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鼎談:大城立裕&幸喜良秀&嘉数道彦と国立劇場おきなわの「聞得大君誕生」上映

2018-05-29 05:05:21 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他

        (2018年5月23日、国立劇場おきなわ大劇場です)

2018年5月23日、国立劇場大劇場で開催された。従来小劇場が大劇場になったようだ!92歳の作家・劇作家と80代の演出家に30代の国立劇場おきなわの芸術監督が質問する形式だった。40代から60代の人材不足なのだろうか、と一瞬思ったがー。

  

     大城&幸喜先生方の沖縄文化への貢献は大きいですね!

沖縄芝居との係わりに真喜志康忠さんと嘉陽安男さんの「阿麻和利」が登場した。「さらば福州琉球館」が誕生するまでに20年かかったのである。悲劇の中に喜劇を喜劇の中に悲劇を。沖縄芝居なり組踊の型を踏襲した大城作品である。それに西欧演劇の構造も加味されている。沖縄芝実験劇場が1980年代の半ばに誕生した意味も大きい。なぜ?中央からの眼差しがあった事実≪田中さんたち≫もある。

幸喜良秀演出家が懸命に若い嘉数さんを養成したことが分かるのは、幸喜芸術監督時代の5年間の嘉数さんの舞台への出演回数やその出番(主役級)の多さが証明している。

幸喜さんの孫の年齢の県立芸術大学出身の若者たちを文化ヒーローにする仕掛けは、大学創立を企画した故西銘順治知事の慧眼・聡明さ(沖縄の未来を見据えた思念の深さ)だったことは事実だろう。そして大学が果たした(果たしている)効果が如実に出たのが現在だと言えそうだ。

先日県庁6階の知事などの県首脳が実務を取る空間を訪問する機会があった時、県首脳の方から故西銘知事のお話があった。県立芸術大学、世界のウチナーンチュ大会の創設もまた西銘知事の功績だとお聴きした。(「一にも二にも人づくり」を掲げ、沖縄県立芸術大学沖縄県国際交流財団の設立や「世界のウチナーンチュ大会」の開催を推進した)

故西銘順治知事が沖縄の文化の根を強める政策をした政治家だったことが浮かんできた。

鼎談の中で大城さんはその事に幾分言及していた。県立芸術大学の卒業生たちの頑張りが目を見張るということは、現況が証言している。鼎談ではっとした瞬間は、大城作品「さかさま執心鐘入」に言及して少し嘉数さんが最後がよくわからない、どう演出していいかわからない、というような事を言及した時だ。大城作品は演出家に寛容だということがわかる。書き直しも多かった「聞得大君誕生」である。再演の演出は嘉数道彦だ。今回の上映はその沖縄での舞台である。京都の南座で拝見したが、舞台の形式が変わっているので、興味深かったが、演出の良い点と欠点が諸に出ていると感じた。

ノロとユタの確執という筋がある。ノロとユタの差異をつくるために、苦労したことがわかるが、ユタの祈りの手とノロの祈りの手が異なる。両手を下に三角の形を作るその手合いは正直異様に感じた。

中軸になるユタのナビーは品各のいい老女の風情である。予兆をするユタだ。それが今帰仁の闘うノロとユタになると、下卑たイメージにユタを持ってきた。武具をもっていた初演と異なるが、差異の見せ方はさらに演出が必要に見える。玉三郎の唱えの弱さが伝わってきた。踊りのしなやかさはいいね。鬘を被る歌舞伎と琉球舞踊の古典女踊りの結髪の違いもその姿形の美に差異がある。

舞踊による恋愛の表出が浮き出てきたのは事実だ。争いの場に犠牲(スケープゴート)として送られる恋人、そして推定される死、祭祀制度の確立としての聞得大君の誕生である。兄妹による王権の両性具有的な支配の構造が確立したのである。

ユタとノロの歴史をきちんと見たい。

冥土から見守っています。と大城先生はお話された。幸喜先生は大城作品の深さを話した。嘉数さんたちが及ばない歴史や知性の層をもっているお二人である。知性と歴史・文化体験として、お二人が担ってきた層の深さ・桎梏・希望を嘉数さんが理解し、乗り越えてほしい。大城先生や幸喜先生の文化運動について、その果実の舞台作品についてきちんと捉え返さないといけない。現代の若い代表がグローバル・ローカルの時代にどう才覚を拓いていくのか、関心は尽きないがー。大城&幸喜が構築したもの、それが沖縄、日本の中だけではなく、世界の鑑に照らしたときどうなのか、が問われている。

    


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