10月のnbsa+×÷2に、
アフガニスタン難民のアリジャンを招待しています。

こられるといいのだが。

難民認定を求めて裁判中の身です。

社会のシステムというのは、人間が作ったものだから
どうしても不備があって
不運な歪みの犠牲になる人が
必ず存在してきました。

日本の法務省や外務省の思惑が複雑に入り乱れる国際問題でもあるから、
難民問題に一概にコレという安易な答えは出せない。
結果、やたら待たされる。

出口のない宙ぶらりん。

社会市民としての権利を何も保障されないまま、
「居てもいい」が「仕事はしてはいけない」とか
小学生の喧嘩レベルの理不尽な条件を突きつけられる。
働かないで、どうやって生きていくというのだらうか?
保険もないから、お金がないと病院にも行かれない。

結果、無断で働くとそれを理由にある日突然「拘留」される。
刑務所の何倍も人間性を剥奪される無機質な施設で、
無期限に拘束されている人が、ものすごい数いるわけです。

何ヶ月、何年、何十年。
気が狂ってしまう人もいます。

ほかに道はというと、
政治的状況や主義信条から「命に危険を感じた」からこそ
逃げ出してきた母国に帰れ。
ということ。

これは、日本の入国管理局は遠まわしに彼らに対して「死ね」と言ってるにも等しい場合もあるわけです。



状況を説明するしかできないので、
我々に何が今すぐできるということもないのだが、
とりあえずアリジャンという存在を通して多くを知ることができます。

昨年踊り狂ってたクルド人難民の若人たちは、
その後国連の難民認定を得ながらも
日本政府によってトルコへ強制送還されて軍隊に強制入隊させられているラモや、
いまだに品川だか牛久だかに拘留されているアリチカンなどなど。

ただの陽気な若者たちですよ。
サッカーとか踊りにやたら熱い。

政治っちゅうのは、マクロな視点が致し方ないわけであるが、 
ミクロな心情を押しつぶして成り立つようなものであってはならない。



JICAの若松、村田コンビや学生NGO風の会の池上くんたちによる展示ブースも
予定しております。

意義ある人生と物事の深みを何時までも追いかける
そういった類のライフタイムトラベラーの皆さんには、
本当の意味で「楽しんで」もらいたいので、
いろいろ感じたり考えたりして、
スピリチュアルな「お土産」をたくさん持って帰ってほしいと思っています。

街に転がるいろんなリアル。
それが集まったモザイク模様みたいなものかもしれません。
nbsa+×÷とは。

惜しみなく提示していきます。
nbsaはショーじゃありません。
僕らという音楽の周りの数多の「生き様」なんです。

その一人が、アリジャンでもあったりして。

難しいことだが、
別に難しく考えなくても
何が正しくて何が間違いかは
誰にでもわかる。

紋切り型の善悪の二元論じゃない。

簡単なんです。
問題は、此の世には人の痛みがわかる人とわからない人がいるという事です。

後は、この日は「踊るだけ」なんです。
そうした瞬間の積み重ねが、人生において大事なんです。

現実直視しながら、ファンタジーに生きるのが、ベストです。
人生とは、そんなものであったらいいと思うのです。

いろんな人生がフロアで交錯する事に、一番意味が在る!!


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当日は
いとをかしfeat.スナック大都会

おむすびにモツ鍋?とか。

吉祥寺FUNK STEP
こちらは、吉祥寺弁天通りの夜を彩る美味しい飯と酒の店。
お店ではナイスなDJもかましてくれるマッキーとまっちゃんのコンビのお店。
「ファンク丼」は犬式メンバーのマストオーダー。

当日は何食わしてくれんのかな。

踊ったり飲んだりして、
腹減ったら、
美味しいもん食べてくださいませ。



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(『答は藪の中』が冗長すぎたので、前編と後編に分けて掲載します。)



答は藪のなか。
黒澤明の「羅生門」とはそれをよく表わした映画だと思う。
僕は高校生の時にこの映画を観て、そういった感覚を学んだ。

それをさらに突き詰めて、
強烈なポジティブバイブレーションとともに放ったのが、
ブッダ氏であろう。
僕は、仏教とは原始的にはそういうものだと認識している。

すべての存在が、
ただ其処に在る。

この事実だけは誰にも否定できない。

「だから、それをまず心の中でよどみなく受け入れなさい。」
そういうことを、ブッダ氏は言ったんだと思う。

これはもはや、一人一人の心の問題であるから、
「教える」とかそういうものじゃない。

自分で「気づかない」と意味がない。
しかも毎日。

にもかかわらず金払って教えてもらおうとする人も、
金とって教えようとする人も、いつの時代もとても多い。

教科書もお経もお布施もないから、
僕は将来曹洞宗の禅をおさめたいと思っている。

答を毎日自問自答しなさい。
とだけ教える宗教。
超セルフサービス。
そうしてその答探しそのものが「答」であることに気づくのにそんなに時間は要らない。

元来人間全員が神などと言う想像物を媒介しなくても
宇宙を感じたり真理を感じたりできるはずである。
その可能性が在る、ということがわかっているだけでも死ぬまで心強いものである。

近頃座禅を組んでいない。

今晩あたり、少し。チャクラ全開で~。






10月の番組再編前の最終週たる今日は、ぽかんと空いた休日。
天から降ってきた24時間。
しかも昨日までは「番組ある」と思っていたからなおさらである。

秋葉原にパソコンを買いに行った。
「インターネットができて音楽のデータが使える一番安いやつ」
を探して、5万円台で購入。

最初期タイプのアイマックを貰って使ってたが、
一昨日風雅(今日で0.5歳!祝。)が落としてキーボード壊れたから、
かねてからさすがに買い換えようと思っていたので、
「インターネットができて音楽のデータが扱えて一番安くて、今よりも通信速度の速そう」なやつを探す冒険に出た。

「楽器といえば御茶ノ水」
「電化といえば秋葉原」
とはいえ、そこまで頻繁に行くわけじゃない。

とはいえ、電車で40分ならこういうときはやっぱAKBである。



いやー。
3時間くらいのあいだに6店舗くらい見て。

周りに一緒に来てくれるようなパソコン君も少ないし知識ないし、メカ音痴だがなんとか上記の目的に沿いそうなものをみつけて購入。

プロバイダー契約すると2万円割引だったから
サヨウナラyahoo BB。
こんにちわ、小野伸二。



いやー、メカ音痴は秋葉原は緊張する。
筋金入りの秋葉原系の皆さんはかなりマニアックな会話を繰り広げているのに、
横で俺は「256Mって何だ?」とかなっていて。
ウッキー。
お猿さん状態。


僅か9ヶ月のサラリーマン時代には、一応エクセルなどの講習受けて使っていたが。
楽器やレコードばっかり触って、
パソコンはネット以外使っていなかったものだからてんで疎くなっていた。

組み立てキットなどを観て感動。

パソコンは次なる時代の大いなる道具であり、
大いなる障壁となるだろう。

だから、これは大いに勉強したほうがよさそうだと感じた。

ニューオリンズやテキサスで、ハリケーンから逃げ遅れて死んだ人々は
テレビやパソコンなどが生活から遠い貧乏人や年寄りが多かったと報道されている。

情報格差がそのまま生き死にに直結する「平等」な社会。
日本も似てる。
世界はその国をがんがん真似している。

一石投じるにも、パソコンくらいは使えないといけない。

ペンは剣より強し。

答は今日も、藪の中。

写真:風雅、今日で生誕6ヶ月。ひたすら「無心」の境地でエアロビクス中。ここから一回迷って、また戻れるのは何時の日になるのだらうね。



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此処一年あまり、火曜日といえば「テレビの日」だ。
我が家では「テレビの日」か「すぺしゃ行く日」という。

かよが「あれ?洋平明日すぺしゃ行くだよ!」といわれて初めて「今日が月曜日」と認識していたくらいだが、近頃では身体が火曜日を覚えた。

曜日とか時間の概念を一度無意味に捉えてしまった経験があると、集団行動が苦手になる。
ゆったり落ち着いて生きたいが、最低限協調性がないと話にならんわけで、
スペシャのVJやるようになってから、少なくとも「火曜日」は覚えた。

ライブがよくある曜日だから、
なんとなく「金曜日」と「土曜日」はイメージとしてある。
「火曜日」はそのアンニュイな存在感とともに、
最近の僕にとっては欠かせない曜日になっている。






今年の四月からSTUDIO GROWNは「1時間」に拡張されたから、
それまでよりも影響力が増してきて、
なんだか一回一回の生放送でとてもエネルギーを消費するようになった。

確かに、ブラウン管の向こうからは「ゆるい」番組にしか見えないかもしれないが。

自然体でいるにしても、何万人が観てる前で台本無しにしゃべり続けて1年。
よくぞ無事だったと思う。

それなりに気を使うのである。

テレビには、差別用語などなど、言ってはならない用語がある。
法律はないが、業界的な自主規制がある。
といって、それを文書化すること事態が差別行為だから、マニュアルがない。

だから「放送禁止用語」ってやつは、実にやっかいである。

言っておくが、僕はこの世のあらゆる価値観と存在を等しく感じられる自分を信じている。

差別用語という概念自体が忌まわしい。
幸運にも外国に生まれて、差別された経験もガッツリある。
さらに日本へ帰ってからのほうが差別されたと感じているから、
それがどれだけ傷つくものかは理解しているつもりだ。

前に生放送中に「マイルスが一番キチガイだったころ」
ってほめ言葉のつもりで言って、後でそれがNGワードだったことを知った。

芸術家にとっては、「キチガイ」など褒め言葉の最上級のひとつである。

別に苦情は入らなかったが、
スタジオの空気が凍り付いた感じが忘れられない。

「あ。俺なんか言ったんだな。」
って感じで。

文脈でニュアンスを判断してほしいところだが、
そういう融通の利かないところが「決め事」なのである。

毎回がライブな点では、まさに犬式のライブと同じようなものである。
ライブには禁止用語がないから、気楽でいい。

なんでも「初めて」が一番刺激的だから、台本は要らない。
別に「テレビの人」じゃないから。

再放送ではNGワードに「ピー」音が入るから、
ネット上で「三宅は何を言ったんだ?」って騒ぎ立てるのは人の性だろうけど、
自分が当の本人だと「別にたいしたことは言ってないよ」って感じで。
憶測で話が進んでいるのを観て、
話がぜんぜん違うほうへ行ったりしてるのを眺めながら、
デマに踊らされるこうした社会性を旨く利用する音楽業界や広告業界、
戦争国家や選挙の在り方などを考えることしばしば。

1ヶ月テレ朝観続けた人と、
1ヶ月TBS観続けた人とで、
どれだけ考え方が変わるか。

人間。かくも信じやすきもの。

そのわりに街に溢れてるのは不信感ばかりだ。

真実などというのは人格が60億通りあったら、
60億通りしかないのに、
ひとつを求めて人々は何かに群がろうとする。

自分の見つけたものや感じたものを、
もっと疑い、彫り、見えなくなるまで見つめて自問自答した後に
それらの燃えかすをみつめながら宇宙の中にぽつんと居る自分と
現在もほぼ光の速さで膨張している宇宙の縁を対比して感じて、
同一化して感じて、云々、
そういう果てにみつけるのが真実の出発点だと思う。
(そこにクリエイション、創造的なエネルギーが介在すると「表現」になる。)

答は藪の中。
人の数だけ、真実は存在する。


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FUNKY MIC  MC (ファンキィ・マイク:韻シスト)

韻シストの三人いるラッパーの髭係。

確か、俺と同じ年齢だから、27歳。

確か出身は岡山で、俺も血は全部岡山だから弱冠同郷気味と言える。

「タメ」な波長が合うから、
最初に会ったときから気楽につき合わさせてもらっている。
韻シストは頻繁に東京へライブに来るから、
近頃は大阪の人間だということを忘れそうなくらい良く会っている。

オールドスクールな「渋さ」と何しか笑かす「トンマ」が綺麗に混じって、
「ファンキー」になった。
ファンキーなドワーフ。
ラップする森の妖精。
スキルは一流。

ステージでラップするときは、
クラシカルでオールドスクール的なラップが
しかもほとんど日本語とか大阪弁なんだけど、
こいつがやってるのが妙にしっくりくる。
つまりそこには「オリジナル」な存在感があるのである。
クールだよ。
ステージのファンキーは(笑)。

あとはジャパニーズウエッサイ弁で軽妙にかます曲間のベシャリとか寸劇が、
ちょっとしたスタンダップコメディアンばりに面白い。

更にボイパの腕もなかなかである。
スクラッチとかリヴァースさせたりが得意。


多彩で、多才。
そこに、「芸人魂」を持った大阪のヒップホップ観が在るようにみてとれる。

ブラックミュージックにインスパイアされた音楽を奏でる人々の中でまま見受けられる所謂「ドシテ黒人ノ真似シテルノ!?」的感覚に陥らないのはそのためだ。スタイルに対するリスペクトはがっちり示しつつも、彼はあくまで「本能的」に優先される表現スタイルを探っているから故に面白い。

それが「ファンキー」。

突っ込みもボケも、自分のペースで繰り出したいタイプでイジられるのは苦手。
打たれ弱い。
私もであります。

陳情
   「ファンキーも三宅洋平も、自分のペースで生きさせること。
    それが、この二人にとって一番力を発揮する状況である。」


一回「今東京向かってるでー」というメールを返事し忘れたら、会ったときに「返信せんかいボケェ!!わしらそんなもんかいー!!」って涙目(に見えた)で怒鳴られた。寂しがり屋か。そこらへんは、Cro-magnonのシゲオヤジとも似ているところがある。

まあ要は、熱いのが好きな熱い野郎なわけです。
だから冷たいのが嫌いだし、実はナイーブだし、
だからクールぶったい行為とられるのが許せないタイプなんです。
大丈夫、ファンキー。俺もそんなようなもんだから。
タイプは違うけど。
nbsaは男も女も、そこは似てるんであります大概。
パーティという形態の一時的集合状態としての「気質」である。
nbsa来るような人は、少し日本社会では常軌を逸した熱さを
内包なり曝け出しなりしている人が多いってか、全部だと断言できる。

で、この熱いファンキー。
04年の渋谷での初代nbsaをうけて、05年春早々にnbsa大阪を開催。
絵描きのドラゴンと二人で仕切りをやって、犬式とクロマニオン、椎名純平を大阪に招いてくれた。エライ思いをして、課題もいっぱい残って、イベント終わった時のこの西の棟梁の点パリながらも「次見る」目が今でもいい思い出だ。

打っても鳴らない人間がやたらと増殖している今日の社会において、
打ったら響く鐘みたいな男は本当にありがたい。
現実の中の「リミット」を恐れるのではなく、
直感的に迫ってくる「ファンタジー」のほうに鼻が利いて
飛びついてしまう、
そういう習性こそは彼を今日の彼たらしめているのである。

それを簡単に、
「ノリがいい」つまり「ファンキー」と言うのである。

名前に偽りなしである。

写真:昨夜渋谷VUENOSで行われたnbsa+×÷2プレパーティでの韻シストのステージより。ファンキーの後光とファンキーのシュールレアリズモ。ボイパ名人「MC 太華」とのセッションも、イベントの空気を大きく上方修正するパワフルなものであった。nbsa本番でも、この二人の絡みは大いに予想できる。


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このクソ忙しいのに、人物列伝なんてヘビーなもの書き出してしまったものだから、なかなか遅遅とした進展で申し訳ないです。

まあ、本番までになんとかスパートして、全員紹介
できるわけがない。

いけるところまで、マイペースでいきます。

ところが、今日、さらに折の悪いことに生後6ヶ月の目に入れても痛くない愛娘フウガの握力測定をパソコンのキーボードで行ったところ見事にドガシャンと落下して壊れてしまった。

nbsa開催まで秒読み段階に入ったこの時期にである。

一切悪くない赤ちゃんを恨めしそうに見ながら、
自分の軽率さを戒める。

てなわけで、久しぶりにマンキツですよ。

「ネットカフェ行ってくる」
っていえば格好いいけど
漫画喫茶です。要は。
しかもうちの近所のマンキツは、2年前までスカスカのパチンコ屋だった。
パーラーってやつですな。
妙に時間がたくさんあった(要は仕事が少なかった?)ころ、真夏の盛りにふらっと寄ってたりしたパーラーで、今必死になってあれこれメール仕事をこなしたりしているというのは、「ポンッ」と悟りを開いてしまいそうなくらい妙な心持です。

早めに、家パソを復活させねば。

nbsanbsanbsaってネット上にバラまかねヴぁ!!!!!!(藁藁)←(笑)

明日は渋谷VUENOSにて、韻シストらを迎えてnbsaプレパーティです。
僕もDJします。

ぜひ、お気軽に遊びに来てください。
1500円で200名様限定です。

詳しくは
http://www.nbsa.info
マデ!!


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ここ2日間ほど、京都に居た。

ファンキーソーダというはちきれバーが、
10周年ちうことで、
周り中のお店が一体になって宇津峡キャンプ場で祝った。

犬式の演奏をfeat.元晴(SOIL&"PIMP"SESSIONS)でやった。
何度かDJブースもお邪魔した。

京都のリアルアンダーグラウンドマッシブは、やたら元気だった。
ありとあらゆる音楽が夕方から朝まで谷に鳴り響いたが、
犬式のあとのサイケデリックトランスに違和感がない
奇妙なダンスだった。
サウンドシステムが良かったのだが、システムのクルー名を忘れてしまった。
あのシステムで、思いきり土っぽいダンスを開いてみたい。
キープコンタクト、また御会いしましょう、あのシステム。


京都の地下街の人々は、
かなりオリジナルな気質で、
近くても大阪なんかとはまた質を異にする「濃さ」があって、
まるで吉祥寺にいるみたいだ、とすら思った。

あと、こういう馬鹿がはじけられる場を提供する地域が凄いと思うた。

エニウエ。
FUNKY SODAコバP、たーちを始め、各店の皆様お疲れ様でした〜。


写真:今回は慰労の意も込めて奥さんと風雅も同行。元ちゃんを操縦する風雅。


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椎名純平 vocal & kenbann(シイナジュンペイ:椎名純平&バイブレーションズ)

しばらくお待たせ致しました。
人物列伝第3回は、椎名純平-

30歳。
二児の父。

フェンダーローズを弾きながらヴェルヴェットな夜の唄を奏でる男。

エリートな音楽人生を歩んで来たように見られるが、
ストリートに足を踏み入れて、俺達と出逢った。

此処数年、試練というか、本当の自分を探す旅が続いていた。
近頃、この男の「濃さ」を愛する人が増え出した。
「都会的」とか「夜」とかいう単純なイメージでは決して捉え切れない。
実はもっと朗らかで、実はもっとシニカルで、
実はもっと陽気で、実はもっと獰猛で。
僕はありのままの椎名純平が、誰にも気兼ねなく唄に没頭する時が一番好きだ。

僕と共通するのは、考え過ぎるところ。

だが普段考え過ぎなやつが、音楽のフィーリングに身を任すとちょうどいい具合になる。


ダニハザウエイとかカーティスとか、そんなような所から初期衝動を得たのは事実だろうが、
本人は「彼等になれない自分」と「自分にしかなれない自分」のビジョンを掴もうとしている。
とりわけ「バンド」という意識により重きを置いた「バイブレーションズ」としての活動の今後に
僕はとても期待をしている。

ディアンジェロみたいな曲でデビューしたが、別にそれが彼でもなく、本当の彼は彼しか知らない。それを引き出すバイブレーションズのインスピレーションに期待したいと同時に、「在るべき自分」を取り戻し、それを具現化するフォームを見出したら、もの凄い音楽が出てくるだろう。

椎名純平という男は、あまりに賢いのでついつい、スタイリッシュに決めてしまうのでそれに騙されている女性もきっと数多いるであろうが、本当の彼はもっと荒々しいのである。
僕は、それを見たい。


それから、此の男。
相当賢いので、リリックの捻りを見落とさぬよう、御注意されたし。
眼鏡の奥から、戸惑う貴女をクスリと笑っている時が、一番楽しそうなのである。


突然詩。

水曜の未明の言葉の即興。純平氏に送る。


(場面)一番星狂う 闇と光の狭間で
「私」と「王」が向き合っている

王は言った
この狭い宇宙で 私はお前 お前は私
奴隷も城も持たぬ王になら 誰でもなれると

私は言った
この広い宇宙で 私はお前 お前は私
奴隷も城も持たぬ王の酒  飲めば天下の理が分る

神は誰かと問われたならば
創造主は父と母だと応える
父と母が神ならば
私は神の子 神である
それで私が神ならば
此の世の全てが神になる

だが其の前に神は居ないと応える

膨大で永遠なエネルギーのやり取りの中のほんの一瞬たる人間が創造し得る程度の神になど、此の宇宙は造れないであろうし、しかし輝く夜空を見上げて感じ入ると、言葉には出来ないような膨大なエネルギーの循環と究極の創造性が此の宇宙に蔓延している内の一部に己の存在が肯定されている事が実感できて、生きていることに珍しく満悦するのである。

王は言った
この狭い宇宙で 私はお前 お前は私
奴隷も城も持たぬ王になら 誰でもなれると

私は言った
この広い宇宙で 私はお前 お前は私
奴隷も城も持たぬ王になら 名前は無いが自由が在る

王は王たる威厳とともに
王は王たる自覚とともに
全ての王と王女に語り掛ける

nbsaの夜。


椎名純平はミステリアスな男である。
仲間である我々にさえ、その腹の本当の奥底を見せないのである。
音楽の中にだけ、ふんだんにちりばめられているのである。

写真:生後3ヶ月の我が家の娘を抱く椎名翁と、その長女長男。


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自然に在ると

素の自分をさらけ出すと
勘ぐり屋のキノドクさんに
「嘘くさい」と言われる。

そういう彼や彼女が僕は嫌いだ。

演じないでステージに立って
感情をさらけ出すと
それが外人アーティストだったら「凄い」になるが
日本人の僕がやると
「嘘くさい」と彼や彼女は言う。

そういう人が奇妙なまでに多い、日本のそういう所が僕は気の毒だ。

冷めてんのが、
そんなにカッコイイのか?
賢いフリするなよ。
小賢いつもりでいた学生時代に、俺も思い当たる節はあるが。
恥ずかしいから、そんなものはとっくに放棄した。

恥も照らいもなく真っ正直に思いを述べるから、
そこにはボケも笑いもないが、
少なくとも嘘はついていない。

じゃがたらの江戸アケミが唄った。

ニホンジンテクライネ
セイカクガクライネ

故に「お笑い」が流行る。
根が暗いから。

コメディとは違う、
知性の無い笑いが最近は増殖してる。
ただ笑って。
後には空虚が襲いかかる。
テレビなかったら、笑えないのかい。

ダイレクトでリアルな事を
素直に受け取れない。

小知恵が身について自分を「賢い」と自惚れた人ほど、
血をみせようとしない。

そういう奴ほど適度に世渡りが上手。

絶対にね、それじゃ良く無いと思うよ。



血の騒ぐやつに、賢くなって欲しい。
俺も手挙げてっから、そういうやつにこそ手挙げて欲しい。

じゃないと、この寒い国家は、変わらんよ。
海の外も、変えられんよ。


僕が嘘つきじゃない証拠。
嘘つきのイメージマスコットは、
こんな事をブログには書かないだろう。

誠実さ。
それこそが、今日本のアーティストに求められていることだ。

イメージ戦略で、大衆を煽動しても
人生の実りにはならない。

抑制の効かない感情だからこそ、
「アート」する意味がある。

それを貫いてる奴が、一体どれだけいる?

賢いふりして、浅知恵でクールぶってる奴が
なんだか世の中動かしてるように見えるが。
そういう現在の風潮に、終止符をうちたい。

素直が一番です。
みんな、生まれた時にはこの笑顔。
バチッ★


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Keyco Singer (キィコ)
写真左:Keyco
  右:シゲ(BOUNCE取材後に)

通称「キィコ」。

レディなので年齢の公表は控えさせてもらうが、
Cro-magnonシゲと椎名純平の三人で良く「うちら同期ー!」って
そういう風に言ってるのを聞く。


Cro-magnon(及びその前身のLoopJunktion)がKeycoのライブバンドを担当していた事から、
常々「オヤッさん」シゲがこう言っていた。
「Keycoは男に混じっても熱いオンナだから、nbsaをやる時には必ず声を掛けたい」。

僕は彼女が去年出したアルバム「SEVEN」収録の「EIGHT」を聴いてヤラレタ。


「強い自分で あれるために
 嫌われるのも 悪くないね 
 
 強い自分に 憧れて
 私はひとり 歩き出した

 だけど誰よりも君のこと本気で愛してたの」


愛を終わらせたこの歌の主人公は、別にキィコ自身とは限らないのだが。
だけど、やはり彼女の生きざまと重なって聴こえてグッときた。

女の強さは、男のマッチョ思想とは対極をいくものだ。
それは凛として美しい。
リキみ無く、ナチュラルだ。

シングルマザー。
3歳の愛娘「メイカ」とのツーショットはもはや最終兵器なみの破壊力。
チャーミング爆弾炸裂。
ピース。ラブ。の赤い雨。ピンクのあられ。

数年前までは「レゲエシンガー」というカテゴリで捉えられることが多かったが、
その余りに狭いカテゴライズをよしとせず、
ありとあらゆるジャンルの垣根を越えた活動をしてきた。

故に「Keycoって何のジャンルの人?」っていう声を良く耳にするが、
愚問。
ジャンルじゃない。
「歌の人」である。

「歌の女」である。



強くて、優しい。
可憐で、等身大。

彼女の歌を言葉にするとそういう感じだ。


昨年のnbsa+×÷vol.1においては、
出演者、スタッフ総勢100余名分のバックステージパスを手作り。
おばあちゃんの古い着物の帯をバラして一枚一枚丁寧に造ってくれた。
恐らく昨年の出演者の多くが、あのパスをいまだに大事に保管してるはずだ。

実はちょこなちょこなと「アート」な活動もしているらしい。
そっちのほうも、花開いて欲しいところ。

今年のパスも、もちろんmade by Keyco & Meika。


で、常々「どうしてKeycoはあんなに熱くて、芯があるんだろう」と、
バックグラウンドを気にかけていた。
フッサの基地文化で育ってるから、
熱い音楽をたくさん聴いて育ったのはむろんアルだろう。

こないだミーティングのあとに車で送ってもらった時にも
「最近、本当にソウルが自分の一番根っこの音楽だと再認識してる」
って言っていた。



で、9月25日に発売されるBOUNCEの「nbsa対談インタビュー」の取材の時。
シゲと僕とキィコの三者対談をBOUNCE出島氏がリッスン。
「nbsaとはなんぞや?!」について、熱く語る三人。
盛り上がるトークセッション。

で、「○○は発声がとても素晴らしい。」みたいな話をKeycoがしていた時に
「チョッカンのマフラー」
という言葉が突然飛び出した。

k「声が真直ぐに出てるのよね。マフラーで言ったら直管な感じ?☆」

「直管のマフラー」。

ただ、その場に居た全員が、
どうしてKeycoが「熱く」て「芯がある」のか、
そのバックグラウンドを理解したのだった。




nbsa+×÷のダイナマイトレディソウル。
うちの奥さんの出産の時には、色々と助言をありがとう。
RESPECT !!!!


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大竹重寿 Drums&Percussion(オオタケシゲカズ:Cro-magnon)

通称「シゲ」

30歳。

この男が「nbsaやろーぜー!もうO-EAST押さえちゃったー。」
と言い出したのが03年暮れ。
それが全ての始まりだったかもしれない。

04年初夏の突然の活動停止を宣言したLoop Junktionのリーダー。
第1回nbsaのフライヤ-も刷り上がらんとしていた矢先である。

東京リアルブロンクス町田を代表するバンドLoop Junktionは、
当時まさに火がつき始めた日本の生ヒップホップバンドの代表格とされ、
3枚目のアルバムは数曲の完成曲を残して途中打ち切り。
天才詩人mc山仁da sportsman擁する鉄壁のサウンドは、今のところ永久に封印されている。

今あのシーンは、奴らの蒔いた種が全国で続々と目を吹き出し始めたというのに。。

だが「言い出しっぺが出ないわけにはいかない」と、
Loop Junktionのkey金子巧(通称「タクちゃん」)とguitar小菅剛(通称「ツヨポン」)
によるトライアングルインストダンスミュージックバンドCro-magnonを即座に結成。
ninjaチューンばりのファンキーダンスミュージックをカマし(山仁が1曲飛び入り、Loop Junktionのキラーチューンを披露した時には、全会場が興奮のルツボと化した)
結局みんなに「あんたが棟梁!」って言わせた男である。


本当に大工の棟梁みたいな義理堅い人情の男。
酒が大好きで、涙もろい。
一度決めたら頑と動かぬ一徹さ。
馬鹿正直。
純情。
人のためにヒトハダ脱いでばっかり。

なんか良く分らないんだけどなぜだか米国ボストンのバークリ-音楽院卒。
音楽的素養は高いわけです。

10年つきあった彼女との間に、浮気はリアルに0。

こいつに「本当に愛してる女には、子宮にぶっかけろ」って言われて、
そうしたら赤ちゃんができた。俺の人生変えた無謀な名言です。
故に責任をもって、僕と奥さんの婚姻届けには判子押してもらった。

「ヨーへー。今年もやっちゃおうかー第2回。うははぁ~♪」
って、去年の苦労も忘れてシゲが言い出したのが04年暮れ。

それで、今年もやることになりました。


別に何ができるってわけじゃないんだけど(笑)、
なんかこの男がチンと真ん中に座ってくれてると、
場が盛り上がるんです。
居るでしょう、あなたの街にも。
そういう根っからの「親分肌」。


愛すべき男です。

只今Cro-magnonのレコーディング真っ最中。
奴らの1st DROPに要注目!!!!!!!!


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やったーー。
nbsaブログが始まった!

というわけで。

自分のブログと併行して、nbsaを深く語るこちらのブログまで始まってしまいました。
やたら毎日文字ばかり書いてる三宅犬式洋平です。

nbsaとは何か!!!?

それはnbsaというイベントに関わる人それぞれの中で、百人百様なんで、ならばみんなで好き勝手にnbsaの事をかく事にしようというわけであります。
それがこブログの存在意義、定義なんであります。

兎に角ひとつだけ言えるのは、
ワールド級に通用する表現のマナーを身に付けたアーティストたちが、
どヤバいライブを10月9日にやるという事です。
8時間を転換なしで、ジャムりながら演奏しながら繋ぐのです。
現場で出逢った、リアルプレイヤーたちが箱根駅伝よろしくタスキをつないで踊りまくるのです。

ジャパニーズルーツミュージックがその目でみたけらャ、渋谷O-EASTに集まってくれよ!

さらにイベントに先立って、10月5日にnbsaのサンプラ-CDを発売!!
そのタイトルもずばり「nbsa+×÷sampler 自然発火」。
山火事みたいに、ごくごく自然に仲間ッタリアルプレイヤー達の音をつまみぐい。
オマケにnbsa all starsによる名ファンクソウルチューン、05nbsaのテーマ曲もぶち込んだので、これは間違い無く要ゲット!!

あ、俺べつにこういう行け活けキャラじゃないんですがね。
とりあえず第1回さっさとね、契機よくね、スタートをば切りまして、明日から色んな裏話を皆さんに紹介していくので、世界で5本指のストーリーテラー犬式洋平のnbsa観を脳みそに注入しちゃってください。
多分、そうしたうえで10月9日のO-EASTに来ると、より一層宇宙の深さに気付かれることと思います。これ以上ない至福と快感と活力を、約束するnbsaの世界へようこそ。

アギア!!!!

写真は8月25日のnbsa all stars 録音の時のもの。犬式、Cro-magnon、SPECIAL OTHERS、keyco、山仁、Q-ILL、椎名純平、ミカ有坂、韻シスト、写真には写っていないがSOIL&"PIMP"SESSIONS,copa salvoのメンバーらが参加した。なんか、特定できないがリスペクトしあってるミュージシャンや絵描きやなんか色んなアーティストの人間関係全体を、nbsaと(仮に)名付けたっちゅーことです。

年に一回お祭りするんですわ。

よろしゅ!!!!!!!

nbsa.info


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