志情(しなさき)の海へ

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19世紀アメリカのポピュラー・シアター:国民的アイデンティティーの形成

2011-01-21 06:05:11 | 表象文化/表象文化研究会
斎藤偕子先生のこの新書に驚いている。
まさに近代アメリカのperformance. あらゆる表象活動・行動を大衆演劇として視座においた緻密な論稿である。冒頭から惹きつけられている。420ページ、それはまた近代アメリカを捉えたテーマであり、日本や沖縄の近代にもまた呼応しえると考えた時、同時代的近代の表象のありように眼が見開かれる。

論創社
2010年12月
日本の女性演劇評論の第一人者
慶応大学名誉教授

去年ミュンヘンでもクアラルンプールでもご一緒した斎藤先生が、優れたアメリカ演劇研究者であることは念頭にあったが先生のご研究の先鋭性がこの書物から照らされていると言っていいのかもしれない。ことばの表出される隙間、スタイルに感銘を受けたりもしている。

わたしは沖縄的発想から先生に失礼なことばを投げたのかもしれないと反省しながら読み進めている。ミュンヘンでイギリスガーデンを歩きながらたくさんお話したことが思い出される。ありがとうございました。アメリカに留学された時、まだアメリカ占領下にあった沖縄からミシガン大学に留学してきた学生たちとの出会いのお話もされていましたね。

基地が経済的にメリットがないことが今回よくわかった、ともお話されていた。日本の知識人層の良識的な感性を代表する方なのだろう。単純に演劇のもつラディカル性は常に弱者や体制の痛みの部分と反応しあっているのだと、の思いこみがあり、国際学会に行くと政治的な意識が喚起されることに驚いたりしているが、このご本をしっかり読んでアメリカの近代がどうこちらの近代と関わりあえるのか、ほどいてみたい。もちろん西欧を中心とする近代化の波を考えると遅れた日本であり、沖縄であった。それでも近代は同じように諸国の人々の足元に押し寄せたのである。

J.ホインジンガの冒頭の論旨もいい!
「いわば人類の初源時代と同様に人々が未踏地で苦闘している時代であっても社会制度の形成期只中にあっても、生理的・理性的に生きるためのみではない行為を人間は(むしろ喜びをもって)行っており、それこそが文明と呼ばれるものの「かたち」に関連した意味を持つ行為であって、それを「遊戯」「ルーデンス」と呼んで、その存在を認識しているのである」とは斎藤先生が書かれた文面である。

最後のアウトサイダーからインサイダーも興味深い。映画「アバター」が論じられる。汎神論的世界観を見ることができるとーー。アメリカで生みだされたものはひっくるめてアメリカ的なのだーー。それはそうなのだろう。民族や人種を越えて、アメリカ的であるに違いない、と納得するアメリカーー、されどのアメリカ!ここ沖縄にあるアメリカに思いが走る。アメリカが沖縄にもたらしたものは何だったのだろう。今でも占領者のように居座り続けるアメリカはいったい何だろう?近代の海辺を今見据えなければならないこの時、アメリカの近代の表象が痛く迫ってくる。

丁寧に読んで反芻したいと思う!

斎藤先生御出版おめでとうございます。しっかり読ませていただきます。

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