
久高島に生きる30歳から41歳の女性たちが神になる神事の記録映像は1967年の島の習俗、規範も伝えている。1978年以降、イザイホウは消え去った。女たちの祈りが消えたわけではない。その神事が再開できなくなったのである。祭祀は全き姿で継承されるわけではない。時代と共に消失したり変容もする。
島の女として生きるために、神になる祭祀に真剣な表情で向き合う姿に心打たれる。島や家族を守るために彼女たちは4日間の本祭と一ヶ月間の神事に従事する。
このような儀礼は他にないだろうか。宮古島のウヤガン祭がある。
イザイホウは以前にも観たが、「南島残照 女たちの針突(ハジチ)ー沖縄・宮古島のイレズミー」は、はじめてだった。
書籍や写真集では観たことがあったが、動画は直截に針突の美しさを、施術の痛みと思い、誇りを伝えてきた。90歳以上の女性たちはただ美しいと感じた。女性たちのハジチ模様は類似していた。呼び名もまた~。ハジチをする理由もやや似ていた。1899年(明治32年)10月21日に沖縄県にもハジチ(入れ墨)禁止令「分身禁止令」以降に廃れていった慣習である。
1984年に22人の88歳から99歳の女性たちの証言を記録したドキュメントである。貴重な映像が残された。
女性たちの手の甲への針突は思いの他、美しいと感じたのは
なぜだろう。イレズミは文化表象であり、その歴史は長い。
以下はウィキピディアから~
かなり長い記述の中で以下は奄美・琉球について*
「奄美・琉球では「ハジチ(針突・ハドゥチ・パリツク・ピッツギ)」と呼ばれる入れ墨文化があった。ハジチは女性のみが行い、奄美・琉球人であることを示すことで日本本土や中国の人攫いから身を守る役割があったとされる。さらに、魔よけや後生(死後の世界)への手形とする民間信仰、成人儀礼としての意味もあり、美しさの象徴ともされた。
笹森儀助は宮古島では11, 13歳に施す成女儀礼であり、またそれがないと後生(グソー)に行けないと著作に記されているため、かなり強制力があったようである。沖縄本島では14歳くらいから施し始め、少しずつ文様を増やしていく。文様には地方によって微妙な違いがあり、両手に23の文様を彫りこんで完成とし、その頃が結婚適齢期とされていた。文様のそれぞれには太陽や矢といったさまざまな意味がこめられていた。宮古島の場合は手背や前腕に彫り、文様が多彩で、人頭税下、貧困にあえいでいた島であるので、米のご飯をたべる女性に育って欲しいという文様(食器、箸など)もある。
琉球王国が沖縄県として日本に併合された後もしばらくこの旧習は維持されたが、1899年(明治32年)10月21日に沖縄県にもハジチ(入れ墨)禁止令が出されたことで、差別の対象となった。しかし、昭和初期までハジチを施す者がみられ、1980年代まで生存していたため、詳細な調査記録が残されている[。」