県立芸大付属研究所の面白い文化講座が2月22日始まった。近代沖縄の大衆娯楽文化総論を付属研究所所長の波照間永吉先生が、興奮したご様子でおよそ10分の休憩を挟んでたっぷり質疑もカットしてなされた。
国からの予算で国立劇場おきなわが県立芸大に委託した『琉球・沖縄芸能史』が発刊されたのである。冒頭から110ぺージにわたる琉球王府時代の芸能関連資料が興味深い。この間開示されなかった資料が豊富と見た。すでにこの5年間にこれらの情報にアクセスできた特権的な位置にある方々は論稿を発表されておられる。一次資料にアクセスできる方々の特権は株のインサイダー取引と似て、本が社会に公表され、刊行されないかぎり、越境的特権性に包まれていないだろうか?などと思った。芸大の博士課程の学生たちが下働きをした様子で、彼らは論稿を発表していない。国立劇場おきなわの企画・資料室と関係ある方々や出版責任者が論稿を発表されているようだ。これからどんな分析がなされどんな論が出てくるか楽しみ。近現代の沖縄の演劇を博論にまとめたい者としてもすぐこの芸能史年表にアクセスしたいのだが、すでに去年、国立劇場おきなわの芸術監督に打診したが、関係者の声は特権の檻の中にあったようだ。研究する者には積極的に、公平に提供してほしい。(一冊ください!いい論文を書かせてください!とここで叫んでもしょうがないが、同じ思いの方々は多いと思う!)200冊の行方?明日にでもアクセスを!
まぁその辺の研究者たちの闘いの構図や特権性は側においても、波照間先生のお話は近代以降となると、すで大野道雄氏が命をかけて琉球新報など、明治から昭和初期まで芸能関連は集積されていて公になっている。その新聞資料から貴重な修士論文がいくつか既に書かれている。それで、お話の中身は重複があり、近代以降に関しては新鮮味がなかった!琉球王府時代の士族層の家譜から取り出した資料が最も貴重に思えた!!
しかも大衆娯楽と銘打っている。相撲や村芝居や他の民俗的な娯楽も含めて一括りに「近代沖縄の娯楽文化」である。「何を私たちは求めていたのか」の問いかけは興味深かった。『大衆娯楽文化誌』を、と波照間先生は最後に締めくくられている。
拍手!です。沖縄芝居は下火だと鈴木耕太は新聞で書いているが、その通りで、しかしその通りにはしない文化運動は必要だろう。組踊の明治以降の衰退と復活もある。その中でどう芝居小屋で生き延びたのか、伊波普猷があえて琉球戯曲集を編集した背景も危機感があったようだ。
娯楽の中に芝居も相撲もいっしょにするのはなるほどだが、ことばが介在する娯楽とそうではない身体性の娯楽との違い、村遊びや三月あそびなど、その辺の捉え方は気になる。大衆娯楽なり大衆芸術なり大衆論にやはり取り組む必要がありそうだ。なぜ、あれほど沖縄芝居は那覇の街の大衆文化の中心・メディアになりえたのか?
*上記の中身に関して誤解があるから訂正した方がいいと、関係者で教え子の方から電話をいただいた。感謝!5分冊があるとのこと、また実際に新聞資料にあたらないといけないともーー。それはもちろんの事である!来週あたりにでも?!
国からの予算で国立劇場おきなわが県立芸大に委託した『琉球・沖縄芸能史』が発刊されたのである。冒頭から110ぺージにわたる琉球王府時代の芸能関連資料が興味深い。この間開示されなかった資料が豊富と見た。すでにこの5年間にこれらの情報にアクセスできた特権的な位置にある方々は論稿を発表されておられる。一次資料にアクセスできる方々の特権は株のインサイダー取引と似て、本が社会に公表され、刊行されないかぎり、越境的特権性に包まれていないだろうか?などと思った。芸大の博士課程の学生たちが下働きをした様子で、彼らは論稿を発表していない。国立劇場おきなわの企画・資料室と関係ある方々や出版責任者が論稿を発表されているようだ。これからどんな分析がなされどんな論が出てくるか楽しみ。近現代の沖縄の演劇を博論にまとめたい者としてもすぐこの芸能史年表にアクセスしたいのだが、すでに去年、国立劇場おきなわの芸術監督に打診したが、関係者の声は特権の檻の中にあったようだ。研究する者には積極的に、公平に提供してほしい。(一冊ください!いい論文を書かせてください!とここで叫んでもしょうがないが、同じ思いの方々は多いと思う!)200冊の行方?明日にでもアクセスを!
まぁその辺の研究者たちの闘いの構図や特権性は側においても、波照間先生のお話は近代以降となると、すで大野道雄氏が命をかけて琉球新報など、明治から昭和初期まで芸能関連は集積されていて公になっている。その新聞資料から貴重な修士論文がいくつか既に書かれている。それで、お話の中身は重複があり、近代以降に関しては新鮮味がなかった!琉球王府時代の士族層の家譜から取り出した資料が最も貴重に思えた!!
しかも大衆娯楽と銘打っている。相撲や村芝居や他の民俗的な娯楽も含めて一括りに「近代沖縄の娯楽文化」である。「何を私たちは求めていたのか」の問いかけは興味深かった。『大衆娯楽文化誌』を、と波照間先生は最後に締めくくられている。
拍手!です。沖縄芝居は下火だと鈴木耕太は新聞で書いているが、その通りで、しかしその通りにはしない文化運動は必要だろう。組踊の明治以降の衰退と復活もある。その中でどう芝居小屋で生き延びたのか、伊波普猷があえて琉球戯曲集を編集した背景も危機感があったようだ。
娯楽の中に芝居も相撲もいっしょにするのはなるほどだが、ことばが介在する娯楽とそうではない身体性の娯楽との違い、村遊びや三月あそびなど、その辺の捉え方は気になる。大衆娯楽なり大衆芸術なり大衆論にやはり取り組む必要がありそうだ。なぜ、あれほど沖縄芝居は那覇の街の大衆文化の中心・メディアになりえたのか?
*上記の中身に関して誤解があるから訂正した方がいいと、関係者で教え子の方から電話をいただいた。感謝!5分冊があるとのこと、また実際に新聞資料にあたらないといけないともーー。それはもちろんの事である!来週あたりにでも?!