ぶらぶら★アフリック

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アフリカの航空事情(3)~難関!中部アフリカ

2013-05-06 07:30:14 | アフリカ紀行
アフリカの航空事情シリーズ、第三弾。暗黒大陸、中部アフリカへ。

すでに第一話で述べたとおり、アフリカの横移動は大変だ。しかしその中でも群を抜いて難易度が高いのは中部アフリカだろう。

以前取り上げた悪名名高き航空会社「エール・アフリック」も当初、中部全体に翼を広げていた。そののち、カメルーン、続いてガボンが脱退。地域の主要二カ国の不在で、地域を結ぶエアラインはその翼を半ば畳むこととなる。

(エール・アフリックのロゴ)


その後、中部アフリカの航空網は暗黒の時代となる。カメルーン航空は経営難と、安全性から、破綻と再生の間を行き来した。EUのブラックリスト入りとなり、乗り入れを禁止された経緯も持つ。

チャド、中央アフリカ、赤道ギニア、サントメ・プリンシペ、この四カ国間の横移動の線の細さ、不定時制といったらない。赤道ギニアはカメルーンの沿岸から見える距離だというのに。サントメはいったんはいると一週間、帰りの便がこない。

ところで、中部アフリカ諸国は、旧仏領植民地を中心に、中部アフリカ経済通貨同盟(CEMAC=セマック)を構成し、ユーロ固定レートの共通通貨、FCFA(フラン・セーファー)を使用している。このCEMACで、10年来にわたって議論されているのが、Air Cemac(エール・セマック)の設立だ。このモビリティの低さを解消しようというのが狙いだ。しかしこのCEMAC、地域機関としてのまとまりが弱いというか、国家間の牽制も激しく、この構想はなかなか現実に移されずにきた。

これまでに、本社をコンゴ共和国のブラザビルに置くこと、資本はCEMAC諸国が45%(加盟6カ国が各5%、中部アフリカ開発銀行(BDEAC)が15%)、エールフランス・KLMグループが34%の比率とすることが合意されている。前回、2012年11月のCEMAC閣僚級会合では、総裁、運営評議会委員長の選出も了承された。

しかし足並みの揃わない中部アフリカ諸国。地域の翼が羽を広げるまでには、現実的にはまだまだ時間がかかりそうだ。

ここでエピソード。以前、コンゴ共和国のブラザビルからガボンのリーブルビルに移動した際の話。わたしが身を託したのは、Air Service Gabon(エール・セルビス・ガボン)。一応現在のところ、地域のネットワークだ。

マヤマヤ空港には黒山の人だかり、そして大量の荷物を押し込もうとするアフリカ人でごった返していた。他方、空港のエプロンに目を転じると、あまりに貧弱なボンバルディア機。イヤな予感、三つのリスク。一つ、人がオーバーブッキング。二つ、荷物はキャパオーバー。そして三つ、きっと客の選別が行われるが、荷物と客の一対一対応が行われないであろうこと。

どれも的中した。座席はコネで確保した。荷物は押しで預け入れた。搭乗後、窓側の席を確保して、エプロンを見つめる。手作業で無理に荷物を詰め込もうとする地上作業員。ついに観念して、乗せられない荷物をターミナルに引き上げて行く係員。私の白いスーツケースもその中にバッチリあった。それはまずい。リーブルビルでは長居しない。ここで別れた荷物は、もう二度と帰ってこないだろう。私は念じた。でもなにも起こらない。そこでここは捨て身でネゴ、係員に詰め寄ろうとした、その時。なぜか知らないが私の荷物だけが最後の荷物として積み込まれていった。念力が通じた?!奇跡の一件だった。

(次回、第四話「最難関!コンゴ民主共和国」につづく)

(エール・セマックのロゴ。構想から十余年。まだこれをつけて飛んだ飛行機は存在しない。)


「アフリカの航空事情」
第一話~横とびが大変!
第二話~エールフランスとアフリカ


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