(窓際からみた雲海)
今朝のオオゴマダラの写真を紹介します。17日の夜に戻るけど、さなぎまでにはまだ時間がかかるかな?かなり葉っぱの数が減ってきた。植栽の状況を見ながらオオゴマダラは卵を産み付けるのだろうか?気がつかなかっただけでさなぎの痕跡は残っている。今朝三匹は同じ鉢の根本にいた。仲良しさんですね。
(3匹が同じ鉢の根本に)
ぎりぎりといっても20分前までには那覇空港に着いた。窓際だったので高度4000メートルから見た雲の写真を掲載する。いつも似ていて違うのだと思う。
関空ではいつもJRだが今回は南海電鉄を難波まで利用する。飛行機の中で聞いたショスタコヴィッチの交響曲10番が良かった。また帰りの便で聞こう。1950年代半ばに1000回以上の公演で時代を風靡したブロードウェイの演劇「八月十五夜の茶屋」の当時の録音を聞いていて、実際臨場感があり、どこに観客がどう感応したかがわかる。時代を風刺した喜劇でもあったのね爆笑の渦!スナイダーの感性もいいが、ゲイだったパトリックのレトリックや構成がいいと思う。そのテキストの面白さがあり、舞台の臨場感、高揚があり、幕が下りるときは割れるような拍手である。ミステリアスなアジアの美があり、軍事占領するアメリカへの風刺があり、そしてネイティブ沖縄のサキニーに象徴されるたくましさもある。異文化接触のまさにその戦後の荒廃の中から復興する現場のFictionがなぜ何度も上演されつづけるのか、単に異国情緒だけではない、軍事帝国アメリカの存在そのもの、そのアメリカ民主主義を強制(強化)・矯正されるネイティヴが存在するからでもあろうか?アメリカスタイルの民主主義のルールが必ずしもユニバーサルではありえないけれど、そのアメリカと全面的に向き合った沖縄の姿がまた立ち現れる。今から戯曲(テキスト)の録音を聴きながら再確認しよう。
フィクションのもつパワーなのかもしれない。しかしアジアはひとくくりにされる。West is West and East is East, there arn't any twines.
(大阪の街)