【12/13 阿蘇山への特攻 北九州から大分を抜けて熊本へ向かう】
僕は昔から車に疎く、いつも乗せてもらうばかりのスーパーペーパードライバーで、それでも流石にそろそろ子供も居ることだし、サーフィンするのにも何かとあると便利だろうと思っているような次第なのだが、誰かの運転する車の助手席にいながら「このまま乗せてもらっとるだけでよかです」と心から思ったのは初めてだった。
濃霧の耶馬溪(やばけい)を滑らかに攻めるナシカの「あまりの濃霧のため本人的には五部咲き」だったというドライビングは、F-1のオンボードカメラからしか見られなかった光景を僕にみせてくれた。アクセル踏むタイミングやブレーキングのリズムが気持ちよくて、曲がりくねった山道を走っているのに疲れないのだ。それどころか、終わらないジェットコースターに乗っているような感じですらある。本当に運転がうまい人というのは、視界5メートルの濃霧の中を完全に僕らの車しか居ない白昼夢のような世界へと誘ってくれるものだったのか。こんな世界はプレイシュテーションでしかお目にかかれないと思っていた。
私は「走り屋」というものを完全に侮っていた。万物の価値観には、それぞれ理由がありますね。また新しい味を知った!空港で開くモーターフェスの仕切りをやったりもしているナシカの運転で、初めてそれを知った!
耶馬溪という名前から、邪馬台国のことを思ったり、古代日本人の始祖が最初にうろついたのはこの辺りじゃろかと想像した。
耶馬溪(やヴぁけい):
大分県中津市を流れる山国(やまぐに)川の渓谷。溶岩台地を浸食した奇岩秀峰の景勝地。本耶馬渓は青ノ洞門付近から
柿坂付近までをいい、上流の奥耶馬渓、支流の羅漢寺渓・深耶馬渓・裏耶馬渓なども含めていう。頼山陽の命名。
溶岩の台地にたつ山々は、天地逆の形を成していたり、奇岩が多く、また背景の山々も多少ゴツゴツといきり立った、いかにもこの辺りに相応しい山景であった。(例えば実家のある山形の山などは、日本むかぁあし話に出てくる丸っこいおにぎり山が多かったりするのも、いかにもこの土地に相応しいのだ)
道中通ってきた筑豊あたりの景色を流し見ながら聞いたナシカの北九州のリアルヒストリーをもう一回咀嚼(そしゃく)してみた。以前このブログでも紹介した高橋和巳(たかはしかずみ)の『邪宗門(じゃしゅうもん)』において、物語の中盤で克明に描かれた筑豊の旧・炭田地帯。
近代日本史を知るうえで、とても重要なスポットだ。
頑張って歴史を想像してみた。濃霧の中に、たくさんの人生の声を聴いたような気がした。
これを「黒い歴史」という言う人がいるならば、むしろその考え方が黒い。
歴史の教科書も地理の教科書も何も教えていやしないことだけは確かだ。
今も昔も変わらない、自分の足で確かめたことが一番なのだ。
1800年くらい前の日本から、50年くらい前の日本までが、耶馬溪のうねり狂った濃霧の中で私の眼前に展開された。
知識は経験に勝らず、経験は知識なくては認識を損なう。
【自然食定食屋さん】
大分の野菜はでかい。味が濃い。うまい。凄い。東京のスーパーに並んでるうちのギタリストみたいなヒョロヒョロのあれは何だ。
【九州最強・男池の湧き水】
九州で最強の水だと案内された森の奥の泉からは、僕の実家の西蔵王にある桂の木の根元の湧き水よりも5倍くらい大きな泉がまさに滾々(こんこん)と湧いていた。まるで西欧のおとぎ話に出てくる「泉」たるや、こんな具合だったのではなかろうか。深く透き通った「真っ青」が、森の奥で光を放つのだ。飛び込んだら異国の街へ行けそうなのだ。
ミネラルがガッチリ入った水をひしゃくでゴクゴク。ミネラルがガッチリ入った空気を肺の奥まで満たした。鼻が在りえないくらい通っているのを感じながら、立小便。どうして私は東京に住んでいるのか?完全に全く分からなくなってしまった。
嗚呼、何時か犬に還れる場所にかえろう。
【旅の疲れから魔境に差し掛かる】
僅か5日ばかりのあいだに二本のライブをやり、膨大なシナプスが一気につながるような出会いを繰り返し、移動を重ねていたためにダイブン疲労が蓄積していた。在り得べき当然の運命として、膨大な眠気と疲労感に襲われて、私の旅は「魔境」に差し掛かった。
例えるなら頭の中はずっとSOUL FIREの大阪ダブが淡路島の真っ赤な夕焼けの向こうで微かに鳴り続けてるような状態で、where my life?where my voice?の自問自答。where my life?繰り返すこれぞビート。心の葛藤。自己検閲。価値観の揺らぎ。たくさんの経験に導かれてヴァージョンアップを始めた私自身から古い自分が脱皮していく思考的な過程。
ナシカの大胆で優しい峠攻めの心地よさと、夫人の差し出す気の利いたオヤツに救われながら、あまりの濃霧に車は熊本へは入らずに別府温泉のほうへと向かった。僕の魔境を静かに運び続けてくれたナシカ夫妻。
夕刻、ほぼ真っ暗闇のなかで、全別府の源泉となっている野生の温泉につかる。地の者でなければ決して到達できない、九州の奥の間にいきなし通してもらったような感じで、半ば茫然としながらマグマのすぐ上にあるお湯の中につかる。
硫黄の匂いが辺りを支配し、絹のような泥が底に溜まった、地球の栄養ドリンクに身をつけて、私はほぼ完全に終わった。帰りの道中、孤独なドライバーと化したナシカよ。ありがとう。ありがとう。
私の魔境が終わったのは翌日の飛行機の中で、在りえないくらい気力と体力を回復している自分にきづいたときだった。濃霧のため阿蘇の袂までしか行き着けなかったが、その濃霧そのものに膨大なエネルギーが満ちていた気がする。「仙人は霞をくって生きる」とか「モンゴルマンはこの森の空気を吸っていないと生きられない」というのは、そういうことだと思う。そして地球の核からマントルを経て地上に噴出した天然の原子力排水に漬かって、恐ろしく鋭気を養った自分を持て余したまま、羽田から六本木へと直行。ミュージックビデオの打ち合わせに入る。流石に、夕刻からの犬式スタジオはブッちぎらせてもらって、我が家に帰った。
帰りの満員電車。私の全身から立ち上る硫黄の香。
【まとめ】
OKアライツ 旅に出かけよう ♪ ケイソンの云う通りだべ。
犬式というライススタイルを築いてきたなかで、最も幸せに思うことは年がら年中楽器ひっさげて「旅」に出られることだ。時には過酷で、体調崩してホームシックになったりもするが、それでも俺や俺たちがやっていることに理解とリスペクとを
寄せてくれる人が全国でローカリズムを打ち鳴らしていて、「こっちもやヴァいよ、洋平くん★」と教えて、呼んで、連れて行ってくれる。かつてグレートフルデッドがやっていたことが、いまやバンド活動の基本形となりかわりつつある。そうして重ねていく尋常でない量の、そして選別しきれない経験が、予想もしない方向へ人生を引っ張り、予想もしない自分を築いてくれる。そこから、凄まじい表現欲求と広い脳内地図が描かれていく。皆が、各地の地元で10年、20年かけてみつけた或いは1代、2代かけてみつけた宝物を僕に惜しみなく教えてくれるものだから、これはもはやスピリチュアルなマルコポーロ、心の伊能忠敬である。皆からもらったものを、俺の世界地図を、どんどん更新して、交信し続けて、何かを造り上げていくわけだ。
俺はこの犬式人生を突き進もうと、改めて心に決めたのでした。
あらためてまして、この旅お世話になりました全ての福岡・久留米・北九州スタッフに。
ありがとう!!
風ちゃんただいま。
追記:今宵は東高円寺GRASSROOTSにてDJします。ごゆるりとします。