私(おじさん)の音楽日記ポピュラー編です。
さて今日は懐かしい”ザ・フォーク・クルセダーズ”です。
1967年発売と書かれていますから、私が中学3年の頃でしたか、”ザ・フォーク・クルセダーズ”の「帰ってきたヨッパライ」という歌が大ヒットしました。
私は正直なところ、ちょっと変わった歌でおもしろいけれどそれだけだろうと思っていました。
私は「この広い野原いっぱい」「今日の日はさようなら」を歌う森山良子さんが大好きだったのです。(こちら)従って、この段階ではまだ”ザ・フォーク・クルセダーズ”を認めていませんでした。(偉そうに言ってますね)
それでも、次に出る「イムジン河」が良い歌だと聞いていたので楽しみにしていました。
ところが、突如発売禁止というか放送禁止歌に。。
なんで?
政治的な理由と言われていたようですが、何だかよくわかりません。
えげつない替え歌ならまだしも、放送禁止歌があるなんて。。
当時は信じられませんでした。
そういう意味で注目していたところ、次に出てきた歌が「悲しくてやりきれない」でした。
しみじみとしていますが、メロディもきれいで何て素敵な歌なんだろうと。。
私はこれで完全に”ザ・フォーク・クルセダーズ”が好きになりました。
その後、「イムジン河」もなんだかんだ言って耳に入ってきました。
こんなにいい歌が”なんでー?”と思いました。
しばらくしてから、この「イムジン河」も復権し、カラオケでも歌えるようになり、私も何回か歌いました。いい歌です!
そして、2002年には”ザ・フォーク・クルセダーズ”略して”フォークル”が歌う「イムジン河」のCDが発売され、私も買いました。
今改めて”フォークル”のいろいろな歌を思い起こすと
「帰ってきたヨッパライ」
「イムジン河」
「悲しくてやりきれない」
「戦争は知らない」
「青年は荒野をめざす」など、
よく口ずさみながら 歩いていたなあと思います。
ああそれから「ひょっこりひょうたん島」も面白いですね。
テレビの「ひょっこりひょうたん島」を思い出します。
ザ・フォーク・クルセダーズ”。本当に懐かしいです。
さて今日は懐かしい”ザ・フォーク・クルセダーズ”です。
1967年発売と書かれていますから、私が中学3年の頃でしたか、”ザ・フォーク・クルセダーズ”の「帰ってきたヨッパライ」という歌が大ヒットしました。
私は正直なところ、ちょっと変わった歌でおもしろいけれどそれだけだろうと思っていました。
私は「この広い野原いっぱい」「今日の日はさようなら」を歌う森山良子さんが大好きだったのです。(こちら)従って、この段階ではまだ”ザ・フォーク・クルセダーズ”を認めていませんでした。(偉そうに言ってますね)
それでも、次に出る「イムジン河」が良い歌だと聞いていたので楽しみにしていました。
ところが、突如発売禁止というか放送禁止歌に。。
なんで?
政治的な理由と言われていたようですが、何だかよくわかりません。
えげつない替え歌ならまだしも、放送禁止歌があるなんて。。
当時は信じられませんでした。
そういう意味で注目していたところ、次に出てきた歌が「悲しくてやりきれない」でした。
しみじみとしていますが、メロディもきれいで何て素敵な歌なんだろうと。。
私はこれで完全に”ザ・フォーク・クルセダーズ”が好きになりました。
その後、「イムジン河」もなんだかんだ言って耳に入ってきました。
こんなにいい歌が”なんでー?”と思いました。
しばらくしてから、この「イムジン河」も復権し、カラオケでも歌えるようになり、私も何回か歌いました。いい歌です!
そして、2002年には”ザ・フォーク・クルセダーズ”略して”フォークル”が歌う「イムジン河」のCDが発売され、私も買いました。
今改めて”フォークル”のいろいろな歌を思い起こすと
「帰ってきたヨッパライ」
「イムジン河」
「悲しくてやりきれない」
「戦争は知らない」
「青年は荒野をめざす」など、
よく口ずさみながら 歩いていたなあと思います。
ああそれから「ひょっこりひょうたん島」も面白いですね。
テレビの「ひょっこりひょうたん島」を思い出します。
ザ・フォーク・クルセダーズ”。本当に懐かしいです。
コメントありがとうございます。
学園祭のステージで歌ったのは、いい思い出になっていることでしょうね!
それから、北山 修さんは本当にすごいですね。
その後のフォーク・音楽界への貢献だけでなく、
仕事(医学)での活躍も。。