(琉球新報6月29日)
沖縄で上演された舞台をさらに、進展させた事が伺われた。
例えば、能や組踊の実演をされている越智さんは、以下のメールを送ってきた。
二つの異なる舞台演出について述べている。
越智信一朗さんからのメールです。(今日平敷屋朝敏や他の方々の没後290年慰霊祭で再会して、ブログでのご紹介を了承していただきました。)
「先週末、能舞台の方、能が主となった金曜日と組踊が主となった日曜日、異なるアプローチの二つの舞台を観てきました。
日曜日は雅恵先生とも少しお話することができました。
能が主となった金曜日ですが、沖縄の地名なども含め、上手く能の古語として謡われており、日曜日は逆に組踊の唱えにきちんと入っていて、とてもよかったと思いました。また、この言葉を入れ変える、入れ込む仕事がかなり大変だったのではとも思いました。
また、能と組踊の地謡が交錯する箇所(1分ほど)も作られており、私も能の謡いや歌三線、笛なども習っていたことがあるので、かなり実演家には難しいところだったのではないかと感じました。演出方法としては、最後の終演の場面で能の謡いが終わり、それを引き継ぐような形で歌三線などが演奏され、終演を迎えたのはとても二つの古典芸能を結ぶような演出で、よかったと思います。
他には、舞台が始まる前に、舞台の奥に飾られている大きい絵画に過去の沖縄戦や現在のオスプレイが飛んでいる映像などを音付きの映像を投射し、近現的な「いま」を演出し、その中には照屋勇賢さんのパラシュートなどを入れた紅型の映像も入っており、舞台の始まりとして、観客に強い印象をつけられたのではないかと思います。
最後に1点気になったところは、阿嘉さんの唱えが(一定のリズムではあったのですが)普通の組踊とは違うリズムで唱えられており、組踊も習っている自分の経験からすると若干違和感がありました。ただ、組踊を初めて見られる方には特に違和感はなかったかもしれません。」
日曜日は雅恵先生とも少しお話することができました。
能が主となった金曜日ですが、沖縄の地名なども含め、上手く能の古語として謡われており、日曜日は逆に組踊の唱えにきちんと入っていて、とてもよかったと思いました。また、この言葉を入れ変える、入れ込む仕事がかなり大変だったのではとも思いました。
また、能と組踊の地謡が交錯する箇所(1分ほど)も作られており、私も能の謡いや歌三線、笛なども習っていたことがあるので、かなり実演家には難しいところだったのではないかと感じました。演出方法としては、最後の終演の場面で能の謡いが終わり、それを引き継ぐような形で歌三線などが演奏され、終演を迎えたのはとても二つの古典芸能を結ぶような演出で、よかったと思います。
他には、舞台が始まる前に、舞台の奥に飾られている大きい絵画に過去の沖縄戦や現在のオスプレイが飛んでいる映像などを音付きの映像を投射し、近現的な「いま」を演出し、その中には照屋勇賢さんのパラシュートなどを入れた紅型の映像も入っており、舞台の始まりとして、観客に強い印象をつけられたのではないかと思います。
最後に1点気になったところは、阿嘉さんの唱えが(一定のリズムではあったのですが)普通の組踊とは違うリズムで唱えられており、組踊も習っている自分の経験からすると若干違和感がありました。ただ、組踊を初めて見られる方には特に違和感はなかったかもしれません。」
阿嘉さんの唱えに関しては、実際舞台を観ていないので何とも言えないのだが、以前、新作組踊「海の天境」の作品でも、従来の唱えと異なる唱え、リズムが独特な味わいだったことを思い出した。
越智さんだけではなく、能を嗜んでいる鈴木さんも京都から東京に向かい高円寺の舞台を観て、感動したとメールを送ってきた。
ぜひ沖縄でも再演してほしい。