志情(しなさき)の海へ

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沖縄芝居役者とコザ十字路まで遠出、かつての黒人街の面影は少しは残っているだろうか?

2013-09-04 01:15:26 | ジュリ(遊女)の諸相:科研課題

           (この絵画は「美人弾琴図」の掛軸です。筆者不明で実物は県立博物館蔵、これは『沖縄風俗絵図』の中からスキャンしました。下に書いた事とは関係ないのですが、つまりすでにこのブログで三枚の右膝立てで箏を演奏する写真、絵図を紹介しました。明治初期まで、どうも右ひざ立てで箏を演奏するのが慣習だった琉球・沖縄が伺われます。おそらく今研究している課題の中で、もっと掘っていくと、他にもそのような絵画や写真が出てくる可能性が高いですね。この間あまり絵画や写真による物証をしてこなかったゆえに、とても新鮮な発見があります。謝)

少し落ち込んでいる中で民謡クラブと同じく宮古フツの人気タレント川満先生の人気食堂での模合に誘われた。芝居役者と琉球歌劇の比較検証をする約束をしているのだが、彼女のこころのざわめきに付き合うように、夕方からなら大丈夫ですよ、と自動車道を通ってコザ市に向かった。街の景色がかなり以前と面変わりである。赤ちょうちんのついた居酒屋の奥に俳優協会会長春 洋一さんの民謡クラブがあった。芝居の近況が興味深かったと共に、ありし日の沖縄藝能の姿が距離を置いて見えてきた面白さがあった。懐かしい興味深いお名前が次から次へと会話の中に飛び出してきたので、メモを取っていた。そのメモを整理しなければー。

22時からまた浦添の川満先生の主催する模合へ。夜0時ごろまでやっているから大丈夫よとのことで、その席に着いた。24人の模合の会である。高宮城実人さんが熱心に芝居の先輩のことばに耳を傾けてきた。彼は聞く耳をもって成長している頼もしい役者であり太鼓のプロでもある。隣に座っていた愛らしい若い女性は琉球大農学部出身の学生、出身は和歌山県、で黒潮にのった沖縄と和歌山の交流の話で少し盛り上がったりした。(たとえばH氏賞受賞者の知念栄喜さんのお父さんが黒潮にのって流され和歌山に着いた話など)

彼女は琉球舞踊を習い、ウチナーグチをこの会の中で学んでいる。と、まぁー。凹んだ心のまま芝居女優のお供をして楽しんだ夕べだった。戻ったのが午前0時過ぎである。やれやれ☆彼女は今朝は留守電に「首里城明渡し」の史劇の中の台詞でデイゴの花が散ってなのか、デイゴの葉が散ってなのか、調べてほしいと吹き込んでいた。80代に近い役者の情熱に圧倒された。

そういえば、春さんが俳優協会会長として丸く束ねているのは、芝居役者の女性たちに対する氏の柔らかな感性ゆえだろうか?それはまた氏の人生経験の豊かさの賜物かもしれない。夫婦別室で寝るのは夫婦じゃないよね、と耳打ちした。なるほどです。

春さんの民謡クラブの裏側は復帰前は黒んぼ街として知られ、十字路を挟んで斜め向かい側が吉原で、今は閑散としているとのことだった。お店に入ってきたお客さんはカラオケを歌い、豪華ではないつまみを食し、酒を飲み、1万円以上は散財してひとときを過ごす様子だった。何十年もご自分でスナックを切り盛りしてきた女優はその道に長けた方ゆえに、1・2万円の散財を当然とした雰囲気だった。客と一緒に店で働いている女性たちもワインやビールを飲み、それらもまた客の出費になるのである。飲み屋ビジネスのことはよく知らないゆえに、戸惑うが、それで何冊か本が買えるなーと思っていた。

芝居役者の模合には参加していろいろお聞きしたい。思いがけないことばが聞こえてくる。There is wonder in most everythig I see.


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