アフリカ旅行をすればわかるが、アフリカの国間の移動、いわゆる「横とび」は大変だ。便数が少ないことに加え、遅れ、キャンセルが当たり前。ロストバゲッジのおまけ付き。また乗り継ぎ地ではアウェー待遇を堪能することもある。体力、時間と、神経戦を迫られることもしばしばだ。結局、隣の国に行くのにも、金かけてパリを経由した方が早くて確実だったりする。
西アフリカでいえば、さらに仏語圏と英語圏のコネクションが悪い。何が問題かって、仏語圏は航空会社の低いオペレーション、英語圏はたいていナイジェリア系のエアライン、そのいい加減さと待遇だ。
歴史を振り返れば、仏語圏アフリカに広く翼を広げていた、悪名名高きエール・アフリック。飛ぶかどうか、来るかどうかも気まぐれで、エール・プテートル(peut-etre=perhapsの意味)の異名をとった。また汚職や、姻戚の雇用、縁者の不正搭乗などで資本を食いつぶし、破産に追い込まれた。少なくともアフリカ関係者ではそういうことになっている。
そういえば我が愛すべきコンゴ、以前はザイール航空という国営航空会社をもっていた。これがまたいつ飛ぶかわかららない。航空会社コードがQC(フランス語でキュ・セ)だったのだが、これを文字って、揶揄された。
「ザイール航空便はきょうはいつ飛ぶの?」
「'Qui sait?'(キ・セ=誰が知るか?)」
エール・アフリック亡き後、西アフリカではひところエール・セネガル国際航空ががんばった。しかしモロッコ資本が撤退すると、程なく破産。その後、横とびが苦難の時代を迎える。コナクリ(ギニア)やプライア(カーボベルデ)への移動は必ず便が大幅に遅れるので、難儀した。知人はコトヌ(ベナン)からアビジャンに移動するのに2日待たされ、帰りはラゴスで一昼夜。宿泊なしで放り出された。
ところがだ。
今、西アフリカではリージョナルフライトががんばり始めている。ブルキナファソを本拠地とするエール・ブルキナ航空と、トーゴを本拠とするAsky(アスキー)航空だ。どちらも定時制、確実性を維持しようと躍起、失礼、必死になっている。ぜひ頑張ってもらいたい。
さらに、である。2011年から運行を開始したセネガル・エアライン、当初はひどいもんだったが、ここへきてどうにか軌道に乗りつつある。そして2011年に運航を停止したエール・イボワール航空を引き継いだエール・コートジボワール航空は、エールフランスからの出資を受け、2012年より地域フライトを就航させた。
まだまだ西アフリカの横移動はアウェーのままだ。しかしアフリカのダイナミックな成長と、統合への動きの中、西アフリカの航空勢力絵図は大きく変わろうとしている。
(今は亡きエール・セネガル国際航空と今は亡きエール・イボワール航空の写真。今は入れないマリ・バマコ国際空港にて。すべて今は昔、、、)
西アフリカでいえば、さらに仏語圏と英語圏のコネクションが悪い。何が問題かって、仏語圏は航空会社の低いオペレーション、英語圏はたいていナイジェリア系のエアライン、そのいい加減さと待遇だ。
歴史を振り返れば、仏語圏アフリカに広く翼を広げていた、悪名名高きエール・アフリック。飛ぶかどうか、来るかどうかも気まぐれで、エール・プテートル(peut-etre=perhapsの意味)の異名をとった。また汚職や、姻戚の雇用、縁者の不正搭乗などで資本を食いつぶし、破産に追い込まれた。少なくともアフリカ関係者ではそういうことになっている。
そういえば我が愛すべきコンゴ、以前はザイール航空という国営航空会社をもっていた。これがまたいつ飛ぶかわかららない。航空会社コードがQC(フランス語でキュ・セ)だったのだが、これを文字って、揶揄された。
「ザイール航空便はきょうはいつ飛ぶの?」
「'Qui sait?'(キ・セ=誰が知るか?)」
エール・アフリック亡き後、西アフリカではひところエール・セネガル国際航空ががんばった。しかしモロッコ資本が撤退すると、程なく破産。その後、横とびが苦難の時代を迎える。コナクリ(ギニア)やプライア(カーボベルデ)への移動は必ず便が大幅に遅れるので、難儀した。知人はコトヌ(ベナン)からアビジャンに移動するのに2日待たされ、帰りはラゴスで一昼夜。宿泊なしで放り出された。
ところがだ。
今、西アフリカではリージョナルフライトががんばり始めている。ブルキナファソを本拠地とするエール・ブルキナ航空と、トーゴを本拠とするAsky(アスキー)航空だ。どちらも定時制、確実性を維持しようと躍起、失礼、必死になっている。ぜひ頑張ってもらいたい。
さらに、である。2011年から運行を開始したセネガル・エアライン、当初はひどいもんだったが、ここへきてどうにか軌道に乗りつつある。そして2011年に運航を停止したエール・イボワール航空を引き継いだエール・コートジボワール航空は、エールフランスからの出資を受け、2012年より地域フライトを就航させた。
まだまだ西アフリカの横移動はアウェーのままだ。しかしアフリカのダイナミックな成長と、統合への動きの中、西アフリカの航空勢力絵図は大きく変わろうとしている。
(今は亡きエール・セネガル国際航空と今は亡きエール・イボワール航空の写真。今は入れないマリ・バマコ国際空港にて。すべて今は昔、、、)
ブルキナファソ、昔はオートボルタといっていました。サンカラの逝去、コンパオレ体制の継続など、アフリカ政治では萌える国です。今でも台湾外交を維持。
これからもアフリカ航空事情シリーズ、続きます。またアフリカ政治や、アフリカと中国・北朝鮮の関係なども書いて行きたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いします!
ブルキナファソと言えば、久しく世界の最貧国の称号を頂戴していた国ですね。大学時代に朝鮮語を選択していたので、よく北朝鮮のラジオを聞いていました。ブルキナファソに対して、金某が援助をしただの、お誕生日に祝電を送って来ただのと、報道されていて「いったい、どこの国だろう」とおもっていました(^ ^;
北朝鮮は、過去アフリカの国々に、資金援助や軍事援助をしていたんですね。
>悪名名高きエール・アフリック。飛ぶかどうか、来るかどうかも気まぐれで、エール・プテートル(peut-etre=perhapsの意味)の異名をとった。
アジアでも、パキスタン航空は、その略称(PIA)と運行のいい加減さから、perhaps I arrivalなんて呼ばれていました。
普段は見聞きできない、貴重なお話を読ませていただきました。今度、時間を見つけて過去記事も読ませていただきます。
今後とも、よろしくお願いします^^