思索の海辺

壮年部・那由他楽人の個人的思索を書き付けておくブログです。
主に創価学会関係。*今更ながらTwitter開始。

実質主義

2007-10-10 23:40:28 | 書籍引用
 さて戸田先生がもっとも嫌われたのは、「形式主義」であった。ゆえに弟子の私も、徹底して「実質主義」の人間である。
 「形式」が大切な場合もあるが、中身のない形式主義は悪である。形式は”死”、実質は”生”、形式は”迹(影)”、実質は”本(本体)”。形式主義は保守となり、実質主義は進歩と発展をもたらす。
 たとえば会合をする。何人来たか、きちんとできたか-そうしたことのみを気にし、形にとらわれて、実質を見失う。これでは失敗である。
 「実質」とは、たとえ少人数でもよい、来た人が、心から納得し、喜び、御本尊への確信をもって出発できたかどうかである。たった三人であっても、御本尊を拝し、御書を拝読し、感激し、信心の炎が燃え上がっていけば、仏法の眼から見て、計り知れないほど偉大な集いである。
 反対に、何千人集まり、整然と進行し、立派で盛大そうな姿を見せたとしても、皆がただ疲れ、苦しみ、心からの信心の喜びがないのであれば、結果として虚栄の集いとなってしまう。
 リーダーのための会合でもなければ、組織のための会合でもない。一人の「人間」の発心と成長のための集いなのである。
 「人間」のために組織があり、リーダーがいる。組織やリーダーのために「人間」が従となれば、もはや仏法の生命はない。その濁りによって、「仏の力」「法の力」がせき止められ、功徳も広がらず、発展も止まってしまう。
 「一人」の人を、どこまでもあたたかく励まし、大切にしていくところに、一切の勝利の基本がある。
 組織といっても、その実質は「人間の集い」であり、人間と人間の関係である。たとえば、わが地域は、どうも低調だ、結果が出ないなどといっても、すべて、その組織のなかの人間同士の状態の反映なのである。
 人の心は微妙である。組織という形にとらわれ、上からの命令や圧力をあたえて、人を動かそうとしても、動くものではない。それでは自発の、本当の力は出ない。
 だれに対しても、その人の機根、状態に応じて、真心を込め、慈愛を込めて、対等の人間同士として語り合い、満足を与えていく。その積み重ねのなかに、必ずや大きな発展がある。
 要は「一人」の友に、心からの安心と納得をあたえ、立ち上がらせていくことである。その、「一人」の信心という小宇宙の爆発に応じて、その集まりである組織も回転を始める。ここに一念三千の法理の実践がある。

《池田大作全集 第74巻 P.33~》

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平成2年2月15日、第2回SGIパン・アメリカン諸国会議でのスピーチ。

男子部では「結集力」が問われることが多いが、「結果」を重視するあまり「過程」が疎かになってしまう傾向がある。それを積み重ねていくと、「結果」まで悲惨な状況となる(実体験)。

我が組織はどこまでも「実質主義」で戦おうと改めて決意。