
思うに、多くの女性舞踊家が組踊の烈女=女役を演じることが可能な沖縄なので、男性舞踊家の女形芸は厳しいかと思います。1719年頃から芸妓の女性たちも田舎に詣でて舞踊を披露してきた琉球近世、そして近代沖縄です。圧倒的に女性の琉球舞踊家の人口が多いなかで、その女性たちに優とも劣らない技芸を見せないといけないのですからたいへんですね。能鳳先生の技芸に対して、また切磋たくまに女形芸を追及する男性舞踊家は頼もしいです。男女共演、男性だけ、女性だけと同じ作品でも多様に演じられる琉球・沖縄芸能の時代に入ったのですね。それぞれの柔軟な芸の継承、保存、創作がなされたらいいですね。その中から真に優れた芸と芸能の実演者が誕生していきますね。
思うに琉球芸能の基軸にある琉球古典音楽や民謡の重要さですね。その古典音楽の世界などは筝曲は圧倒的に女性たちが多いのですが、歌・三線は男性陣ですね。しかし女性歌者のキーンとした術懐節など、また子持ち節など、身震いするほどの感動を覚えることがあります。男性の太い声音に交じる女性たちの歌三線の魅力も無視できません。男は歌・三線に女は筝曲の「夫婦のような古典音楽の演奏」形態の元は湛水親方と継妻の元仲島のジュリだった思戸さんのようですね。遊里で歌・三線を奏でた女性たちは古典も民謡も歌ってきたのでした。日々、歓待芸能として、踊って歌ってきたプロの手並みがあったのかもしれませんね。ただ1670年頃はまだ筝曲はなかったかもしれませんので、寄り添って親方と三線を奏でていた思戸さんが中島に実在していたと想像していいのかもしれませんね。
女性舞踊家も男性舞踊家もおおいに女形芸、女古典踊りや雑踊りを踊って競演している現在の沖縄の舞踊界の現状は、悪くないのかもしれませんね。