマヌケなことに終電間に合わなかったんですけど。)
いつもいつも、ありがとうございます。
犬式の音を聴くと、三宅さんの目を見ると、虚勢をはった自分が壊されてゆきます。
ウソはつけない、素直になれます。
また、1月古都でお待ちしております。
渡そうと思って渡せなかったモノ、グロウン宛てに今日送りました。
今年中には三宅さんの手元には届かないかもしれませんが。
洋平さんの写真にみねさんの横にいる自分が写っててものすごいテンション上がってしまいました(>_<)
洋平さんの話は毎回毎回心打たれます。
最近、部活でやってるボランティアが仕事みたいになってきて、なんか行き詰ってて。。
洋平さんの「いま、目の前の人が倒れたら助けるのと一緒だよ。」って言葉がすごい胸に響きました。
素直に「あぁ、がんばろ。」って。
関西にまた来てください!ほんとに楽しみにしています☆
洋平さんの「いま、近くの人が倒れたら助けるのと一緒だよ」ってことば胸に響きました。
素直に、「あぁ、がんばろ。」って。
洋平さんの言葉に胸打たれ、ライブでいやなこと全部忘れて、、犬式と出会ってまだ半年。でも、たくさんのライブを見てきました。ほんと犬式がいちばん。
また、西徹頭徹尾みたいなイベント関西でしてください。たのしみにまってます☆