志情(しなさき)の海へ

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バスクの詩人、キルメ・ウリベの詩の朗読は良かった!小説『ビルバオーニューヨークービルバオ」は斬新!

2012-11-10 09:38:43 | グローカルな文化現象

琉球諸語の過去、現在、未来に関心をもっている。表現のありようにも関心があり、沖縄大のミニシアターに行った。特別参加された沖縄の詩人にも彼らの詩にも関心をもったわけではなかった。知が走りすぎると誰かが批評していた今福龍太の「クレオール主義」は以前読んで感銘を受けた。群島論はシンガポールの演劇研究者も似たような論を展開していて、彼のオリジナリティーかどうかは幾分疑問に思っているが、昨今、博士論文で2000年前の八重山・宮古諸島の社会環境・人間の動向を掘り下げている若者の話を聞くと、島々と海の関わりの深さが浮かんでくる。

バスク語の詩と小説で今、世界の寵児のキルメさんの詩の朗読は滑らかで柔らかなリズムが流れた。川のような朗読!バルク語の共通語、教育の成果がこのような果実を生み出したのである。関係者は琉球諸語なり沖縄語の共通語ということを念頭においているように思えた。沖縄の正書法と最近佐藤優もアピールしている。表記と統一文法ということだが、いっしょに参加した詩人は擬制言語だったか、また中心語があり周辺語を取り入れ、やはり父母のことばを語りえないことになる、と憂えた。『擬制の終焉』【花田清輝と論争した吉本隆明の著書】だと詩人は語った。なるほどに思えた。20の鳥の中で大きな鳥たちが小さな鳥達の声を潰していく。ーーと憂える声にどう応えるのだろうか?

琉球王府時代の言語政策について触れた川満信一さんがいた。言語政策がなかったのである。統一表記は中国語(漢字)と和語を用いたのだ。語りことばは多様に集落毎に残された。つまり文字表記は中国語(漢字)であり日本語を利用してきた琉球国だった。それでいいのかもしれない。口語が消えるのは時代の推移かもしれない。その話し言葉をどう残すのか、それが問題になっているのが現在である。面白い現象であり、記憶を残すための、表現するための方策という事なのだろう。ウチナー芝居も話し言葉が表記されてきた。口立ての理由は明らかである。表記されることばではなかったのだからーー。日本語を取り入れた根拠は十分歴史の中に潜んでいる。口語が文字表記に吸収されていった。それで留まらない感性(情緒、日常の生活言語)が残された。それを記述して残し、語りをそのままにということかもしれない。しかし組躍、琉歌、散文、擬古文など、和語を借りた表記で折衷だね。漢字と和語と琉球語(古語や話し言葉)のチャンプルーだ!

擬制の終焉か!【終焉した擬制はだがしかし、いまも私たちの前で踊り続けている。いったいあれは何なのだろうか。だからまだ言い続けなければならない。死滅した擬制の葬送の歌を唄え、死体である擬制の死水を取れ。】共同幻想論は以前読んだが『擬制の終焉』は読んでいない。詩人のことばの中で共通沖縄語ができるとそれは擬制の終焉になるというように話していたような、その言葉尻を捕まえただけだ。 本人の具体的な論が聞きたい。人工的な言語=日本語だと今福龍太は話していた。対してローカルな地域語(しまくとぅば)を持つことの豊かさがあるかもしれないともー。

表記する文字をもったのは一部の士族層だけだった琉球王国である。特に女たちは文字から阻害されていた。語りことばが生きた。口承伝承の豊かさが残る。おもろも歌謡もそうだね。口承のことばが表記される。それをまた歌ったり、語ったりする。口承言語と記述言語の問題かな。今は口語が消えつつあるのでそれを残さないといけない危機感が深い!記述は漢字があり日本語がある?独自の沖縄語表記が試されているのかな?漢字かな交じりやローマ字が可能性としてあるようだ。

 

【今日も朝からヘリコプターがうるさい那覇の空である。朝10時から飛び回っている。ヘリコプターに襲われる那覇の街である。昨日も今日も!】

http://42286268.at.webry.info/201210/article_1.html【読書ノート:吉本隆明『擬制の終焉』について】

読みたくなった。花田清輝との論争で有名な本ということらしい。


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