(大徹頭徹尾フライヤー昨日入稿!原画:yoriko デザイン&dubwise:Big!)


イベントの仕込みにかかりっきりの一週間と1ライブ。

仕事は効率化も大事だが、結局はかけた絶対的な時間量が一番大事。
その中からこそ、合理性の手順もみえてくる。

無駄を犯さない人に、効率的な方法などみえてはこない。

だから、情熱注いだ時間の絶対量は、特に初動においては大事だ。


鬱になりそうな日常をぶち壊す一夜は心の栄養、いやそれ以上だ。
ガッツのある芸術家とそれを堪能できる咀嚼力のあるガッツのあるお客の集まりは、其処に居る全ての者にエネルギーを与え合い、高まりあってべき乗の上昇曲線を描き、昇りきって空に消える。

パッパラパーになっちまえ。
パッパラパーにさせてくれ。


12月、ふたつの徹頭徹尾が迫っている。

本日は本家・大徹頭徹尾のフライヤーが完成した。
明日は江ノ島徹頭徹尾が入稿だ。
こちらは、渋谷が中止になった後に湘南からの助け舟。よって告知期間が1ヶ月しかない!みんな、江ノ島の目の前にあるオッパーラで迎える泣きの朝はヤヴェーぞ!海も太陽も音楽もあるんだ、他に何が要る?って気分になるのだ。
フランフランで電車乗ったらガン寝して、東京着くと日曜日。
バビロンバイバスに乗って宅に戻ったら夢の続きだ!
江ノ島から還った君は起きてまたこう思うんだ。
「さあ、次は大徹頭徹尾だ!」
面倒くさい洗濯物も洗物も、ちょっと気の利いた昼飯作りも、先着50名贈呈のconomarkミックスCDRが在ればご機嫌で片付くというもの。



デザイナーBig!も俺も、入稿ハイ気味です。


「文化」って何? ―徹頭徹尾


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徹徹の情報ページをつくりました。


徹頭徹尾に関する詳しい情報はソチラにのせまる。

明日は(明けて本日)江ノ島のご機嫌な地上4階目の前海なoppa-la(オッパーラ)にて
鎌倉の飯がうまくてウッディで狭いのにライブやると50人くらい人が入れちゃう不思議なダイニングバー・spiral(スパイラル)の7周年パーティで
フリーキーマシーンやボビン、DJにクロマニの剛志といった面子で、犬式のライブは21:30からサウンドチェックがてら音出し始めて23:00までです。

明日のエンジニアは大阪WANSKstudioから、犬島さんが来てくれます。
VJはOVERHEADSです。

これは音も視覚もベルヴェットな環境が整っているので大変ゴージャスです。

いい夜に間違いない。


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いやー忙しい。

イベントの仕込みが忙しい。

12/1江ノ島徹頭徹尾
12/30大徹頭徹尾

来年春 nbsa+×÷福岡 nbsa+×÷大阪 nbsa+×÷東京

考えてます。

頭の回転が大したことない長考妄想型なもので実務と雑務が苦手です。
将棋とか囲碁が駄目。リアクション勝負のお笑い芸人も駄目。

しかしながら描いちゃった妄想は実現しないと気がすまないから
日々頑張ってます。

描いちゃった妄想といえばアルバムもそうです。

イベントの仕込みと、曲作りの時間分けが大変です。

ポン、と時間になったから急にリリック書くモードになれるわけでもないし。

そんなこんなで今日もやっとギターを手にとれたと思ったらもうこんな時間。

虎バターのお時間です。

犬式揃い踏みでセレクター。
そしてアコースティックライブ。

帆立は4時から焼きます。
青森犬人会より30枚の帆立が殻月で届いたと先ほど連絡がありました。
もちろん冷凍じゃありません。

最近気にしていることは、自然な波長を生み出し乗っかり増幅させて維持することです。何事においてもです。
「良いDJはスピーカーから出る音で箱を揺らすんだよねー。音量じゃなくて」
conomarkが東高円寺grassrootsでそう呟いたのをきいて学びました。

自我と、それが存在する場、の両方を同時にみる、というような感覚ですかね。
無我なのかもしれません。
右手と左手で同時に絵を描く、ほどむずかしいことではないと思います。

CHEEKY IS GOOD !! tiger butter night vol.20


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虎バターナイトもだいたい二年くらい経ったので20回くらいやってる思うけれどわざわざ手帖引っ張り出してきて数えるのも手間なので、次の25日の開催で20回記念とします。

虎バターナイト 第20回
10月25日木曜日 22時ヨリ ハッピーエンドまで
 吉祥寺バー チーキー
「犬式制作期間突入宣言!特集 全員集合」

DJ:三宅洋平

ゲストセレクター:犬式
アコースティックライブ有り(午前01:30ヨリ)

北の犬人から海の幸が届くという噂。
別名「帆立バターナイト」?

music charge \1000-


帆立の上手なはがし方

1.殻を外すヘラが同封される予定です。
その差し込むポイントは「殻の先端じゃなく、ふくらみの
根元にある隙間」です。
先端はしっかり閉まっちゃってなかなかヘラが入らなくて
勢いで差し込むと貝柱を切っちゃう、とのこと。

殻は白っぽい方と色が濃い方があって、濃い方を上にして
持ちます。

2.貝柱の中でも特に力の強い「小柱」を最初に外します。
隙間からヘラを下に向けて差し込む
 ↓
下の貝殻(白い方)の裏側をこすり取るようにして
殻の形にあわせてヘラを奥へ滑り込ませる

何回かヘラを滑らせると、白い方の殻が外れます。
地元のおばちゃんはヘラ2回で外します。
慣れてくると気分いいです。お手手は少々薫ります。

3.黒いところ(=うろ)は食べれません。
色の濃い殻に一式ついているうちに、うろだけ取って捨てちゃいます。
ヘラを貝柱とうろの間に立てて、何往復かスライドさせて切れば
あっさり取れちゃいます。

貝柱以外のひれの部分(=舌)もひらひらした部分(=乾かしたのが貝ひも)も
貝柱と一緒に焼いて食べれます。
好みで貝柱以外を全部捨てる人もいます。(私)
貝柱以外全部取りたい時は、うろを指でつまんで引っ張ると
だいたい全部つるっと取れます。

ちなみに「舌」の味と食感はカレイのたまごのとこと同じです。
「貝ひも」はほんとは、甘じょっぱく煮付けて日本酒といただくのが最高です。



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nbsa+×÷でも御馴染みの、ヒューマンビートボクサー日本最重量打線コンビ・太華&シャーリーによる吐息振り切れ爆笑ポッドキャストラジヲ「ブレス式」!

ラジヲとはヒューマンビートボクサーのためのメディアだったのじゃないだろうか?と初回放送を聴いて以来思っておりました。

DJをする際にもよく使わせてもらっているこの二人のビートフルトーク。

遂に放送100回を少し超えたところで、初出演と相成りまして。

パリから帰って沖縄へ向かう狭間の一日で、僕の家にブレス式チームが訪れて収録。敢えてアルバムからはマニアックな10曲目、秋実るa.k.a.山仁との『意識の第3帝国FLESHへの序章』を選曲しました。

たまたまハーブを届けに来た伏見さゆり先生(nbsaや徹頭徹尾のデコレーションで御馴染みの活花の先生)にも、宣伝かましていただいたり。

そして話題は当然、nbsa+×÷について。
今、このイベントについて思うところを厚く語らせていただきました。

あと収録終わってからカマしたセッションも収録(こっちはムービーで)しているので、なんか探せば観れるみたいです。もしか、今日の段階だとリンクはあるんだけどまだアップされてないのかも。兎に角俺はまだ観れてない!

近頃30分に番組枠が拡大したブレス式、俺も大好きなラジヲなんで、是非聴くべし!

http://www.breathshiki.com/


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前回までのあらすじ
(Limi feu パリコレションのショー音楽を担当するべく主人公「僕」はパリへと向かった。)

パリは想像以上に人種の坩堝(るつぼ)であった。

ラティールは元・仏領のセネガル出身であるから仏語は当然話せるし、パリにも何度も来ている。「パリは欧州のニューヨークだ」と言っていた。

我々のホテルがあったのは10区あたりでここら辺は黒人と中東、インド系が大半を占めているのでおよそ日本人が想像しているパリとはかけ離れた「異国」の様相を呈している。一言でいうなら「落ち着く」のである。髪の毛や目が黒いことで「浮かない」区域。其処此処を歩く人々のほぼ全てが「除かれる」ことの精神的な痛みを知っているから、何処と無く人情味に溢れる。それでも、日本人の僕とセネガル人のラティールの二人組みが闊歩しているのは目立つわけだが。なにせラティールはパリでも誰よりもデカイ。

ラティールの従兄弟のママドゥがパリ在住で、彼らが集う下町のバーには、比較的金のない白人とあとは種シュの人種がフラットに呑んだくれていて、「おお。此処は吉祥寺や。チーキーや。」と思った。


一方、ショー会場が在り、リミフーが本拠を構えていた3区のギャラリー周りは、白人が多いいわゆる「山の手」な感じである。街に不慣れなことと、僕の贅沢嫌いの偏向が手伝ったせいもあるだろうが、ここいら辺りは決して居心地が良くなかった。(だが、此処に在るセネガル料理屋 le petit DAKAR だけは、是非とも訪れて欲しい。人も最高。飯も最高。店内装飾も最高。そしてユッスンドゥールやサリフケイタに混じって、犬式の新譜をかけてくれた。ラティールと行動を共にしたため、パリに居たあいだに一番食べたのはアフリカ料理だった。)

少なくとも、タクシーが我々のペアを乗せてくれることはまれであった。

いや、ひとつお断りしておきたい。これは物心ついてからは初めて訪れるパリの、この街に他にどんな顔があるかも知らない僕の個人的な感想である。

だがラティールのビザ発行を巡ってのすったもんだや、サルコジ大統領の打ち出す移民排除政策というフィルターを通してみたこの街には、あまりに複雑な事情がたくさんあるようで、幼年期に過ごしたベルギーでの生活に常につきまとった「人種的な緊張感」というのを久しぶりに思い出したのである。

良くも悪くもない。
ただ地下鉄に乗っていても、街を歩いていても「舐められちゃいけない」という想いが自然と背筋を伸ばさせ、眼光を鋭くさせ、身なり身のこなしのひとつひとつに気をつかうのである。
そうして、周りに居る全ての人たちがそうした文化的な「異物感」の中でもまれながら、ピリっとしているのが分かる。

そうした緊張感を適度に生かして人々は己を磨き、己を知り、己をみつめ、そこから他己を捉えているのが分かった。
そうした緊張感があるからこそ、何か決定的な火種が落とされたときに、こうした人種的な感情の渦巻く火炎が一気に燃え上がって世界的なニュースとなるような暴動が起きたりするのも分かる。

そうした緊張感があるから、そこには哲学する動機が存在する。

良くも悪くもない、ただ、東京には絶対にないこの空気は、明らかに人を洗練させるものではある。

だから、そうした緊張感の稀な日本からやってきた観光客たちの緩んだ姿勢や顔つき、歩き方や格好から、それが日本人であるということは100メートル先からも判別できるし、残念ながらそれはあまり名誉なことではないと思った。

平和な国に暮らしながら、無思想・無思考に陥らないためにも、島の外へ出て世の中を見てくるというのは非常に大切な体験なんだと思う。

日本国内も、テレビが伝えるより遥かに多様で、そして世界というのは地理で教わるよりも想像を超えて広大で、事は日々変化し続けている。

旅せよ人々。国の内も外も。自己の内も外も。

それがライフタイムトラベラーとしての必須項目だ。

意識の覚醒を促すことごとに、世界は満ちている。



専横的な植民地政策のツケとして、フランスは今、自分たちが占領してきた国からの移民によって飲み込まれようとしていた。
いまさらサルコジを打ち立てても事は遅いだろう。
歴史の、因果応報を痛感した。
何教でもかまわない。ただ、神の審判は存在する。
水の流れには逆らえないし、太陽は決して西からは昇らない。

むろん、ひとつだけつけ沿えておきたい。

全ての白人が人種差別的であるとは限らないし、厳密にいえば全員が異なった自我であること。そして、昨日今日の話でいえば、移民による犯罪などが現実的な恐れとして存在するからこそ、とまらないタクシーが多いのだということ。


東京へ戻る日に、シャルルドゴール空港にて僕は単身チェックインカウンター前で便を待っていた。出演者、モデル、スタッフたちがそれぞれの便で帰路についた数時間後に、一人エールフランスに搭乗することになっていた僕は、最後の午前中に訪れたピカソ美術館で打ちのめされた一人の芸術家の恐るべき知性と感性と、アートに対する化け物じみた情熱と努力とその燃え上がった人生のあとに残された遺物たちを反芻しながら椅子に腰掛けていたのだ。

「シルブプレ!!!!」「ミスター!!!」
ポリスと軍人に大声で呼びかけられて、空港内の一番厚い壁の裏側へと避難させられた。わけもわからないままそこへ集められた人々は、心外な様子で憮然と立ち尽くしていた。

およそ10分後、預かり荷物の吸い込まれるベルトコンベアーの奥へとものものしい一隊が入っていった後に「ドン」という鈍い爆発音が広い構内に響き渡った。
そのこもった爆発音から、それが処理班によって処された爆発物であることはすぐに分かった。

テロ未遂事件に立ち会ったのは、当然ながら始めての経験である。

掃除婦の老婆がカンラカンラと笑いながら「ボンボン!」と叫ぶ。

5分後、空港はまるで何事もなかったかのようにその機能を回復し、あとから入ってくる搭乗客たちは何も知らぬままチェックインを済ませていく。

これが、パリの日常なのか、と痛感した。

これが、世界の日常なのか、と。

パリ市内に漂っていた、あの緊張感の理由が改めて分かったような気がした。

東京に戻ったときに、それは、何故かある種の快感を伴った緊張感だったと振り返られた。高濃度の酸素室の中で、頭がシャキっと冴え渡ったような、そういう空気だったのだ。

人としての充足感というのが、安穏とした生の中に埋もれていきがちな何かが、死をまといながら生きているときにこそ感じられるという皮肉な感覚。
成田から東京を横断して帰る電車内で、居眠るサラリーマンをみつめながら、居眠る人の皆無だったパリの地下鉄を思い出した。



パリコレが何であったか、リミフゥが如何様な評価を受けたかということに関しては余りに僕の領域外であるため、それらはstyle.comや日本のファッション関係者たちにお任せしたいと思う。

僕のやっている表現が、欧州でも果たせる役割が大いにあることの実感。
それにおいて足りない具体的な要素。
少なからず戴いた人々の反響。(myspaceはこういう時に本当に便利だ)
近い将来にバンドとして訪れたいし、また1個人として1年ほどこの精神的に入り組んだ広大な大陸を楽器携えて放浪したいという欲求。

これがこの度、僕が持ち帰ったものです。


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写真:直近のお気に入りCD electric gypsyland 2 近年無国籍系DJを発端に世界的にクラブシーンで注目を集めるジプシーサウンドを名だたるサウンドメーカーたちがリミックス・トリビュートした作品の第二作。Tunng/Buscemi/Shantelらは僕の中でも新しい領域への案内人として非常に気にしている人たちです。今秋の最重要アイテム間違いなし!!

パリコレいってきます。

其の前に、広島・宮島の満月祭は今年も最高でした。
山や海の野外ライブは、人は自然に還るべきだという思いを強くさせてくれるのです。ヨガのワークショップ、洗剤を使わないアクリルたわしのワークショップなどもあり、400人限定の7日間村祭りはとてもよい空気が流れていました。

DACHAMBOの面々と逢うとそれだけでニッコリします。
バンドを仕切ってるエイジ君(ベース)とも呑めたし、彼とCro-magnonのシゲと三人で今度呑もうと思ってます。

日本のバンド音楽の未来は、我々のような「自立」したバンドが担ってると、強く感じました。人それぞれで大いに結構ですが、真の自由の意味というのは、リスクを超えて味わったものにしか理解できないと思います。リスクの形も、人それぞれだけれどね。

いまインターナショナルに盛り上がってる最先端のシーンというのは、おおむねダブ・レゲエ、ソウル・ファンク・ヒップホップ(此処にはそれ以前のブルーズ・ジャズの流れも含まれる)に始まる70年代的最先端黒人ダンスミュージック(そしてREBEL)とパンク、ニューウエーブ的ロックの創造的「父親殺し」の伝統(むろんREBEL)、そして60年代を中心としたウッドストックカルチャーから続く精神宇宙の探究と、そこからの気付きから得られる現行世界(社会)システムへの懐疑はたまた翻ってそれは自己存在への内省哲学(故にREBEL)、といった要素の中に、それらの元素から発展したエレクトロ音楽のビート性と飛び性が加わって、そしていま、「トライバル(民族的)」な「アクの強さ」が大きな価値を占める時代になってきてます。つまり一周して音楽はまた民族音楽の時代に戻ったわけです。いや、戻ったのではなくて、進化したうえで最原点をまた通過しようとしています。

ワールドミュージック、などという曖昧で無知な捉えは20年前の遺物と化して、もっと具体的な地域性、民族性が先行く音楽旅人たちの耳をとらえています。

特にいま世界的に流行りだしてるのが、ジプシー音楽とエレクトロ音楽の発展的融合から生まれるバルカンビート等のようなものであったり、無論アフリカ音楽のクラブ的アプローチはもはやひとつの伝統を築きつつあるし、バイリファンキみたいなものが世界中のクラブでイベントやってたり、いや、勉強不足の小生ではまだとらえきれていない中でも、BBCワールドなどの良質な番組においてUKの伝統として「世界中のローカル音楽を拾い出して紹介して自分のものにする」的な動きが、非常に面白いと思います。というのは、それが民族性の差異をもって争ってきた現実社会(政治・経済)では永遠に叶わない理想とすら思われてきた上下のない民族間の価値の交換をいとも簡単に成し遂げつつあるからです。(そうした中でも、やはりTHECLASHの後世に与えた影響は計り知れないと、近頃つくづく思い知りました。NYで勃興しているネオ・アフロビートのバンドがMAGNIFICENTSEVENをカヴァーしてたりするだけで、もうゾクゾクしてしまうものです。下北沢DISCSHOPZEROのレビュー風にいうなら「即死」です。)

確かにただの快楽性におぼれて奈落に消えていくライフタイムトラベラーも居ますが、それは「まとも」を気取ってる普通世界における割合と比べて多いかというと多分少ないと思いますし、そこから這い上がって戻ってくる人は必ず他人を導く人力を備えると思うし、はたまたギルスコットへロンやイルボスティーノ、マヌチャオやジョーストラマーのような明確な社会メッセージを携えていない「ただの」ダンスミュージックという手法であったとしても、仮にそれが無意識であったとしても、クラブ音楽(もはやこの呼び方では、何も表せない時代になっているが)の在りかたそのものが「かっこいい」「血をたぎらせてくれる」「マインドミュージックとしていい」「何か潜在的な古代意識を蘇らせてくれる」ものであったりすれば、そこに在るプロパガンダや思想性の云々以前に、フロアに立ってるものにとってはすんなり受け入れられたりするものなので、その結果多文化を意識内に受け入れるライフスタイルが通常化しているのです。

これは非常に希望的で理想的な、もはや意識の中のユートピア状態です。

笑っちゃいけません。笑った人は多分オクレテます。

ついてきてください。
ついていきます。
なぜなら、至上の喜びが其処にあるからです。

僕は自分のことを「ミュージシャンだ」と心の底から思ったことはありません。
音楽をやるために音楽をやっているのではなく、音楽以上のことを成し遂げようと思って音楽をやっています。

それでもこう思います。

衣食住 音 なんだと。

だからライフタイムトラベラーの必須科目は、「本当の音楽」を知ることです。

下北沢のディスクショップゼロ とか、本当に最高です。
最高のセレクトが成されてます。
世界に誇るべきレコード屋さんです。

場所もサイトも情報はありますが、わざわざ此処にかきません。
明日からの渡仏の支度も手をつけていない状態で、思わず書き始めてしまったからです。URL探してきて貼るのが面倒です。
自分で探してみつけた人だけ、宝箱をあけてください。

満月祭でダチャのエイジ君ともこんな話をしました。
「結局、ものすげー山奥で祭りを開いても、たどり着けるようなガッツのある人たちにしか伝えられないものはあるよね」。

安易でインスタントでプラスチックでイルな現代文明から脱却するのに必要なのは、ジャスト「ガッツ」です。
自然で自由である、とはつまり「ガッツ」です。
自由であることの不自由を享受できるかどうかという「ガッツ」です。
その代わり、バビロンに加担せずに済むのです。

嗚呼、この話は、ROVE誌の原稿にしておけば良かった。

ROVE編集部の新矢くん、フランスから帰ったら一日で原稿仕上げますね。
フランス行く前に書くより、還ってからかくほうがいいやね。
ちゃんと期限守ります。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。(自分に念押し)


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