Peace of Mind を求めて…

悲しいことがあっても、必ず新しい朝は来るのですよね

4月が終わります。。。。。

2013-04-29 22:02:44 | 日記
あっという間に4月が過ぎ去ろうとしています。

この2か月は、本当にいろいろとしんどい日々でした。。。

3月に内示があり、4月から、一番行きたくないと思っていた部署に、まさかの異動となってしまいました…(泣)
それも出戻り!(笑)

4年前、2年間所属したこの部署から出ることができたときは心底うれしく、「助かった~!」とほっとしたのも束の間…
無慈悲にも、引き戻されてしまいました…(泣)

ただでさえ過酷な年度末の時期に、システムの移行がうまくいかず、毎晩日付が変わっても帰宅できない課員の様子を隣で間近に見ていたので(横で見ている方も先に帰ることに対する罪悪感があり、しんどかったんですよ~)、もう2度とここへは戻りませんように~!!!と神様に祈っていたのに……  

なんでもっと元気な若者じゃなくて私なんだろうか!?……(泣) (イジメかも。。。)

仕事内容もとても厳しいけれど、何よりむずかしさを感じているのは、課内での私の立場です。

9名の課員中、女性は私1人だけ…(キツイ!)
そして、一癖も二癖もある男性陣(20代~40代)7名が私の部下になってしまいました。。。

……仕事内容も大幅に変わっているので昔の知識は役に立たず……
一から教えてもらう立場になった私は、気後れしながら、なんとか早く仕事を覚えようと必死の毎日です。
初めての仕事ばかりで、理解するのに時間がかかり、どうしても劣等感が頭を持ち上げてきます……

そんなわけで、心の真ん中にうずまく得体のしれない「大きな不安」を抱えながら、日々を過ごしています。

毎晩残業で心も身体もクタクタになって…
そんなとき、苦しい気持ちを和らげてくれるのは、やっぱり愛犬リンの存在なんですね~


すがすがしい朝、なんとか早起きしてお弁当を作った後、1日で一番楽しい時間……リンとの散歩に出かけます。
お日様の光をあび、鳥たちのさえずりをききながら、リンにひっぱられながら(笑)歩きます。

先日は散歩道で、不思議な木を見つけました!


桃の花なんでしょうか???
1本の木に、白とピンクの2色の花が咲いているのです。

思わず見とれてしまいました。ちょっとだけ気持ちが穏やかになりましたよ☆

それでもやっぱり
仕事に行くのいやだな~いやだな~
リンと1日家でゆっくりまったりできたら、どんなに幸せだろうな~
…でも娘の教育費を稼ぐためには、まだまだ頑張らないといけないしな~ と悩みは消えず。。。

神様☆今日もなんとか1日が無事に過ごせますように~~

……と祈りながら、トボトボと仕事に出かける私なのでした! とほほ。。。

ある日のお散歩

2013-02-11 21:49:40 | 愛犬リン
3連休は、いろいろとバタバタしていましたが、いつもと比べ、朝はゆっくり過ごす時間ができたので、リンを連れて少し遠くまで散歩をしました。

小高い山の上にあるちょっとした展望台まで歩き、手作りの木の椅子に座って、リンと休憩します。

 

青空の下、岡山市内を一望することができるんですよ。



我が家での生活も3年になったリン☆、、、、怖がりでなかなか私たちに自分から甘えてくることもなかったけれど、昨年の夏を過ぎたころから、夜寝るときに2階の寝室へ上がってくるようになりました。
それまで1階のゲージの中で、一人で(1匹で)寝ていたのに、寂しくなってきたのかな…?

犬と一緒に寝ることに対して、「ふとんが毛だらけになるし、不潔だから、我が家では絶対しない!」と思っていたのに、リンが2階へ上がってくると、みんなうれしくてうれしくて(笑)

タッタッタッタッ……とリンが階段を上がってくる音が聞こえると、「きた~!!!」とワクワクわくわく☆
「おいでおいで~」と、みんなでリンの取り合いになります(笑)

そして……ふとんの中で、スースー寝息をたて、手足をのびのび伸ばして眠っているリンの寝顔を眺めているだけで、とても癒され、幸せな気持ちになれるんですね~

ふとんの中が毛だらけで、けもの臭が充満していても、そんなことはもう、どうでもよくなってしまうんですね~

リンが我が家にきてくれて、本当によかったとしみじみ思う今日このごろです。(親バカ!)

才能

2013-01-21 23:47:38 | 
高校の音楽学類2年に在学中で、ヴァイオリンを専攻している娘T

小学校1年生のとき、姉と同じピアノではなくヴァイオリンを習うことにしたのは、ヤマハの専門コースでピアノを弾いていた姉と比べられて嫌な思いをするよりは、違う楽器を習って姉妹でアンサンブルが楽しめるようになったらいいな。。。と私が思ったからでした。

人間的にも尊敬できる、心優しく穏やかなヴァイオリンの先生に出会うことができ、毎週レッスンに通ったTですが…練習が嫌いで、自分からはなかなか弾こうとしないので、夕食後、毎日私が横についてピアノで音をとってやり、ガミガミ怒りながら練習させる日々が続きました。 しんどかった~

これは私の大きなストレスにもなり、だんだんと疲れがたまり…こんな状態はお互いのためにならないと悟り、小学校5年生くらいからキッパリと手を引き、一人で練習させて私は口出ししないことに決めました。。。。

一人で練習するようになって自立して頑張りだしたか…というと、そんな進歩はみられず、相変わらず練習をしないまま、ただレッスンだけ続けているという状態で…毎回同じことを注意されても直していかないので、あの優しい先生に、本気で叱られることもありました…

そんな娘Tも、中学3年になり高校進学を考える際、5歳上の姉Sが青春を謳歌していた高校の、姉と同じ音楽学類を選択したのは自然な流れでした。(勉強があまりできなかったので、県立高校へ入るには音楽学類をねらうしか手がなかった…というのが本音です。)

心配した実技やリスニング&英作文の入試もどうにかクリアし、念願の音楽学類に入学したTは、1年のときは、合唱部に全力をそそぎ、ヴァイオリンは手つかず状態……(合唱部は全国大会に出場したりして、親もコンクールのおっかけを楽しませてもらいましたが…)

しかし、2年になり、自分の進路を考え始めたとき、Tは突然、ヴァイオリンの先生に「逆立ちしても無理!」と言われた大学を目指したいと言い始めました。

音楽学類に在籍していても、私自身、Tに音楽で食べていけるような才能はないとわかっていたので、「大学は文系の大学に進学し、音楽は大学のオーケストラで楽しめればいい」「卒業後は非常勤ではなく、正規で働ける職を探し、自活してくれればそれでよい」と思っていました…

なので、これまでヴァイオリンの練習に身が入っていなくても、高校生活を楽しんでくれればいいと思い、放任していたのです。

そんなTが、突然音楽の道に進みたいと言い始めたのですから、さ~大変です
担任の先生に「本当にヴァイオリン専攻なの?」とあきれられるくらいお粗末な腕前のTが、あと2年でなんとかヴァイオリンで受験できるだけの力をつけなければならなくなったのです…

現状を打破しようといろいろ考えた末、藁をもすがる思いで、音大を卒業した友人の力を借り、運よく神戸在住の有名なヴァイオリンの先生を紹介していただくことができ……昨年5月からTは、神戸までレッスンに通うようになりました。

指導力に定評があり、人柄も信頼でき、教え子から何人もコンクールの優勝者や上位入賞者を排出している熱意あふれる先生です。絶対に手抜きをされないので、未熟な新参者のTのためにも、本当に一生懸命指導してくださいます。

先生が手抜きをされない分、親の負担も大きく……
弦楽器職人さんとの付き合い方やピアノ伴奏者への心遣い等、音楽の世界の常識?を知らなかったために、先生の思いとの行き違いがあったり……気を遣わなければならないことがたくさんあって、精神的にも金銭的にも苦しく、ここまでしなくてはいけないのか……と疲労困憊した時期もありました。

そんな親の悩みをよそに、Tは新しい先生との相性がよかったようで、がぜん張り切って練習をするようになりました。レッスンのたびに、元気とやる気をいただいて帰ってくるのです。

小学校からお世話になった先生には「音楽は趣味でやるのがいい」といつも言われていたので、これまではゆっくりのんびり1年近くかけて1曲を仕上げていましたが、新しい先生になってからは今までの遅れを取り戻すため、2か月ごとに新曲にチャレンジし、発表会やコンクールに出場する、というハードな生活が始まりました。

Tも、心を入れ替えて頑張り始めたのですが、何分スタートが遅いため……先日のコンクールでは、なんとか予選は通過したものの(全員が予選通過)、点数はビリから2番目。。。

次の週に参加した先生の門下生を集めた発表会では、〇〇国際音楽コンクールで最優秀賞を受賞した女の子や、佐渡裕さん率いるスーパーキッズオーケストラで活躍する女の子の後に演奏しなければならず、(そのほかにも小学生の天才少女・少年がいっぱい!!!)……あまりのレベルの高さに、親の方が劣等感で小さくなり……早くこの場から立ち去りたい~という気分になり、疲れ果てました。(天才少女・少年には必ず教育熱心な母親がついていて、しっかりサポートしてますね~

帰りの新幹線の中で、「みんなすごい才能のある人ばっかりだったね~」とため息をつく母にTは、

「才能っていう言葉、私は好きじゃない」「それを言ったら、もうおしまいじゃから」
「うまい人はみんな、、、先生だって、1日に5時間は練習してるってゆっとった(言われていた)」
「私はまだまだ努力が足りんのんじゃ(足りないのだ)、、、だからもっと頑張ろうと思っとるんじゃ!」

そ、、、そうだよね

………これからもますますしんどい日々が続きそうですが(3月にはコンクール本選、コンサートにオーディションもあり!!!)、Tが「頑張る」と言っている以上、応援してやらねばなりません

どこまでやれるかわかりませんが……結果よりも過程を大切にし、親もできるだけのことはしてやろうと思っています。


ブータン 「幸福な国」の不都合な真実  (根本かおる 著 : 川出書房新社)

2013-01-04 22:22:22 | 
2011年に来日したブータン国王夫妻は、品格ある民族衣装に身を包んだ美男美女で、「幸せの国」ブータンの象徴としてまさにピッタリのお二人であったことから、日本国内で大変な話題になりましたね。

被災地を訪問され、祈りを捧げておられる姿をテレビで観ながら、国民の97%が幸福だと答える国って一体どんな国なんだろう?
経済成長、物質的な豊かさこそが一番の幸せと信じ込み、本当に大切なものを置き去りにして邁進を続けてきたこの社会全体を超越したかのような、そんなおとぎ話のような、夢のような国が本当に存在するんだろうか…

存在するとしたら素晴らしいことだな、その存在を信じたい、そしてどのようにしてその偉業をなし遂げたのか詳しく知りたい……という気持ちもあるけれど、正直に言えば……(でも。。。本当~に本当なのかな???、そんなにきれいごとだけで国を統治できるものなんだろうか???)………というかすかな疑念も拭い去れずにいた私なのでした…

そして…この本の存在を知り、読んでみて、やはり現実には…人々の穏やかな笑顔の後ろに隠れた「不都合な真実」が存在することを知ったのです…

美しい風景、子どもたちの穢れなき瞳、色鮮やかな民族衣装や寺院…清廉潔白なイメージの国、それは確かにブータンの本質であり、見倣うべきことは多々あると思います。

しかし、中国とインドという強大な2つの国にはさまれた小国が、自国のアイデンティティーを守りつつ、侵略されることなく生きのびていくためには、それなりの犠牲をはらうしかなかった…という事実。。。

ブータンの「不都合な真実」……

それは、人口およそ70万人のブータンから、10万人以上のネパール系ブータン人が国籍を奪われ、難民となってネパールの難民キャンプでの生活を余儀なくされたことなのです。

ブータン南部に増え続ける、言語も生活習慣も異なるネパール系ブータン人の存在に危機感を募らせた第四代国王が、「国民は一つに、国家は一つに」というスローガンをかかげ、ゾンカ語の国語化、伝統衣装着用の義務化を行い、さらには国籍法を改正し、それまでブータン人として認められていたネパールからの移住者や、国際結婚のカップル、その子どもの国籍を奪うような政策を性急に推し進めたのです。

ネパール語を用いていた人々が、言語構造が全く異なるゾンカ語の習得を強いられ、南部の亜熱帯地域で、厚手のあの民族衣装の着用を義務化され…大変な負担だったろうと想像されます。

このような民族同化政策と厳しい国籍法に反対し、南部各地で民主化要求のデモが起こったのは当然だったと思われますが、このデモに参加した人々は、軍と警察に厳しく取り調べられ、嫌がらせや圧力が重なり……
パニックに陥った人々は安全を求めてネパールへ避難せざるを得ない状況に追い込まれていくのです。

作者の根本かおるさんは、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の所長として、このブータン難民たちが避難生活を送るネパールのキャンプで支援活動をされた方で、その活動ぶりが具体的に記されていてとても興味深いです。

難民キャンプには、ブータン警察による拷問、レイプの後遺症に今も苦しむ人たちがおり、刑務所では多くの無実の市民が劣悪な環境の中、亡くなったそうです。

私の中で「幸福な国」のイメージがかなり揺らいでしまいました…

そんな中、日本政府や日本の多くの企業・団体、個人の方々からの多額の財政支援が、ブータン難民に対する援助活動を支えていることを知り、うれしく思いました。

ユニクロはこれまでに44万着ものリサイクル衣料をネパールに送り、インターンとしてキャンプに社員も送っていたり(ユニクロのお店の入口には、着なくなった衣料を回収するリサイクルかごが設置されていて、私もよく利用させてもらってます)、富士メガネでは4万組近くものメガネを送り、社員がキャンプを訪問して、難民たちの視力検査を行っていたり…

ピーク時に約11万人だった難民は、根本さんたちの献身的な努力により、2008年初めから2012年2月末までに、およそ6万1000人が第三国へと出国したそうです。(行先は、アメリカがダントツに多く、ついでカナダ、オーストラリアと続くそうです)

自国への帰国が許されないのであれば、割り切って第三国で根を張り、たくましく生き抜いていくしかない!
多くの人々に支えられ、やっと日本に帰化することができた元ネパール系ブータン人の方の逸話にも考えさせられました。

きっと世界各地でこのような難民の永住権、国籍取得問題が起こっているのでしょう。
一人でも多くの難民の方たちが、一刻も早く平穏に暮らせる環境を、手に入れることができますように…

【おまけ】
「国民の97パーセントが幸福」と答えた国勢調査ですが、これは「国勢調査員の戸別訪問による対面式の聞き取り調査」であり、選択肢は『とても幸福』・『幸福』・『あまり幸福ではない』の3つしかなく、『いずれともいえない』『わからない』『不幸だ』などの選択肢はなかったようです。
 権力者へ何らかの形でつながっている狭い地域で、国勢調査員に面と向かって『あまり幸福でない』と回答すること自体、かなりの勇気が必要だったのではないかと根本さんも書いておられます。
97パーセントという数字ばかりが独り歩きするのではなく、いろんな面から判断する必要がありそうです。

毛皮を買わないで!

2013-01-03 23:57:38 | 日記
クリスマスやお正月…といった行事?がやっと過ぎ、少しほっとした今日、バーゲンをねらって岡山駅の一番街へ買い物に出かけました。

子どもたちに物入りで、普段は倹約生活を続けている我が家ですが、上の娘のお下がりばかり文句も言わず着ている下の娘に、あったかいコートの1枚でも買ってやりたいと思い、「買わんでいい~」「ねぇねがくれたのがあるからいらん」と遠慮する下の娘をひっぱって、久しぶりのショッピングに出かけました。

岡山駅周辺は、さんすても今日からバーゲンで、ものすごい人の波です。
高校生女子が着る服。。。といってもいろんなタイプがあり…我が家の娘が着れそうなナチュラル系?の服を探すのは本当に一苦労です。

あちこちお店をのぞいて歩いているうち、ちょっと悲しい気もちになったことがありました。

若者の服を扱うほとんどのお店で目にする、毛皮のついたコートの数々です。





コートのフードにとりつけられている、おびただしい数の毛皮。。。
コートについているタグを見ると、どれも中国製でファー部分は「raccoon dog」(タヌキ)や「rabbit」と書かれています。
これらのコートを作るために、たくさんの動物たちが殺されているんですね。
毛皮用の動物たちは、肉をとるためではなく、毛皮だけのために、劣悪な環境の中で飼育され、最後には生きたまま皮をはがれることも多く…
それは目を覆いたくなるような残酷な状況です。。。
観るたびに、あまりの衝撃に涙が止まらなくなりますが、アニマルライツセンターのHPを読んでくださればその現状がわかります。

以前、セーターを買いに行ったお店で、店員さんに「首が寒いからタートルネックのセーターしか着ないんです」と話したら、「これをつければあったかいですよ」とウサギのえりまきを出してこられたことがありました。私が「リアルファーは絶対身につけたくないんです」と言ったら、店員さんに露骨に嫌な顔をされたっけ。。。

一緒に買い物に行った下の娘でさえ、毛皮のついたコートのタグを探しては、これはタヌキ、、、これはキツネの毛皮だ…とつぶやいて店員さんに不審がられている母の姿を恥ずかしく思ったらしく…「お母さん、やめて」と言ったきり、むっつりして口をきいてくれなくなりました。

こんなこと考えたり気にしたりする方がおかしいのでしょうか…

でも、でも……コートのフードのふちに毛皮は本当に必要なんでしょうか…
ファッションとして、当たり前のように毛皮がついているけれど、その毛皮は動物の死体なんだよ!!!
あなたが、おしゃれだと思って身に着けているその毛皮は、苦しみぬいて死んだ動物の死体なんだよ!!!

コートに毛皮をつけるというデザイン、流行が早くなくなってほしい。。。
リアルファーを売らないメーカーもたくさんあります。
(ユニクロは毛皮を扱っていないので、企業としても信頼しています)

毛皮のついた服を購入することは、新たに動物たちが殺され、毛皮にされていく流れを作っていきます。

どうか、毛皮を買わないで! 

毛皮のために殺される動物たちのことを、少しでも気に留めてくださる方が増えることを祈っています。




天神MAMへ

2012-12-01 23:30:43 | アート
岡山後楽館高校天神校舎跡で開催されている「天神MAM」へ行ってきました。



いつもこの前を車で通るとき、天神MAMって。。。いったい何???
ここで何のイベントをやってるんだろう???。。。と、何かひきつけられるものを感じながらも謎のままで、足を踏み入れる勇気がなかったのですが…
どうもアートの展示をやっているらしいと知り、今日は意を決して出かけてみました。



入口には、案内板が…
11月3日(土)から12月2日(日)の開催期間中に、いろんなイベントやワークショップが開催されていたんですね。

そもそも「天神MAM」とは。。。この天神校舎が二つのMuseum(県立美術館とオリエント美術館)に挟まれた場所に位置していて Museum : Art : Museum だからMAMなんだそうです。

いただいたパンフレットには「岡山に内在する価値を現代美術の視座から発信することを祈念して展覧会を行うことに」なったこと、「時代背景を縦軸、様々な分野の人やものの繋がりを横軸と捉え、時代の移ろいとともに、変化する街の風景を支えてきた人の杜をたち現わせ、人と人、人と自然、そして街の未来との交感をおこないたい」と書かれています。

なんかちょっとむずかしそうですが…とりあえず1階から5階までずんずん歩いて上がり、各階に展示してある作品を観て回りました。

残念ながら、全館撮影禁止になっていたので、写真を撮れなかったのですが…

1階ではカフェが併設されていて、窓に沿って作られたカウンターや床に座ってゆっくりくつろぐ若者や家族づれが大勢おられます。
奥の部屋では、子ども服がたくさん並べられていて、何やら物々交換のスペースになっているみたい。。。子どもの服やおもちゃは、すぐに着られなくなったり使わなくなったりするから、こうやってリサイクルする場が日常的にあればいいだろうなぁ~

今日の一番のお目当てだった「ゼロどーなつ」は、すでに完売されたようで、影も形もありませんでした(残念!)。
福島の原発事故後に関東地方から岡山へ避難してこられたお母さんたちが、安心安全な食材を使って作ったベクレルフリー(放射性物質0)のドーナツを、今日ここで販売するという記事が毎日新聞に掲載されていたので、楽しみにしてきたのですが…。予約が必要だったようですね。またいつか、どこかで購入できるかな?

2階では、原発事故の影響で東京から岡山へ移住してこられた若いカメラマンが撮った岡山の澄み渡った空や住宅地に咲き乱れるコスモスの写真、岡山に住む画家が大きなキャンバスに描いたオクラの白い花の油絵などが壁に並べて展示してあり…

廊下には天井からたくさんの張り子の人型がつるされています。近づいてよ~く観ると、辞書の紙で作られています。あっ、だから作品名が「wordmans」なんですね!またまたよ~く観ると、この人形を包んでいる辞書のところどころにサインペンで線が引いてありますよ。好きな言葉に線を引いたのかな?
アーティスト紹介文には「同じ型から作られた彼らは別の言語を持ち、色々な環境に身を置きながらもそこで確かに生活をしている」と記載されています。

廊下の壁は、画家兼タトゥーアーティストの方が鉛筆でびっしりと隙間なく描いた鳥、ブタ、ネコ、頭のはげたおじさん等の絵で埋め尽くされています……延々と同じパターンが続いていて、ちょっと草間彌生さんを思い出しました。これだけ描き続けるのは大変だったろうなぁ~

2階にはこの他、広い部屋一面におがくずを敷き詰めて、食物連鎖の図のような3色の三角形が形成されていたり、「岡山から被災地へ手仕事を届ける会」の皆さんが、手作りされた器や生活用品と一緒に写った写真がたくさん展示されていたり…。

3階に上がると、廊下には白い模造紙が敷き詰められていて、その上に青い線がまっすぐに続いています。そしてその先には5、6台の三輪車が。。。三輪車のタイヤに絵具?をつけて廊下をまっすぐ走ったのかな???
奥の部屋には稲わらが干してありました。
このフロア全体が「おにぎりエネルギー」と名付けたインスタレーションらしいのですが、観ただけでは???でした。すみません。

4・5階は、「マジックランタン」と題し、薄暗い廊下や部屋のあちこちに、古い映写機で、風景、金魚、時計などが映し出されていました。その映写機の音がなんだかなつかしかったです。「電球のいくつかはLEDに替えられており、その電力は屋上に設けられた太陽光ソーラーシステムでまかなっている。現代の灯火LEDをもとにその電力を晴れの国岡山の陽光でまかなうマジックランタンを校舎内に出現させる」と紹介文には書かれています。

う~む。どの作品も作者の強い思いをもとに制作されていたようですが……説明なしに、ただ観ただけではよく理解できなかったものも。。。
(写真がないので、読んでくださった方も、どんな作品、内容だったのかわからないですよね~ ごめんなさ~い!)

わからないなりに、私自身はやっぱりアートな空間に身を置くことが好きなので、若いアーティストさんたちの、いろんなエネルギーが感じられて楽しかったです☆

最後にカフェでいただいた「ゆず茶」も、自然な甘さで、身体がほっこり温まりました


「カフェ Z」へ

2012-11-23 22:43:31 | カフェ・レストラン
前々から行きたかった「カフェZ」へやっと行ってきました。

このカフェはアートギャラリーも併設していて、素敵なセンスの若手作家さんの作品展をいつも開催されているので、興味津々だったのですが、なかなか行く機会がなく…今日は久しぶりに自分の時間がゆっくり持てたので、夫も誘ってお茶を飲みに出かけました。



全面ガラスの明るい入口を入ると中は広々としていて、長テーブル、ソファや3・4人がけのテーブルが気持ちよく配置されていて、どこに座っても居心地が良い雰囲気です。



奥に併設されたギャラリーでは、安達知江 硝子展が開催されていましたよ。
写真は撮れなかったので…お店のブログに掲載されている作品を観てくださいね☆

独特の技法で作られているようで…ガラスの上からクレヨンで色を塗ったみたい。。。クリスマスにぴったりな、北欧のイメージのかわいらしい作品がいっぱいでした。

コーヒーの苦手な私が頼んだのは。。。「ショコラキャラメル」です。


お抹茶をいただくような和テイストのおっきなおわんに、なみなみとそそがれて出てきました。
これがとっても濃厚で。。。
全部飲み干すと、なんだか晩ごはんがいらないくらいお腹がいっぱいになりましたよ。

隣の方が食べていたランチ?がとってもおいしそうだったので、次回はお昼を食べにきたいな~

お土産

2012-11-19 21:41:47 | 
胆のう摘出のため、再入院していた夫が、手術後3日で退院し、帰ってきました。

手術は、おへその下(2センチ)、脇腹2カ所(1センチ)と胃のあたり(1センチ)の計4カ所を切ったようですが、傷口は縫わず、白いテープで貼り付けてあります。

手術前には担当医から、画像を使って十二分な説明があったので手術に心配はなく、安心してお任せすることができました。

傷口が小さい分、身体への負担も少なく回復も早いのでしょうか。それほど疲れた様子も見せず、帰宅したその日には夕食を作って待っていてくれましたよ

そして…
お土産に持って帰ったのは…

ジャーン!!!


アサガオの種とツバキの種で~す☆

んなわけない~!!!(笑)

これが・・・夫の胆のうの中で大切に?育てられていた「い・し」で~す。

小さいのが24個、大きいのが6個……合計30個もつまっていたんですよ!!!
大きさも形も、アサガオの種とツバキの種にそっくり~!!!

あんまりにもたくさの石だったので、見た瞬間、え~!!!???っと笑ってしまいました。

長い年月をかけて作られていたんですね。。。

なんか自分の分身みたいなので、記念としてお土産にもらって帰った夫なのでした。

胆のうを摘出しても、特に食べ物に気を付ける必要はなく、普通になんでも食べていいですと言われたんですよ。

来週1度通院で手術の傷を診ていただき、約1ヶ月後にもう一度2日ほど入院して体内に残してある管を取り除くようです。

とりあえず、手術が終わり、ほっとしています。


福島第一原発20キロ圏内のペットレスキュー

2012-11-17 23:23:09 | 
震災後、原発から20キロ圏内に取り残された動物たちがどうなったのか…ずっと気になっていました。
マスコミが当時、置き去りにされた牛たちが餓死していることを報道していて、ショックを受けましたが、その後、動物たちのことを心のすみに残したまま日常生活にまぎれてしまっていました。

でも…やっぱりどうしても心の奥でひっかかっていて…つらくなるのはわかっていたけれど、やっと図書館で2冊の本を探し出してきて読みました。

のこされた動物たち 福島第一原発20キロ圏内の記録 (太田 康介 著:飛鳥新社)



報道カメラマンの太田康介さんが、東日本大震災直後の3月30日を皮切りに、避難区域となった原発から20キロ圏内に何度も足を運び、取り残された動物たちの姿を撮影した本です。

そこには、人恋しくてごはんよりもスキンシップを求めてくる犬、悲しいほどにやせ、エサにむしゃぶりつく猫たち、庭につながれたまま息絶えている犬たち、6匹もの野犬たちと闘い、血だらけ傷だらけになりながら烏骨鶏を守り抜いていた忠犬……悲しく、愛おしい犬や猫たちの姿が写されています…

ショッキングな写真もたくさんありました…

死体が累々と積み重なる中でわずかに生き残っている馬や豚たち、餓死した仲間の死体の中でやせ細り足腰が弱ってへたり込み、糞尿にまみれている牛たち、何かを訴えるかのような悲しげなその目……地獄です

そして、5月に太田さんが再び牛舎を訪れたとき、新たな地獄絵図が引き起こされていました……誰かが柵を開けて牛たちを自由にしたことで、水を求めた牛たちが用水路に落下し、出られなくなり息絶えていたのです…沼に入り込み、はい上がることができずに死んでいった牛たちも…

ごめんよ、ごめんよ、と謝りながら写真を撮り、チクショー、チクショーと呻きながらシャッターを切り、「私は無力です」「畜生は、私たち人間の方だ」と叫ぶ太田さんの気持ちが痛いほど伝わってきて、何度読んでも大泣きしてしまいます。

太田さんは牛たちの結末を見届けるため、6月にも再び牛舎を訪れるのです。
「牛舎には、生きているものは何もいませんでした。前回、大量発生していた蛆さえすでにいなくなっています。夕日に照らし出されているのは、毛と骨のみ。あれだけ必死に鳴いていた牛たちは、そんな姿になってしまいました。用水路にも白骨化した牛の死骸がありました」
「牛たちの悲劇の責任を、私たち人間はとらなくてはいけないと思い、必死で写真に記録しました」と太田さんは書かれています。

惨い写真を見続けることは、私にとって拷問でしたが、これは見なくちゃいけないんだ!目をつぶっちゃいけないんだ!…と思い、力なく悲しそうな目でこちらを見つめる牛や豚たちのくずれおちた姿と対峙しました。

わんわん泣きながら読み、苦しくなりながら写真を見つめた本でしたが、最後にほんの少し救われるページがありました。
「出会った動物たちのその後」と題し、助け出された動物たちがその後、ボランティア団体に保護され元気になり、命をつなぎ、飼い主さんと再会できたり、里親さんが見つかったりした様子が、写真と共に記されていました……悲しかった心が、少しだけ救われました。

この太田康介さんと、別の本の中で再会することができました。

森絵都さんが書かれたおいで、一緒に行こう 福島原発20キロ圏内のペットレスキュー (文藝春秋)です。


この本は、犬の保護活動を扱ったノンフィクション本を手がけたこともある森さんが、震災後、福島でペットレスキューを続ける中山ありこさんのブログを読み、彼女の同行取材という形で福島第一原発から20キロ圏内に入り、レスキュー活動する女性たち、彼女たちが保護した犬猫たち、見つけ出した飼い主や里親・預かりボランティアさんたちのことを追い続けた記録です。

福島でペットレスキューをしているのは、40代女性がほとんどなのだそうですが、その中で数少ない男性ボランティアとして太田さんが登場します。
女性陣が命がけでレスキューを続けるその原点を追及していくと「母性」にたどり着いたことから、男性の原動力はいったい何なのか知りたいと思った森さんが、太田さんに取材を申し込まれたのです。
本題を切り出した森さんに、太田さんは次のように答えておられます。

「あのう、じつは…私はですね、うちのカミさんから、おばさんって言われるんですよ」
「まあ、つまり、その…母性ってことですかね」「かわいそうって、ただそれだけです」

確かに太田さんのブログを拝見すると、かわいいネコさんたちの、思わずにんまりしてしまうようなユニークな写真が満載で、優しさにあふれたコメントがつけられています。

そんな太田さんが、餓死した牛たちの写真を撮影したときのことを語られるのを読んで、また泣いてしまいました…

「あるとき、一人である牧場へ行ったら、がりがりに痩せた乳牛が50頭くらいいたんです。僕の顔を見るなり、喉が渇いた、お腹が減ったって、一斉に訴えてくるわけですよ。僕は一人だったから、牛対僕、で自分が人間代表になってしまう。でも、一人で受けとめるにはあまりにも相手がでかすぎて、あまりにもたくさんいて、何もできない、してやれない、と。もう泣くしかないとおんおん泣きましたね」

その後、太田さんは知り合いのボランティア4人をその場へ連れて行き、草を集め、裏に流れていた川と牛小屋を3時間かけて20往復して水を運び、牛たちを助けてやったそうです。しかし、その後そこも立ち入り禁止になり、牛50頭はほとんど全滅したそうです。

森さんが同行取材したレスキューを続ける女性たちは、放射能の危険性も承知で、違法行為であるため警察のとりしまり検問に神経をすり減らしながら20キロ圏内に立ち入り、過酷な状況の中で生き残っている犬や猫たちを助けだしています。
森さんも、本当のことを書いていいものかどうか悩まれたようですが…中山ありこさんの言葉が印象的でした。

「自分のしていることは正しくないかもしれない。でも間違ってはいない」 

中山さんたちは増え続ける保護猫たちのため、福島に猫シェルターを設立され、今現在もレスキュー活動を続けておられます。本当に頭が下がります。

レスキュー活動の様子は、中山ありこさんのブログ太田康介さんのブログに詳しく掲載されているので、これからもずっと読ませていただこうと思います。

何もお手伝いできないけれど、1匹でも多くの命が助かるように、ときどきは寄付もさせてもらおうと思っています。


石だった。。。

2012-11-07 21:24:41 | 
4年ほど前から、腹痛に苦しめられてきた夫。。。

1ヶ月に数度、その痛みは突然襲ってきて…
みぞおちあたりを押さえたまま、えびのように丸くなり、声も上げずその激痛に耐えている夫の姿は人を寄せ付けない凄みをおびていて…
見ているのもつらいけれど、どうしてあげようもなく…
背中を一生懸命なでてあげても気休めにしかならず、「もういいよ」と言われるだけで…
ただただ痛みが過ぎ去ってくれるのを待つしかありませんでした…

その当時うつ病の治療で通っていたクリニックの先生に相談すると、胃が専門の開業医を紹介され、そこで胃カメラを飲んで検査したのですが、結果は「異常なし」。

このため、この胃痛はうつ病から来ているんだな。。。精神的なストレスが原因の痛みだから、うつ病が良くならないと治らないんだな…
耐えていくしかないんだな……と、ず~っと思い込んでいました。

そして、この10月……またまた激痛に見舞われ、朝まで眠ることができなかった夫は、なんとか出勤したもののあまりの痛みに耐えかね、以前胃カメラを飲んだクリニックを再度訪れたのでした。

そこでの超音波検査で下された診断は。。。「胆のうに石がありますね」

えっ!!! 激痛はそれが原因だったんですか…!!! 胃じゃなくて、胆のうにできた石が原因だった!!!

激痛は、結石が動いて、胆のうの出口や胆管の十二指腸への出口にはまってしまったときに起こっていたようです。
胆のうに、まだたくさんの石があることもわかりました!

なんでもっと早く病院へ行かなかったんだろう!!!…4年間苦しみぬいて耐えてきたのはなんだったのか…
精神的なストレスが原因と決めつけていたことが本当に悔やまれます……最初に病院へ行ったとき、胃と断定せず、もっと詳しく腹部を検査してもらっていたら……今さら言ってもしかたがありませんが。。。

すぐに大きな総合病院を紹介され即入院し、胆管に入り込んでいる石を除去することとなりました。
口から内視鏡を入れ、結石を取り除いてもらった後、十二指腸に傷がついていないか確認のため5日間入院し、毎日3食おかゆを食べ、抗生剤の点滴を1日中行いました…ここまでは、内科の担当なんですね。お腹を切っていないので、夫は普通に元気で、退院するときも、自分でタクシーに乗って帰って来ましたよ。

そして、まだまだ終わってないんです~
来週、再入院して、胆のうを摘出することになっています。これは外科の担当です。
胆のうの中に石もたくさんあるし、これからもまたできるかもしれないので、取ってしまった方がこれから先安心ということなのでしょう。
胆のうは摘出してしまっても、特に身体に影響はないらしいのです。脂っこい食事は控えた方がいいそうですが…。

毎日仕事帰りに病院へお見舞いに通うのは、高校生の娘Tやリンのこともあって大変ですが、もうひと頑張りです。

なにより、お父さんのために、横浜から上の娘Sが夜行バスで帰ってきてくれるのが頼もしいです。
心配しなくても大丈夫だよと言ったのですが、お父さんのそばについていてくれるようで…

この手術が終われば夫は、これまでいつ起きるかわからなかった激痛の恐怖から開放され、もっと明るい表情を見せてくれるようになるかも…

こらーる岡山・設立15周年記念 映画上映会

2012-10-14 22:03:18 | 映画・テレビ
夫が4年前からお世話になっている精神科診療所「こらーる岡山」が開設15周年を記念して、岡山県立美術館の大ホールで映画上映会を開催されました。

「こらーる岡山」は、1997年に県精神保健福祉センター所長を退職された山本昌知先生が開設された、患者主体の診療をしてくださる、本当に貴重な診療所です。

それまでの5年間、長時間待ってほんの10分ほどの診療、大量の抗うつ剤を処方するクリニックに通っていた夫は、心身ともにボロボロになり……それが病気のせいなのか、大量の薬のせいなのか、わからない状態に陥っていて……

幸運にも山本先生に巡り合えたことで、一から薬の見直しをしていただき…
5年かかって、徐々に薬を減らしていき……
ようやくこの春、抗うつ剤と縁を切ることができました!!!(睡眠薬はまだ手放せませんが。。。)

長く苦しい年月を、こらーるへ通うことを心の支えにして、夫も私も生きてきました。。。
山本先生の適切なお言葉に、何度夫ともども救われたか知れません。。。

………最初の挨拶で山本先生が、(20周年ではなく)15周年というはんぱな年に記念の会を開催するのは、自分が高齢になり、いつまで続けられるかわからないから、今のうちに皆さんに感謝の気持ちを表したかった…と話され、いつかそんな日が来るのか…いや、そんな日は永遠に来てほしくない!……でも、山本先生の姿がいつか見られなくなる日が来るのか…そんなことを考えると、ちょっと悲しくなってしまいました。

今日上映された映画はこれ↓ 『ショージとタカオ』(監督:井手洋子)です。

昨年、シネマクレールで上映されていたのは知っていたけれど、見逃していた作品だったので、今回観ることができ、とてもラッキーでした☆

20歳のショージと21歳のタカオが、布川事件と呼ばれる強盗殺人事件の犯人にされ、29年もの間、獄中生活を強いられた後、仮釈放されたその日から14年間、井手監督は、2人の姿を撮り続けていきます。
冤罪で29年間…青春時代をすべて獄中で過ごしてしまったなんて…なんて酷いことでしょう!
最近では、東電OL殺人事件や村木厚子さんの事件や…日本のエリートと言われる人たちが次々に冤罪をでっち上げている事実に驚愕します。
人間の良心というものが欠けているとしか思えません!!! 無実の人間を自分の作り上げたシナリオ通りになるよう自白を強要し、犯人に仕立て上げていく、こんな理不尽なことが公然とまかりとおっているなんて…

無実を訴えて再審請求しても、その結果が出るまで10年近く待ち続け、再審請求が棄却されれば、また10年近くかけて再審請求…気の遠くなるような年月が空しく過ぎ去っていったのです。

仮釈放されて刑務所から出てきた2人は、49歳と50歳のおじさんになっていました。

でもね、この2人、とっても魅力的でおもしろいオジサンなんです☆
ショージさんはよくしゃべるし、よく動く!タカオさんは口ベタだけど、粋でオシャレ♪
2人とも、なんとか仕事を見つけて自活していこうと、めげずに一生懸命頑張るんです☆

くじけないこの2人も本当にりっぱだけれど、私はこの2人を長年に渡り支え続けてきた、大勢の支援者の方たちの姿に感動しました!!!
2人が獄中から、毎日毎日たくさんの手紙を書き、いろんな方たちに無実を訴えてきた、その懸命な姿が人々の心を動かしたのか…
2人の周りには常に支援者の方たち、強力な弁護団がついていて、仮釈放後の2人の住む場所を用意したり、仕事を紹介したり…
再審請求のために、事件が起きた家を再現し、実際にショージさんが事件の供述調書どおりに行動してみて指紋がどんなふうに残るかを実験したり…
「冤罪に遭遇した以上、弁護士として見て見ぬふりはできない!」と、常時20名をこえる弁護士さんが、手弁当で頑張ってきたそうです!
(カッコイイぞ~!!!)
70年代から2人のために闘い続けてきた、柴田五郎弁護団長の仏様のような柔和な笑顔には心が癒されました~

そしてうれしいことに、明るく前向きな2人は、仮釈放後数年のうちに素敵な伴侶を見つけて結婚されるのですよ~
タカオさんなんて、50歳を過ぎて、パパさんになっちゃうんですよ~

ショージさんの奥さんは知的で優しそうな方☆映画にも登場されるのですが、タカオさんの奥さんは撮影を断られたようで…一体どんな方なのかな~と想像を膨らませていたら。。。最後の最後に一瞬だけタカオさん一家3人が、そろって姿を見せてくださいました!……明るく美人で、しっかり者の奥さん(私の想像☆)と、素直で真面目そうな男の子☆
ショージさんもタカオさんも幸せになって本当によかった~

この映画の完成後の2011年5月24日、ついに2人に無罪判決が言い渡されます。\(^o^)/\(^o^)/

158分の作品でしたが、ちっとも長いと感じませんでした。
信念を貫く2人、それを支える弁護団・支援者の方たちの姿にずっと魅了され、心の中で応援し続けていました


上映後は、井手監督、主人公の杉山卓男(タカオ)さん、山本先生の対談もありました。

さっきまで大きな画面で、生き生きと動き回っていたタカオさんが目の前の舞台に登場すると、大きな拍手が起こりました。(帽子といい、シャツといい、ブーツといい、オシャレ~!)

タカオさんは、「獄中で自分は一度もあきらめなかったし、必ず無実が証明されると信じていた。支援者の方たちにも助けられた」と話し、「現在心の病に苦しんでおられる方も、絶対にあきらめないでください」と、エールを送ってくださいました。これからも冤罪で苦しんでいる方たちのために闘っていくと言われていました。

井手監督は、大勢の支援者が2人のために働いたのは、2人が獄中から毎日書き続けた手紙が人々の心に訴えかけたのだと話され、2人のあきらめない姿勢に敬意を表しておられました。でも、これだけの年月、膨大な量の映像を撮り続け、構成、編集し、主人公2人や周りの人々が年を重ねていく様子を記録されたことは、ものすごく偉大な仕事だったと思います。穏やかに語られる監督の姿を拝見しながら、きっとここへ辿り着くまでには、幾多の苦悩があったに違いないと思いました。

山本先生は、「岡山なら、病気になっても大丈夫なんだ、と思ってもらえるようになることを妄想している(笑)」と言われていました。
病気になっても、治せばいいんだよ、安心していいんだよ。。。と言われているのだと思います。

山本先生☆ いつも本当にお世話になり、ありがとうございます!!!
これからもずっとず~っとお元気で、妄想を持ち続けていってください。
先生のご健康を心からお祈りしています☆

今日のお客さん

2012-10-08 21:15:01 | 愛犬リン
我が家のリンも、いつのまにか2歳10ヶ月になりました。
週に一度ドッグトレーナーの先生に預け、広いドッグランで仲良しのお友だちと元気いっぱい走り回って遊ばせてもらってます。

先生から、「リンちゃんは、どんな犬とも仲良くできるんですよ~」といつもほめてもらっています。
散歩の際も、よそのワンちゃんに吠えたことはなく、さりげなく挨拶しながら通り過ぎます。

今朝、リンを庭に放していたら、知らぬ間にお客さんが来ていました。

近所を徘徊しているノラさんです。



ときどき「ふぎゃ~~!!!」とビックリするくらい大きな声でケンカをしているので、きっとオス猫さんですね。



リンはネコさんの存在には気づいているけれど、マイペースで~す。



オイオイ!そんな、ネコさんの目の前で。。。



ネコさん☆ 過酷なノラ生活 大変だね。また遊びに来てね。

粟井温泉あしもり荘

2012-10-07 22:09:04 | おでかけ
我が家の上の娘Sの就職がようやく決まりました☆

大学1年の時からずっと、知的障がいを持たれた方たちが暮らすグループホームで食事作り、入浴介助、宿直等のアルバイトを続けていたSは、就職先もやはり社会福祉施設を希望しており……

夏休みには「福祉の就職総合フェア」に参加したり、児童養護施設へ履歴書を持っていったり…
そして、「福祉の就職総合フェア」で説明を聞き、いいな~と思っていた、岡山の足守にある社会福祉法人の採用試験を9月に受け…
 
10日後に、うれしい内定通知をいただいたのです\(^o^)/

足守は、我が家から車で1時間程度で行ける所なのですが、私も夫も1度も足を踏み入れたことがなく、友人に尋ねると、ものすごい山奥で道路も狭く、何にもないところだよ~と言われ…

これは一体どんなところなのか、施設はどんな様子なのか、私の運転でも行けるのか(これ、一番重要!)…娘が就職する前に一度様子を見てこなければ。。。と思い立ち、夫と2人で出かけてきました。

「足守」ですぐに思い出したのが、「粟井温泉あしもり荘」でした。
高校時代の友人が、最近ここへ泊まりに行き、お料理の素晴らしさを絶賛していたのです☆
足守に行くなら、絶対ここへ行かなくちゃ!と思い、さっそくお昼のランチ(1300円)を電話で予約しました。(予約は不要だったかな?)

気持ちの良い風に吹かれながら、秋晴れの日曜日のドライブは、途中ちょっと迷ったけれど、1時間余りであしもり荘へ到着しました。



こじんまりしていて、入りやすい雰囲気で、玄関はこんな感じです。



お昼ご飯を食べに来たことを受付で告げると、テーブルのある個室へ通されました。
窓の外には、刈り取られたばかりの田んぼが広がり、彼岸花が最後の力をふりしぼって咲き並んでいました。

運んでこられたお料理を見て、わ~、きれい~と思わずつぶやきました。



白い器にかわいいおかずがチョコチョコのっていて、明らかに「色」にこだわりが感じられます。

神無月のお品書きは。。。

前菜…きのこの胡麻和え、柿豆ふ、豚トロ炭火焼、彩ひじき、かぼちゃのラム酒煮、干し無花果のシロップ煮・ワインジュレ、帆立の旨煮、鯖の南蛮、柴漬け

蒸物…空也蒸し

サラダ…季節の野菜サラダ

揚物…米茄子、甘長唐辛子の味噌田楽

御飯…粟井産 あきたこまち

吸物…手まり麩 とろろ昆布

量も多すぎず少なすぎず、私たちにはちょうどよかったです。
最近すっかりベジタリアンになっている夫は、豚トロ炭火焼を私にくれたけれど、後はペロリあっという間にたいらげていました。
1300円でこんなに幸せな気分になれて感謝です☆

もっと豪華なお料理もいろいろ種類があるし、ゆっくり温泉も楽しめるようなので、家族でまた来たいな。

…おいしいお昼を食べた後、娘の勤務する予定の施設まで15分ほど?ドライブ。。。

眼前に田んぼが広がる自然に囲まれた地に、その施設は並んで建っていました。
娘Sが一度見学に訪れ、「自然の中で働けるところが好き」と言っていたのがよくわかりました。

舗装された広い道路もちゃんとつながっているし、車で20分も走ればスーパーもあるし…
迷わずに来られる道もだいたい見当がついたので、今度は私も頑張って運転してみるぞ~

横浜での都会の生活とは全く違うけれど、娘が一番望んだ仕事につけ、こんなに豊かな自然の中で、生き生きと働く仲間とともに新しい生活を始められること…本当に感謝です☆

5月にはホタルがたくさん見られることでも有名な足守…
私たちも足守が好きになりそうです。


眠れぬ夜。。。

2012-08-11 22:23:39 | 日記
ここのところずっと、我が家は家族4人、寝不足が続いています…

……夜中に必ず睡眠を中断され、いらだちと共に起こされてしまうからなのです…

心地よい安らかな眠りに浸っているとき……不意に耳元に聞こえてくるあの許しがたい「プ~ン」という羽音……

そうです! 大胆不敵、神出鬼没、追い払っても追い払ってもしつこくまとわりつき、ついには耐え難いかゆみで安眠を妨害し、家族を怒りと共に諦めの境地に陥れる。。。あの、ゴキブリより憎たらしい ヤツ のせいです!!!

このことについて話すには、まず我が家の「ある秘密」を暴露せねばなりません

実は……我が家は…真夏のこの時期、22歳、16歳の娘たち、夫と私、家族全員が一つの部屋で並んで寝ているのです!(えっ?あなたも!?)
2階東の部屋は南北および東の窓を開け放つと、山側から涼しい風が通り抜け、夜はクーラーを使わなくても十分眠れるので、自然と家族全員が集結し、かたまって寝るようになってしまったのです。夫にとってはまさに酒池肉林状態???(使い方間違ってますかね?)

涼しさの点では問題ないのですが、夜中に襲いくる、ヤツのせいで。。。

家族の反応もそれぞれで…

夫  かゆみに耐えかねて目覚め、かまれた箇所にひととおりムヒをぬりたくり、あきらめて寝る。

私  かゆみに耐えかねて目覚め、かまれた箇所にムヒをぬり、予防のため虫よけスプレーを手足に噴霧し、あきらめてそのまま寝るか1階のソファに移動して寝る。

娘S  かゆみに耐えかねて目覚め、家族が眠っているにもかかわらず、突然部屋の電気をバッと点け、執念深くヤツを見つけ出し、仕留めてから安心して眠る。(家族からの抗議噴出!)

娘T  かゆみに耐えかねてちょっと目覚めるが、眠気のほうが強く、そのまま熟睡。朝になって多数のかまれた痕を発見し驚愕している(笑)。

最近、娘SとTは自衛のため、タオルケットをミイラのように体にまきつけて肌の露出を防ぐ「ミイラ作戦」を開始しています。
それでも昨夜、娘Sは、タオルケットからはみ出していた足の指を攻撃され、あまりのかゆさに、とても悔しがっていました。油断大敵です
私も一度まぶたをかまれたことがあり、朝起きたらお岩さん状態 恥ずかしかったけれど、仕事を休む訳にもいかず、お岩さんのまま出勤したことがあります。メッチャ恥ずかしかった~!!!(オバサンじゃあ、ギャグにもできません

それでも、ベープノーマットとか、化学薬品を使用した蚊取り器は使いたくないんですね…
小鳥を飼われていたお宅で、小鳥が死んでしまったとお聞きしてからは、人間にだって安全であるはずがない!と思うし、愛犬リンに何らかの悪影響が出ることを考えると、絶対使いたくないんです!

それに…ヤツの身になって考えてみると…子孫を残すため、命がけで巨大な怪物に立ち向かっているんですよね…(迷惑だけど…)

結局、良い解決策のないまま、今夜も我が家はヤツが出没しないことを祈りつつ(一種の賭けですね!)、家族4人眠りにつくのでした

「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」初体験☆

2012-08-05 23:52:27 | おでかけ
友人に勧められ、以前から行きたい!と思っていた「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」をやっと体験してきました☆

「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」とは……「暗闇の中の対話」「まっくらやみのソーシャルエンターティメント」のこと…\(^o^)/

って、初めて聞いたらなんのことかわかんないですよね~ (^^ゞ

いただいたパンンフレットには、次のように書いてあります。
「参加者は完全に光を遮断した空間の中へ、何人かとグループを組んで入り、
暗闇のエキスパートであるアテンド(視覚障がい者)のサポートのもと、
中を探検し、様々なシーンを体験していきます。
その過程で視覚以外の感覚の可能性と心地よさを思い出し、
そしてコミュニケーションの大切さ、あたたかさを再確認することになります。」

娘Tのヴァイオリンの修理のため、夜行バスで東京へ…(ここへ至るまでにかなりの精神的疲労あり長くなるので割愛!)。これに横浜から娘Sも加わり、修理の待ち時間に親子3人で待望のダイアログ・イン・ザ・ダーク体験!となりました。

【以下、ネタバレあります!】

娘Sは昨年1度体験し、2度目なので、なんとなく余裕を漂わせながら、地下鉄「外苑前」駅から徒歩15分、初心者2名を誘導してくれました。
入口はこんな感じで、センスの良い外観です。
  

待合室はこんな感じです。



受付の女性も感じの良い方で、丁寧に説明をしてくださいます。
中で飲食する場面があるので小銭を用意するよう指示があり、500円玉をポケットにしのばせ、後の荷物はすべてコインロッカーに預けました。

元来怖がりで有名な私…娘2人も日頃の母の突飛な言動(不意の出来事にギャ~!と大声を上げ、その声の大きさで周囲の人間を恐怖に陥れる)を大変恥ずかしく思っているらしく、始まる前に2人から「お母さん、頼むから今日は恥ずかしい声出さんでよ!」と釘を刺されてしまう母なのでした…

若いカップル2組、男性1人に私たち3名を加えた8名で入口から中に入ると、そこにアテンドのハトさんが待っていてくれました。この最初の空間は薄暗いけれど周りが見渡せるので、若くてハンサムなハトさんから白杖の使い方、暗闇での手の使い方、声のかけ方等教えてもらい、1人1人が自己紹介で名前を知らせあって、いざ出発!となりました。
ハトさんから「ここから先は、皆さんの美貌も通用しません」と言われ「よかった~」とつぶやく女性にみんな爆笑!

次の空間からはもう、真っ暗闇です! どんなに目を凝らしても、何にも見えません!
ええ~っ!この中を行くの~!!!???っと、最初は怖くて娘の背中にしがみつき、ムカデ競争のような格好で、恐る恐る歩を進めていたのですが、そのうち娘とも離れてしまい、だれかの声がする方へ、白杖で周りをさぐりつつ、ソロソロとやっとの思いでついて行き…

平らだった地面がゴツゴツしてきたり、草むらになったり…池があってしゃがんで水に手を浸してみたり…
一番難関だったのは、一段高くなった丸木橋?を渡るところ! 「え~!!! 手すりはないの~!?」と騒ぎながらも、へっぴり腰でなんとか渡り終えました! 絶対過去にだれか、ここで足を踏み外した人がいるはずです!(-_-;)(???)私の後に渡ってきた女性にも、「ここで橋はおしまいですよ!ここから段になってますよ!」と自分が怖かったもんで、必死にお伝えしましたよ

おばあちゃんの縁側?では、縁側に腰かけて靴を脱いで上がり、畳の部屋を探索しました。ちゃぶ台の形を確かめたり、タンスの引き出しを開けてみたり…脱いだ靴もなんとか間違えずに履けました!

次の空間では、テーブルにつき、渡された団扇にマジックで夏の思い出をそれぞれ書きました。(私が何を書いたかは秘密☆)

いよいよ楽しみにしていたカフェ?に到着しましたよ。
ここにはもう一人の女性アテンドさんがおられました。
メニューは、東北の日本酒、リンゴジュース、ビール、ジンジャーエール…私はさわやかな甘さのリンゴジュースを頼みました。
ハトさんが冷蔵庫の中から材料を取り出し、氷を入れ、注文の品を用意してくれ、もう一人のアテンドさんがそれを器用に
一人ひとりにサーブし、お金の精算をしてくださいます。
全員の注文を完璧に覚えておられるし、手探りでのお金の精算も完璧です!(お札も触って区別がつくように工夫されているんですね)

私が「みんなどこ~?」とか「どっち~?」とか平気で大きな声を発するもんで、ハトさんにはすっかり目を付けられてしまい、ことあるごとに「お母さん、大丈夫ですか~?」と声をかけられるハメに…
知らぬ間に、ダメ母キャラとしてみんなの中に浸透していた私……娘たちの最初の心配は予想どおり現実となってしまったのでした

それにしても、暗闇の中ではなんであんなに開放感を感じるのでしょうか!!!???
普段は人との間に壁を作りがちだし、社交的とは言い難い私なのに、いつの間にか恥ずかしさも遠慮もなくなり、知らない人の身体に触れることにも声を出すことにも抵抗感がなくなっているのです! それは私だけではなくて、参加者全員がそうなるようで、それが証拠に8名があっという間に仲間になってしまっているんです☆。。。不思議です☆
オヤジギャグを連発し、みんなから「さむ~」と言われながらも、終始みんなを明るくサポートし続けてくれた、暗闇のエキスパート☆ハトさんの力も大きいです!

薄明りの部屋で、最後に一人ずつ感想を述べ、それぞれがどういう人だったのかを少しだけ知り合った後、光の世界へ戻りました。

あっという間の90分でした。

明るい部屋に戻ると、今まで最強のスーパーマンだったハトさんが、急に「視覚障がい者」という立場の人になり…
それまで一致団結していた仲間たちの顔がはっきり見えるようになると、急激に恥ずかしさとよそよそしさが戻ってきてしまい……なんだかとても切ない感覚を味わいました。もう一度暗闇に戻りたかったくらい。。。

ハトさんにもお礼をきちんと言いたかったな…(さっと控室に移動してしまわれたので…)

暗闇の中は私にとって「安心」の場でした。
でも、今回は娘たちに頼りすぎた気もするので、次回は1人で参加してみようかな。