沖縄県基地問題について(昨日)
いわゆる普天間移転に伴う辺野古への基地建設断固反対
姿勢を貫いてきた翁長沖縄県知事であったが、
これを違法とする司法判断がこのほど確定したことを受けて
これまでの反対姿勢を撤回する方針を固めた。という報道が
あった。
「沖縄県民の気持ちは本土の人にはわからない特別な感情がある」
と元外交官、現アナリスト作家の佐藤優(まさる)氏が語っていたが、
わたしも勉強不足でその「特別な感情」への理解に苦しみます。
唯一地上戦があって、戦後もずっと米軍に占領されていた沖縄。
本土復帰と喜んだが、思いもよらなかった基地付き復帰だった。
「日本政府は手厚い復興補償を続けなければならない」という
県民感情がそこに形成されたのでしょうか。
そこまでは、純粋な気持ちで理解もできます。
どこかの国も同じようなことを言っては反(恨)日を繰り返し、多額の
補償金を要求してくる。
沖縄の場合も、その利権に群がる人々が本土からも、近隣国からも反日分子
が群がっているという構図なのだろうか?
基地の周辺には、何故か関係の無いハングル文字や中国語が見受けられる。
不思議な光景がある。
横須賀、厚木、横田の首都圏にも広大な基地が存在しています。
その空域は米軍による制空権が存在し、羽田空港への民間機
の発着にも多大な影響が及んでいます。
本土でも広島、長崎では痛ましい原爆犠牲者が出ました。
東京を始め全国で大空襲による多数の民間人が犠牲になりました。
しかしそこでは、反日分子が利権に群がる隙を与えていないように思える。
(3月・4月に起きた出来事)
「まるで牡蠣をお寿司にべろーんと乗っけたような格好の
いったい何処がいいんだ」と僕は反対だった。
と新国立競技場のデザインについて森喜朗 会長が言っ
ていたのを思い出す。
その競技場の当初デザインを担当した建築家、ザハ・ハ
ディド氏がお亡くなりになられた。
(氏、自信作の白紙撤回にショックが大きかったのだろうか)
65歳だったそうです。
ご冥福をお祈りします。
民主党を改め「民進党」と党名を改名した。
参加議員は維新の党を合わせ156人(衆96人、参60人)
(「民進党」はその後党首となった蓮舫氏が思い入れ強い故郷
台湾の現在の政権与党と同じ党名だ。
蔡総統には頑張ってほしいのだが・・・日本の党首はねぇ~)
韓国与党が惨敗
韓国国会(一院制)の総選挙で、朴槿恵大統領を支える保守系
与党「セヌリ党」の獲得議席は、過半数を大きく割り込み、惨敗。
第2党に転落した。
(どってことない隣の国の政治ですが、今の混乱振りはこの当時
からもう、このような動きがあったってことですね。)
あぁ、今日は全て政治的な話題になってしまった。
ごめんなさい!・・・・・<(_ _)>
今日の画像は3月、4月の埋蔵写真からピックアップしました。
1.3月、春の装い
2.3月、山桜
3.3月、河津桜とムクドリ
4.3月、河津桜を行く京急電車
5.4月、田植え
6.4月、芝桜SLが行く
7.4月、芝桜の丘(羊山公園)
8.4月、人との共演
9.4月、春の嵐