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大掛かりな琉球史劇「護佐丸と阿麻和利」、分りやすい演出でメインキャラクターが際立っていましたね!

2018-02-26 12:58:26 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他

〈印象批評〉

舞台美術がこの間のお芝居「史劇」より良かった。各場面の転換に挿入された音楽も良かった。メインキャラクターが際立った。阿麻和利、護佐丸、鬼大城の役柄ー。脇の準主役の力量がすこし物足りなかった。悪役〈野心〉の凄みが見せられなかったのは残念。玉木伸、玉城健、親泊元清さんたちのような骨太の役者のようには演じられない。真喜志康忠さんのような演技はなかなか厳しいかもしれない。神谷さんは、凛々しい若々しさで懊悩する阿麻和利の内面を見せていた。戦世の野心はある。されど情感が滲む演技を見せた。事を前に推し進める屋慶名や南風原の策略や武勇ぶりは見せ場でもある。今回このお二人の「らーさん」にもっとずる賢い狡さと武勇が感じられなかった。川満香多さんや普久原明さんなどが大きな身体で屋慶名を演じたら迫力があったのかもしれない。宇座さんは按司役など定評があるが、悪役の武勇者にはもっと何かがほしい。

歴史劇だけでなくどの作品でもそうだが、主役だけではなく脇役の演技の良さが全体を決定づける。配役の問題もあるが、今回、若手がどう演じきるか注目した。主役がきちんと、分りやすく各場面を演じたというイメージがした。主役の神谷さんが際立っていた。護佐丸の東江さんはもっと深い葛藤と無念を見たかった。護佐丸より鬼大城の玉城盛義が最後の見せ場で圧倒した。いかに阿麻和利が最後を迎えるか、演出によっていかようにも差異が出る。今回、阿麻和利は切腹で最後を見せたがその見せ方に独特な潔さがあった。阿麻和利に着物をかけてやる鬼大城である。それはすでに「落城」で真喜志康忠さんが見せた場面に重なる。

金丸が忠臣護佐丸の成仏を皆に手を合わさせる場面で幕である。勝連の「肝高の阿麻和利」とはまた逆か。今回、金丸が先導する護佐丸への哀悼の合掌が特異な終わり方だった。その後金丸は第一尚家を滅ぼし、王位に就く。鬼大城も金丸に殺されるのである。そこに皮肉な風刺を見たが、第二尚氏が護佐丸の子孫を取り立てた歴史を振り返ると、尚巴志系統への疑義があったのだろうか?尚泰の参謀だった金丸が「護佐丸阿麻和利の乱」の首謀者だった可能性はあったわけで、今回はそれが隠されていた。

平良進さんの演出は、分りやすく、国立劇場ならではの潤沢な資金(?)で舞台美術も良かった。回り舞台や花道などうまく使っていた。初めてこの史劇で舞台上に洞穴を見た。なるほどだった。従来いかに終わらせるかが気になるこの史劇の終幕は一つの筋書きがきちんと描かれていたようだ。二回の公演だけで終わりは惜しいね。10ステでもできる体制がほしい。

ご一緒に観劇した女性はとても感動していた。「護佐丸一族」の自決の場面は場内ですすり泣きが聞こえてきた。闘わずして自決を強いられる場面は70年前の集団自決を彷彿させる。史実の上ではミステリーなままだ。フィクションとしての史劇が時代を感化していくのも事実だ。歴史家はもっと歴史の真実にメスを入れるべきだろう。「肝高の阿麻和」は民衆に慕われた按司が首里の陰謀で破滅に追いやられた筋書きだ。悲劇の主人公である。今回の「護佐丸と阿麻和利」も史劇だが、悲劇の要因を持っている。護佐丸も悲劇的に滅びるが、阿麻和利もまた野心ゆえに滅びる筋書きである。幸喜先生は「段取り芝居」的なところがあるとお話されていたが、泣かせる芝居になっている。爆発する場面はどこか?場内が一瞬沈黙する場面は阿麻和利の登場場面と護佐丸の自決の場面だったー。

金丸の当山さんの声音が独特に聞こえた。乳母の役柄、衣装、艶やかな紅型など、時代考証は問わず、従来の沖縄芝居の継承に見えた。

 以上、簡単な印象。(備忘録)

 


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