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ニューヨーク、嘉手納、東京で上演された【八月十五屋の茶屋】、研究発表アウトライン!近畿大学

2012-06-16 11:02:05 | 「八月十五夜の茶屋」科研研究課題

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ニューヨーク、沖縄、東京で上演されたThe Teahouse of the August Moon

 

      (「八月十五夜の茶屋」のモデルになった上原栄子さん!)

2012年6月16日、近畿大学、日本演劇学会大会

nasaki78@mail.goo.ne.jp


   ニューヨーク、沖縄、東京で上演されたThe Teahouse of the August Moon
   ~1950年代半ばに上演されたこの作品は変わらない日米の位相を照らすのか?

 1953年10月15日から56年3月24日にかけてニューヨークで1027回上演されたThe Teahouse of the August Moon は、50年代アメリカ演劇史を彩る。バーン・スナイダ-の小説を翻案したジョン・パトリックは、54年、この作品でピュリッツア賞、トニー賞を受賞した。ブロードウェイで大ヒット中の同年、沖縄米軍司令官(米陸軍少将)オグデンは、あえて沖縄基地内のズケラン劇場などでこの作品を上演した。オグデン少将をはじめとして多くの米軍人軍属が、そのオリジナリティーに喝采した様子が写真や新聞資料から伺える。しかし、沖縄の作家(大城立裕)や大学教授などの知識人には不評だった。そして翌55年、歌舞伎座が新派女優水谷八重子を抜擢して上演したこの英語劇は、解説もついたがやはり批評家から不評に終わった。
 今回、当時の録音資料からニューヨークの観客が舞台にどう呼応したのか、具体的に台詞、場面との関係を分析し、ヒットの理由を検証したい。また沖縄、東京で不評だった背景を当時の新聞や雑誌批評から分析したい。上演された舞台写真や関連資料も参照する。そこから50年代のアメリカ、沖縄、東京の思潮が浮き彫りになり、現在とあまり変わらない50年代の地政学的位相が立ち現われてくるのではないかと考える。
 1950年、朝鮮戦争が勃発。51年9月8日、サンフランシスコ講話条約が締結され52年4月28日発効、日本は戦後7年目に主権を回復した。(しかし、その後20年間沖縄は米国に占領されたままだった。)その翌53年に朝鮮戦争は終結、しかしその後に続くヴェトナム戦争を含め、アメリカのアジア観と軍隊と民主主義、その現在に続く構図が実はこの演劇作品の中に象徴的に表出されているのではないだろうか。


(具体的な日付にどんな意味があるのだろうか?日本が主権を取戻した時、1952年4月、沖縄は米軍占領の年月が、それからさらに20年続いたことになる。天皇メッセージは沖縄を米軍に長期リースした形で見捨てた!その後、銃剣とブルドーザーによる土地の囲い込みが激しくなった。米軍は本格的に基地の拡大・整備に邁進していったのだった。その先に54年の『八月十五夜の茶屋』の舞台化があったと言えよう。55年の東京でも、米軍人・軍属の数は結構多かったのである。それゆえに英語劇である。英語を解しない日本人が多かったに違いない。それでも英語のお芝居をやったのである。異文化接触の最たる舞台でもあった!しかし英語劇である。オリジナル演劇で、日本語もウチナーグチも飛びだした舞台である。50年代の日本、沖縄、そして米軍とのやり取りがある。)

 結婚しない将校とジュリの女性は永遠の蝶々夫人の悲劇(物語)を彷彿させる。オリエンタリズムの色が襲う芝居、ニューヨークの観客は拍手喝采し、沖縄、日本の多くアメリカ人軍人軍族は拍手喝采した。しかし、この舞台が上演された54年、沖縄の米軍基地内の劇場、55年の歌舞伎座の公演、いずれも不評だった。なぜか?そのニューヨークと嘉手納、東京での公演の落差が現在に至るアメリカと日本、沖縄の政治・経済・外交・軍事・文化すべてに網羅される戦後67年目のリアルな関係性を象徴しているのではないだろうか。

 

The Teahouse of the August Moon後66年、わらないアメリカ軍事帝を表象するのかな?

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             (美しいロータス・ブロッサム=芸者=じゅり)

美しいアジアの女性(実は沖縄の芸者と表された女性、じつはジュリだった)がいて善良なアメリカ軍人がいて、二つの文化の仲立ちをする沖縄人通訳がいる。

蓋をあけて驚いたのは、劇的空間を彩った面々はまた戦争の現場を多かれ少なかれ体験している時代だったという事であり、今も続くアメリカが仕掛ける戦争の色がある限り、この演劇作品は異文化接触のモデルとして上演されつづけるのだろう。アメリカで!この作品が日本語に翻訳され、沖縄でも日本でも上演されたことはない。

54年(沖縄)、55年(東京)と上演された時、それは英語劇、つまりアメリカ演劇そのものだった。日本人(実際は沖縄人)とアメリカ軍人が織りなす物語である。穏やかなアメリカ民主主義に見える。穏やかな茶屋の建設への願望が物語に色合いをもたらす。そして、尚、日本がアメリカの属国なりいいなりの政体を晒している限り、蝶々夫人は健在で、芸者もまた健在!日本が丸ごと蝶々夫人の比喩を生きているように見えなくもない。変わらない戦後66年の日本がそこにあり、変わらない沖縄の66年もそこに見え隠れしている。アメリカの手の平の上で茶屋ができ、アメリカの温情に包まれて茶屋でくつろぐ人々の姿がある。フィズビーはgo to nativeに見えたがしかし彼は決してロータスの愛を受け入れることはなかった。

アジア人とヨーロッパ系アメリカ人は決して結婚はしないのである。蝶々夫人とピンカートンは、結婚はしない。情婦にして子供を産ませるが妻にはしない元芸者・蝶々夫人がいる。そして芸者=じゅりのロータスはフィズビー大佐にプレゼントされた生身の女性だった。セクシュアリティーにオリエンタリズムがまとわりつく。対等ではない芸者とアメリカ軍人がいる。そして今もその表象が変わることはなかったのだと、戦後66年の今、新たに認識させられる。日本ネイティブや沖縄ネイティブはアメリカの寛大な民主主義の施行の中で古い習俗の茶屋を再建させたのである。茶屋は甘美な色を、音を、匂いを醸している。伝統のシンボルでもある。アジア的、日本的、沖縄的色合いがそこに滲みでる。アジアを席巻するアメリカの姿がそこにまた見える。アメリカの圧倒的優位性が小説の中に舞台の上に映像の中に溢れる。現実とどう変わるのだろうか?蝶々夫人のバリエーションとしての茶屋がそこに見え隠れしている。本質的なところは実は全く変わっていなかったという日本とアメリカの姿が見えてくる。


      【アウトライン】

 

1.1952年に主権を獲得した日本―現在日本は独立国家か?

  米国政府は日本が独立国ではないという事実に慣れてしまっている。K・V・ヲルフレンの言葉―資料

  復帰40年、沖縄三つの視点:K・V・ヲルフレン、批評家高良勉、作家花村萬月

戦後の沖縄の位相:日米の二重支配(植民地構造)

2.50年代の日本、沖縄、アメリカ、基地を囲うUS軍、日本に10万人以上駐留した米軍人・軍属現在→安保条約>憲法、横須賀基地(司令部)治外法権の沖縄アメリカによる軍事支配―低空飛行を含め、アメリカ言いなりの日本

3.「八月十五夜の茶屋」が象徴するもの民主主義の覇者アメリカ-遅れたアジア(日本・沖縄)植民者と被植民者―大人―子供(マッカーサーの有名なことば)

アメリカ的民主主義>日本的民主主義(?)(風刺される、盗む日本人、非合理)

制度としての民主主義 ―贈与とセクシュアリティー、native, primitives

軍事、政治、経済、文化の顕現はどう変容していくか?

ペンタゴンに集約する茶屋―背後のパワーイメージ

4.征服するアメリカ(支配者)―非支配の日本人男性、女性、ジェンダーの表れ方

攻撃、支配する者、言語支配―女性たちのイメージと自然性、芸者化される女性

売買される女性性―セクシュアリティー、アジアの性、軍隊と娼婦、娼婦化されるアジア、性の反乱、カオス、融合、ミステリー、女性化されるアジア男性

Geisha=an icon of oriental women, in reality, despised by majority of women

5.アメリカの高校生が好んで演じる「八月十五夜の茶屋」

沖縄の米軍基地内の高校―一(一部紹介)

アメリカの沖縄への視点、cultural Imperialism and Acculturation

それは日本に対してもある程度類似するのかもしれない。「菊と刀」

  6・アメリカ軍事帝国の終焉がないかぎり、この作品は上演され続けるだろう。

   暴力システムの極限(軍隊)―政治・経済・民衆―セクシュアリティー&ジェンダー

   はじける笑いー満足感、優越感、風刺、安心感、軍事権力―反権力の風刺的笑いも

            

*ブロードウェイ舞台録音の紹介―笑いがはじける (I’ll introduce some.)

スナイダーの小説の評:Comedy on Okinawa 、New York  Times June22,1951

One of the most hilarious satires in many a moon, which is at the same time, wise, witty and thought-provoking.( Sterling Forth, N.Y. World-Telegram and Sun)

        There’re lots of reviews of the theatre production.

参考資料:

増渕あさ子 (2009)「『八月十五夜の茶屋』をめぐる〈まなざし〉の政治学: (韓国での発表原稿) 東京外語大学

Fictional Depiction of the Middleman in pacific Island Politics by Mary Therese Cruz & Michael Jon Stoil: Presented to the 2009 Annual Meeting of the Midwest Political Science Association (MPSA), Chicago, Illinois- April 5, 2009

  “An individual who bridges the extremely imposed colonial or national political system with the indigenous political and cultural realities, the Middleman serves as interpreter, facilitator, and buffer between the two polities.”

Mariko Yagi, Gazing the Other: A Post-colonial Reading of The Teahouse of the August Moon

    MR thesis, 2006 The University of Ryukyus/ 作家や劇作家の沖縄観 &沖縄の視点

   The Ryukyu Civil Affair handbook(民事ハンドブック:沖縄版の菊と刀)を超えない視点:日本―沖縄の位相

   軍に従事するもののガイドbook としてのFiction=The Teahouse of the August Moon

吉村いずみ「映画に描かれた性と民俗の父権的支配構造」{1996年、修士論文、

Alexandra Chung Suh “Movie In My Mind” America Culture and Military Prostitution in Asia: Doctor Theses. Colombia University, 2001

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それに現在の沖縄の視点も含めてPPT44枚を紹介し、50年代半ばのブロードウェイの録音を一部紹介する。大爆笑の連続である!25分で全部できるか、厳しいかもしれないなー。パトリックのテクストを改めて読んでみて、その作品の面白さ、レトリックをもっと分析してみたい。大枠はかなり批評された通りである。喜劇は自己陶酔がともなう。たしかに風刺も批判も含めて、かつSuperiority complxtiesが伴う。

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これは印刷が間に合わなかったので、急いでブログにUPしました。去年、日大芸術学部で研究発表した時は当日に持っていったPPTをすぐ印刷していただいたので、今回も前日だったのでお願いできるかと安易に考えていました。でもコンビニで自分で印刷するのは追加したものが個人用の印刷も無理だったので、あきらめて、ネットでUPしたのでそれを後で印刷してくださいとお願いしました。PPTも紹介し録音も一部紹介しました。


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