志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

京都南座で観た「聞得大君誕生」と「蓬莱島」←拍手喝采が何度も!

2014-06-12 02:13:18 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他

                            (人だかりができた南座前)

京都南座は歌舞伎主体の劇場である。桟敷ではお弁当を食べることができる。飲んで食べて舞台を見る。大衆演劇の良さが充ちた舞台、地謡が中央に陣取った中で物語が展開する。つまり隠れない地謡の存在がある。繰り広げられる国の政と王女の下級士族との恋、武具を取り上げる政策の中で、ノロとユタの争いに巻き込まれ「身分違いの恋」が終止符を打たれる。乗馬の好きな闊達な少女が恋の歓びと悲哀を経験して国の祭祀の中軸に立つ。痛み、果てしない恋情が昇華する瞬間を目撃する物語だ。歌舞伎の女形は「遊女」を含め、感情の起伏を多く演じている。運命の人生のあらゆる層/相≪主に遊女や姫君>を全身全霊で演じている(きた)女形の芸が、琉球の伝統芸の組踊を演じきった。王女、ユタ、ノロ、里之子、王、間の者たち、今回ユタとノロの差異を祈り手の違いによって演出した。争いの場も舞踊の形式で武具を捨てた。全てを見通しているのはユタ・ナビ―という設定である。城の庭の掃除係の二人が間の者ですべてを庶民の視点で語る、カリカチュアするという組踊の型にのっとっている。シリアスな主軸にわきの息抜きを作る構図だが、それはそれで面白かった。今回前から指摘しているが、王女が一目で恋する里之子の美をもっと感じたいということだが、純朴な素の味わいととったらそれでいいのだろうか、ということだった。南座の舞台は観衆に近い。それゆえに美に真逆のモメントを見た驚きもあった。独特な組踊の唱えを少女のような声音で響かせる震えのような唱えも良しとして聞いた。しかし、ふと玉三郎の琉球髪と紅型衣装の美に形の不具合を見た。琉球舞踊を見るたびに私がもっとも気になるのは身体の線である。

矩形の身体の線が美しいかどうか、その横の線がいつも気になる。重い鬘をかぶり綺麗な衣装に身を包む歌舞伎の女形と異なり、琉球組踊の女形は重たい鬘ではない。白い首の色艶が和装の着物の襟足では際立つ。しかし組踊の女の立ち姿では首の艶が隠されている。ゆえに横から見た玉三郎の王女は決して気品に満ちた美に感じられなかった。それが今回の驚きである。聞得大君誕生に至る玉三郎さんの踊と唱えの後半は見せ所で決意の美、国を背負った宿命を際立たせた。物語の中での立ち姿は同じではない。多様な角度の女形の美が気になった舞台だった。歌舞伎と組踊の女形芸の違いもまた関心を引き付けた。今後研究課題として追及されていくに違いない。

所で祈りの姿としてもユタのあの三角を描いた手の所作と普通の自然体の祈りの所作との落差の見せ方は、違いがくっきり見えて、しかし違和感を持った。あんな祈りの手があるのか、が疑問。ユタは両手を合わせて神願いするのである。下卑たユタのイメージを強調した社会のヒエラルキーの表象のさせ方だが、祈りに身体の差異があるのだろうか?国の政の一環としてのノロの権威の表し方は他にもありえるだろう。『祈りの手』の差異化は差別化に他ならない。祈りの敬虔さは国を背負うほど、形式に走るは理解できるがー。共同体の安寧を祈る祈りと、世情の痛み、かゆみを背負ってきたユタの描き方は沖縄芝居などでも、カリカチュアされ、間の者のような扱いだ。

今回「蓬莱島」をあえて創作して二本立てにしたのは、おそらく玉三郎さんの琉球芸能をご覧になった、組踊を演じた体験から得た感性の極がそのような創作になったということは、やはり鋭い感性の賜物と言えようか。去年、東京の舞台を見た知人の話によるとこんな大拍手はなかった、という。それはどちらかというと、悲恋物語と国の政の成り立ち、祭祀制度の確立という物語の昏さに、南国の明るい晴れやかさのある唄と踊りの舞踊劇を見せるという演出をもってきたのである。観客サービスであると同時に耳目を楽しませるという、芸人の極致の在り様にも見えた。若い組踊の伝承者の美を存分に見せられる仕掛けを作ったのである。それゆえの拍手喝采が何度も続くという高揚感をもたらした。←ただ、「蓬莱島」はすでにそのモデルの群舞があることに注目したい。舞踊劇「浦島」や「浜千鳥」「四つ竹」の群舞はいつでも圧巻だ。また辻遊郭で披露されてきた「ジュリ馬」もまた圧巻である。群舞と歌・三線の魅惑的な芸能をすでに琉球・沖縄は創作し、保持して来たのだ。エイサーもその流れだと言えよう。チョンダラーの念仏踊り(群舞)もまたその歌・三線、太鼓の音色と共に沖縄の色になっている。集団演舞の美を沖縄は持っているのである!

楽しい舞踊劇にニライカナイの神の玉三郎さんは、うまく綺麗所で中軸に立った。権威は舞台の真ん中から登場する。それを演出しきった、のはいいね。若手の舞踊は晴れやかで良かった。気になったのはメイクだ。歌舞伎の白塗りに負けないように白塗りに近いメイクが際立っている。白塗りになってきつつあるのは不快である。宮城能凰さんの「花風」姿の写真でさえ(6月15日「春秋座公演」)、以前より白いメイクが目だっている。今回、若手の中で天願雄一のメイクが良かった。白塗りが必ずしもいいのではない。女形の表情としては田口博章が良かった。舞踊はみなさん普段に鍛錬しているので遜色はないが、動きの切れ味とメイクは大事だね。

南座のパンフで懇親会レポート坂東玉三郎が良かった。「国も身分も乗り越える力」が演劇にあるということに尽きる。優れた舞踊家、演劇人のことばにあふれるもの、込められたものは、世界をつなぐ魅力に包まれている。地唄三題も見たいが見れないのは残念。地唄舞(遊女の座敷芸)の写真に漂う色気に、そこはかない悲哀の雰囲気に、写真に引き付けられた。

国立劇場おきなわで南座の雰囲気が味わえたらいいね。桟敷席でお弁当とお茶を飲みながら観劇する!冊封使がそうしたように!

地謡は今回玉城和樹さんの散山節に感銘を受けた。

(いい雰囲気の内部)

 (劇場前)

南座に向かう四条の十字路

歌舞伎の創始者阿国の像

インド綿のファッションの鈴木雅恵先生、彼女との討論が思考の泉である!

南座の内部、さて明日は図書館と討論(?)

歩いて出町柳まで戻った。平安時代には紫式部の邸宅跡があったと言われている京都・廬山寺。ここで紫式部が源氏物語の多くを執筆したと言い伝えられている。 廬山寺の住職さんと立ち話した!驚きが常にそこにある!


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。