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沖縄演劇の現況:「尚徳と金丸」の成功!は一つのメッセージですね!

2011-10-30 16:20:41 | Theatre Study(演劇批評)
               (フィナーレです。少ない予算でよく頑張りました!)

沖縄現代演劇協会が大胆に今回【尚徳と金丸】-史曲ももちゃら第二部、を上演したことは8月20/21/22日、同じこのニライセンターの「カナイホール」で上演された【いめらめら】(演劇きかく「満福中枢」)に続く、現代演劇の創造/想像に日夜頭脳と身体を奉仕している面々の伝統芸能・演劇へのいわば挑戦であり、その挑戦に負けているのが現代の沖縄芝居の伝統芸であり、そして国から温存される恩恵を受けている組踊を含む国立劇場おきなわの文化運動という構図になるのだろうか?

それらの劇場と社会の構造をからめた問題提起が実は膠着した沖縄芸能・演劇への異議申し立てにもなっていたのが今回の【尚徳と金丸】である。『いめらめらと思て 里待ちゅる我身や 咲ちゅる節ねらん 花がやゆら』(早く来てください、早くいらして下さい、と思いながら愛しいあなたのお越しを今か、今かと待っているだけの私は、もしかして、もう花を咲かすことはできないのでしょうか)、この恋の琉歌から取られた題「いめらめら」の舞台ではなんと現代のうちなーの姉妹が1800年代の薩摩と琉球の歴史の嵐の時代に飛んでそこで琉歌のつらねを唱え、組踊の唱えまで飛びだして、そして全く違和感がなかった、のである。歴史を追体験する現代の沖縄に生きる姉妹たちの物語は重たい薩摩と琉球王府の歴史物語をあぶりだしていた。悲劇に笑いを挿入し物語を編んでいった犬養憲子さんと仲程千秋さんのセンスに感銘を受けた。振り付けは知花小百合で地揺は花城秀樹である。立体的な舞台の面白さで沖縄芝居を再構成した彼女たちのセンスは可能性の兆しだった。そして今回の史劇である。

(終了後のロビーです。尚徳役の平安信行は超かっこ良かった!ウチナーグチも良かったよ!)

沖縄芝居の中では何度も上演された『阿麻和利と護佐丸』の15世紀琉球史の戦国時代の物語、そこに第一尚氏最後の若き王「尚徳」をもってきた。阿麻和利と護佐丸を滅ぼした尚泰久王はその二年後に没したが、琉球國は安泰に見えた。しかし21歳で即位した若き国王尚徳の野望は喜界島征伐に自ら身を乗り出していった。そしてその8年後、おそらく毒殺されたか、沖縄芝居の中で強調されるように久高ノロ・クニチャサとの愛を貫き久高か海上で無念の最期を遂げたのかもしれない。尚徳の墓はないと与並岳生さんは「新琉球王統史」の中に書かれているが、那覇市識名にお墓と碑が立っている。尚徳の遺骨が収納されているかどうかは定かではないが、彼の慰霊碑(墓)は存在する。誰が丁寧に建立したのか、誰がその墓を守っているのか興味深い。第一尚家の末裔の方がおられてその子孫が大切にしている可能性はある。

しかしなぜ「尚徳と金丸」を現代演劇協会はあえて選んだのだろうか?八幡按司と自らを湛えた尚徳の意気盛んなりりしさは日本史の中で人気のある織田信長のような魅力が頭を過る。彼は21歳に即位し、29歳には命を絶たれたが、飛ぶ鳥の勢いを持っていた。それが狡猾な金丸に射落とされたわけである。この宮城信行の脚本の物語の中では安里大親の存在が大きい。自害した護佐丸の兄と称する男が、亡き弟の無残な死の復讐を企て尚第一王統の破滅をひそかにたくらんだという筋書きになっている。また尚泰久の側室宮里阿護母志良礼が護佐丸の娘の王妃の息子たち金橋と多武喜を退かせ、後宮の画策の中で金丸と組んで尚徳を王にしたという筋書きも十分あり得る話である。

(今回多くの若者が観劇していました。ここから未来が微笑むのですよね!)

しかしその宮里阿護母志礼が継妃になり雌鶏が祭ごとに嘴を入れてウンヌンの筋書きは納得がいかない。尚徳が王位についてからの花々しい政策は喜界島征伐を除いて、国の交易にも力を入れなかなか意気盛んである。第二尚氏もまた八重山征伐などをやり勢力拡大を図っている事、金丸が鬼大城を滅ぼした史実に照らしても、金丸の陰謀の大きさがせり出してくるが、物語の推移はそうではない。追いつめられた尚徳が愛するクニチャサとサバにに乗って語る独白とクニチャサとのやり取りの長台詞の中に、宮城信行の思いが込められているのだろう。つまり血気盛んな若い王が陰謀にあったその無念があり、彼なりの政局への思いが込められている。憐れな若い王の姿をしかし、舞台は勇壮に描いた。嵐の夜、サバニの上の尚徳は語る、自ら征服した喜界島から琉球國に攻め入るとーー。金丸に挑みたいとーー。歴史の転換がこうしてなされた。金丸が一枚上手だった!久高の12年に一度のイザイホウの時にクニチャサと尚徳は愛し合い王子を授かったことを誇り高くノロに宣言する若き王の【ヒューブリスHubris】不遜な姿があった。ギリシャ悲劇を彷彿させる推移である。悪い兆しの顕れである、ノロたちはこそこそ囁く。身を清めるべき儀礼儀式の場が愛の場になった。その辺は宮城信行の作劇上の伏線で興味深い。

(喜界島の勝戦から凱旋した尚徳!)

そして物語は急展開する。金丸が擁立される。大内原に集められた女たち、大勢が殺されたことが暗示される。歴史の大転換期の暴虐・クーデターはこうして安里や金丸の手に渡った。

とまぁー、結構重い歴史劇だが、そこを田原はある種の仕掛けを作った、いわば脱構築である。演じる若者たちの等身大の役柄でその芝居を見据えることばを台詞にした。「いったいなんだばー?なぜウチナー芝居よ」と。なぜ国立劇場おきなわは「うちなー芝居」の養成をしないのよ。うちなーんちゅの身体論まで飛び出してきた。うちなーぐちで話すことのない日常を生きるうちなーんちゅの身体は、もはやウチナーの身体ではないのではないか?琉球舞踊をたしなむ者たちの身体もまた落差が激しい。歌詞に振りを当てているのである。ウチナーグチの意味さえ分からず、古典や民謡の歌三線の意味を知らず踊る身体の不条理さを浮き彫りにする。現代演劇をやる彼らが演じるウチナー芝居にしても身体と言語や感性のギャップがある。また舞踊家の身体と踊り、その根幹にある歌・三線と歌詞(琉歌)の世界の裂目がある。それをいったいどうするばー?と問うた。

いったいどうするのですか?生活実態とかけ離れた芸能の虚構の美がある。演じることと表出する事と日常の縛りのある身体との関係性を問う。そして国立劇場おきなわが組踊の養成だけしている現実への疑問がある。組踊劇場だけではないはずで近代以降のPerforming artsすべてを網羅するなら、当然沖縄芝居の養成もすべきではないのですか、と田原は問いかけたのである。

(安里大親と金丸の陰謀)

学校でウチナーグチを教えたり、国立劇場で現代演劇やウチナー芝居も含めたいろいろな養成科を作るべきではないかとも提起する。このお芝居の中の台詞で提起されたことばに国立劇場や沖縄県の文化政策部局にいる方々は皆耳を傾けるべきだろう。そうできないのなら、彼らのセンスは非常に遅れていて、文化政策を推進する能力に欠け、時代の要請さえも感知できない実存という事になろうか?

あっぱれな沖縄現代演劇協会の物言いである!それに耳を澄ましてほしい。しかし国の機関として管理体制が厳しくなった国立劇場おきなわにすべてをゆだねるのは危険でもある。将来的に沖縄が自治州になった時、全く国ではなく自治州沖縄が管理する沖縄自治州「民衆劇場」になるべきだからである。

その点田原さんたちの国への幻想がありえる。現劇場も沖縄民衆劇場であってしかるべきだと考える者として、国の予算は十分受け取っても沖縄のパブリック劇場であるべきだと考える。そうでないかぎり国立劇場おきなわは日本が世界にディスプレーする多文化・多元国家日本の体の良い劇場でしかないであろう。利用するに余りある素敵な劇場という事になる。(身体論でいけば、沖縄の身体を鎖でつないでおいて、その旨味のある文化を利用するという手法で、沖縄大使まで常駐させているわけですからね。この沖縄大使とやらの素顔を「お笑い米軍基地」は笑劇の種にしてほしいね!)身近なフィリッピンでも同じことが見られる。マイノリティー・イスラム地域の芸能が国の予算によって補助され国のディスプレーのいい見本になっている。

(演出家の役で新垣晋也は頑張っていた!ロビーにて!)

少数民族の言語と文化・芸能の表象は実は激しく結びついているゆえに、利用されやすい点も明らかであるというのが現在の見解である。それを打ち壊し真に自らの財産・アイデンティティーの基盤にする文化運動が必要だと考える。どのように?

今回の『尚徳と金丸』は画期的な発信だったと言えよう。それはある意味で県や国の文化行政へのアンチテーゼでもありえる。その点で今回の舞台にエールを送りたい!ごくろうさま!たいへんだと思うけれども那覇でも浦添でも上演してほしい。どう資金を造成するか、そこが常に問題だが、しかしあらゆる機会をうまく利用してその舞台の価値を押し広げてほしい。可能ならば出来る範囲で応援したい!このようなブログで発信することしか今はできない。Sorry!

【この宮城さんの脚本では金丸はいい人間に描かれている。尚徳に人徳がなかったような描かれ方である。しかし歴史の史実はそうではなく、若いながら勇敢に政治に立ち向かったことがわかる。それゆえに惜しまれて新作組踊にも取り上げられるのだろう。もちろん芝居にもーー。しかし王府の政権交替の真実は闇の中である。事の真相はどこにあるのか?永遠のロマンが歴史探究でもありえるところである。謎が深いゆえにーー!
≪追記≫
少し誤解があったようです。この戯曲の最後がポイントです。尚徳は男の生き方として二つ揚げています。自分の損得だけ考えて生きる方法と自らの誇りのために生きる方法の二つです。つまり金丸の本性を見抜いていたのだと、いう台詞になっています。つまり歴史の勝者への厳しい視線を宮城さんはまた向けていたのだということですね!拍手!】

配役を紹介したい:
 作:宮城信行
 演出・脚色:田原雅之
 尚徳:平安信行
 金丸:当山彰一
 クニチャサ:安次富正美
 尚泰久:普久原明
 王妃:金城理恵
 安里:新垣正弘
 東風平」國仲正也
 男A:新垣晋也
 男B:平敷朗
 男C:永田健作
 女A:仲程千秋
 女B:幸地尚子
 女C:比嘉あずさ
 劇団O.Z.E
 TTC
 演劇きかく「満福中枢」
 地揺:花城英樹
協力:敏風会、安次嶺利美琉球舞踊研究所
舞台美術:前田昭夫舞台工房ハブスタッフ
音楽:赤嶺康
照明:稲嶺隆(沖縄舞台)
音響プラン:犬養憲子
うちなーぐち指導:平良進、吉田妙子
舞踊指導:安次嶺正美
制作:沖縄現代演劇協会

共同主催:北谷町教育委員会、北谷町自主事業実行委員会、沖縄演劇協会
後援:NHK沖縄放送局、FM沖縄 沖縄タイムス、沖縄テレビ ラジオ沖縄
   琉球放送 琉球新報 琉球朝日放送

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演技に関しては、詳しく記す必要を感じない。つまり今後繰り返し上演してほしい。皆よくやっていたと思う、現代の身体性・感性の中にウチナー芝居、しかも史劇をやってのけたという事で、ウチナーグチをマスターした事でも立派すぎるし、上演を重ねるうちに琉球舞踊や空手をこなしながら、もっと身体と言語が馴染んでいくはずですよね。その時、芸大=国立劇場おきなわをリンクした舞台を凌駕していく可能性があると言える。すでにあそこの舞台よりはるかに面白いかな?!

≪写真についての言い訳ですが、決していいカメラで撮ったものではなく広報のつもりでUPしています。問題がありましたら削除はいつでもOKです。≫

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