志情(しなさき)の海へ

琉球弧の潮風に吹かれこの地を掘ると世界と繋がるに違いない。世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

朝7時、池の辺りから鶯の鳴き声と、あれは、白頭だろうか?朝のかすかな晴れやかさ!

2014-09-06 07:17:27 | ジュリ(遊女)の諸相:科研課題

                                              (緑深いキャンパスの池の辺りから鶯の鳴き声はやってきた!)

昨夜8時に研究棟に入り徹夜だが、不思議と眠気がしない。基礎資料をまだ読んですごす。章立てにそった資料の区分けなどをして時が過ぎた。気になっていた事柄が原資料から見えてきたのが収穫で、以前購入していた眞境名安興全集を紐解いていた。前に付箋を張り付けたところをじっくりまた読んでいた。今日は打ち込みを前に進めたい。疑問が解けたので、先行研究の分類、振り分け、評価ができそう。スキットして分かり良い構成と文章が書けたらいい。しかし死ぬまで書くことに四苦八苦するのだろうか?母は80過ぎても己の生き方を追求していて、自らの生きる糧となるような書物を絶えず身近に置いていた。その中の一冊に「人間死ぬまで変われる」があった。以前このブログでも書いたような気がするがー。「変われる」と自らにエールを送っている。若い学生たちと異なり、生きてきたこの間が試されている。What have you been doing so far?

今朝のときめきは鶯の微笑むような鳴き声だ!

1985年のうない運動の初期の女性の皆さん方が、当時「ジュリ馬」(旧廿日正月)を醜い芸能だとして糾弾する資料が出て来た。(前から持っているのだが、全体に目を通していなかった)外間米子さんはその論理の中心だったのだ。高里鈴代さんにしてもそうだが、粟国さんとか、知人の皆さんが並んでいる。外間さんが非常に詳細に『沖縄百科事典』や那覇市資料にも基本的な概念を女性の人権主張の立場から書かれていて、彼女の緻密な追求姿勢に驚く。ただ女性の側の視点も、その遊里(遊郭)でジュリを妾にして浮世を楽しんできた方の文章も「なるほど」と思わせる。がやはりどこかに100%=総体ではないところが見えかくれしている。多様な声と多様な視点と多様なデータの集積の上に本体(素顔)が見えてくるのだろうか?どの視点で何を浮き上がらそうとしているのか、問われる。

資料の緻密な読みが問われる。歴史の全体の構造(マクロ)からミクロ(微細な部分)に目を向ける必要があるし、その逆もそうだが、さてー、単に一次資料としての原文を翻訳というわけにもいかないので、範囲が広いと深めることが厳しくなるのも分かるが、やれやれ、行けるところまで行ってみよう。


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